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5 西堀さんとハンバーガー

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 共同生活だとか、シェアハウスだとかいう響きは、なにか大学生活の続きのような、甘美な希望を寄せる事ができた。最小限の出費で住処が得られ、食費もまとめて作れば安く上がる。洗濯やら掃除やらゴミ出しやら、そういう細々したことも手間を分担できる。これから仕事を辞める境遇ならば、少ない収入を持ち寄って人並みに暮らせるというのは魅力的だった。なにか進歩的だし、合理的だし、こういう暮らしも今風な感じがして憧れに似た希望がときめく。僕は夜型の生活を少しずつ改め、崩し始めた引っ越しの荷物を改めて整え始めた。母は何も言わなかったが、仕事の事をしきりに訪ねてきた。僕は母に対し今までで一番無口を貫いた。二十三歳にもなって反抗期という訳でもないが、いろんな生活が落ち着いてからではないと、いろんな反論が待ち受けてきそうで、何も伝える気になれなかった。

 もちろん、決起集会みたいな飲み会が終わった後も、翌週には他の三人は悲惨な社会人生活が待っている。一週間経ち、二週間経っても引っ越し計画はおろか、具体的な話し合いの場というのも設けられなかった。僕はなんどもメールの文面を消したり追記したりしながら、三人に「また集まらないか」とメールを送った。結局、都合が付いたのは家主となる予定の女王様こと、西堀さんだけだった。昔のサークルメイトとはいえ、二人で会うのは妙に緊張したし、そもそも女性と二人きりというのに慣れていないので、個人的に抵抗はあったが、西堀さんがいいというなら、こちらが断ってはトゲが立つ(元々こちらが誘ったのだし)。それで、週末の昼間に、ちょっと高くて、本格的なハンバーガーを出す店に集合することになった。場所を指定したのは西堀さんだった。


「もうね、私がいる場所じゃないのよ。とにかく」と西堀さんはハンバーガーを分解しながら言った。バンズの上半分を取り外し、塩を振りかけている。オーダーした時にケチャップもマスタードも抜くように店員に伝えていた。彼女は酷い偏食家である。

 バーガーショップは百貨店が立ち並ぶ、人通りの多い通りにありながら、土曜のランチタイムでも込み合ってはいなかった。木のテーブルとイスは半分ほど空席になっている。一人で来てもそもそ食べている女の子も二人いる。西堀さんもよく一人で来ているのかもしれない。僕らは二階席の南向きの窓に面したカウンターから、眼下のスクランブル交差点を見下ろしながらハンバーグを食べていた。

「居心地が悪いんだ」僕は一ポンドのジューシーな肉が挟まったチーズバーガーをかぶりつきつつ、話を聞いていた。こんなにうまいハンバーガーは初めてだ。チェーン店とはいえ外観がオシャレなので西堀さんと一緒じゃなきゃ入れない。

「致命的よ。誰も彼も忙しくて、フォローし合える状態じゃないの。私だってまだ入社半年よ?分からない事だらけじゃない。でも誰かに聞こうにも教えてくれる状態じゃないの。こないだなんて、もう半年なんだからちゃんと覚えなよ、なんて指導してくるじゃないの。私、頭にきて、教えてくれないのに、どうやって覚えるんですか、って言ってやったの。そう思わない?」

「そりゃずばっと言ってやったね」僕は言う。個人的には確かにそう思うけど、社会一般はそうは思わないんだろうな、たとえばかつての営業主任とか、と頭の中で反芻する。

「それでまたこじれたの。もうね、高校生の部活やバイトじゃないんだから、私を集団で無視したり、仕事を押し付けたりするのは辞めてほしいわ。こういうのって、何歳になっても変わらないのね。今週でほとほと懲りたわ、こんな職場やめてやるって」

「こっち側においでよ。気が楽だよ」僕は言った。もちろん気が楽なわけがない。

「あぁ、楽になりたい。うらやましいわ」彼女は心底うらやましそうに言った。


「それで本題だけど」西堀さんは口元を紙ナプキンで拭きつつ、切り出した。

「共同生活のことね、私は割と真剣に考えてるの。私だって人の子だし、親に心配を掛けたくないし、下の兄弟に弱みを見せるのは癪だから、これを機に家を出て自立したという形にしておきたいのよ。でも、さすがに一人だと色々厳しいじゃない。それは、これから仕事を辞めるあとの二人や、もう辞めちゃったあなたにとっても一緒よね」

「お金とか、家事とかね」

「そう、一見空絵事のようにも思えるけど、住まいのアテはあるんだし、家賃や料理を分け合えるって言うのは、少ない収入で暮らす合理的な方法よね。そりゃ四年間同じサークルだったとはいえ、どこまでストレスなく暮らせるかは未知数だけど、一応それぞれに部屋はあてがえるわけだし、みんな大人しいタイプだから、うまくやれると思うのよね。ダメならま、その時点で解散すればいいじゃない。どうせ仕事を辞めるのは決定事項なんだし」

「あれ、二人も、もう確定で辞めるって?」僕はうろたえつつ言った。話が進んでいるのだろうか。

「いいえ、特に何も聞いてない」彼女はこともなげに言った。「けど、私分かるわ。あの調子で続けられるとも思えないもの」

 西堀さんは得てして、確信を持って決めつけに掛かるところがあった。西堀さんの人となりをよく知る人なら、そういう尊大さがまた可愛くもある。彼女が務める会社がどう思うかはともかく。

「それでね、実際にみんなで暮らそうとすると、いろんな段取りがあるじゃない。まず仕事をやめて、何時頃に引っ越しして、何を分担するかって」

「自分はいつでも大丈夫だよ。引っ越したばかりで荷物もまとまったままだし」

「あなたはいいのよ。もうニートだし」

「はぁ、そうすか」

「私はもう辞めるわ、少なくともあと一か月以内には。あとの二人よね。寄木くんと平内さんがさっと辞めて、共同生活を心に決めてくれれば、話は早いのよ。何しろ、この共同生活は二人でも三人でもダメなの。わかるでしょ」

 西堀さんは、わかるでしょ、を特に傲慢な感じで言った。はい、わかります。

「男二人と私一人なんて、何か嫌よ。侍らしてるみたいで変じゃない。それに、女二人と下山くんなんて、ねぇ、きっと、下山くん、闇が深いところがあるし」

「闇が深いって何さ」

「寄木くんとなら三人でもいいわ。人畜無害の草食系だもの」

「喜んでいいのかわかんないよ」僕が困り声でそういうと、西堀さんは愉快そうに。ふふふ、と笑った。優越感に浸っている西堀さんは輝いて見える。

「それでお願いですけど、下山くん、最近おヒマよね」僕の目を覗き込みながら西堀さんは言った。僕は上体を後方へやや倒して、身構える。

「共同生活は、仕事を辞めた後の合理的な選択だと思う。でも何と言っても辞めるのは中々大変だし、共同生活にはもちろん不安がある。そこで下山くん、あとの二人を頼んでいいかしら。私は部屋を手配する。あなたは人を集める。どう?」

僕は喉の奥でんんん、と喉を鳴らして彼女の首元辺りをみて考えた。僕は相手の目を見ていられない時、よく首元を見る。

「あとの二人を頼むって、具体的には何をしたらいいんだろう。人生相談なんて大逸れた事できないけれど」

「あら、簡単よ」西堀さんは言って髪をとかす。南向きの窓から差し込む光に反射して艶が浮かぶ。「ニートの立場がいかに気楽か、そそのかしてらっしゃいな」


 そうして、僕は友人たちを社会の谷底へ引きずり込むことになった。


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