25話 市場
◇ 市場 ◇
ルヴェニアの大市場は、転移者区画から歩いて二十分ほどの場所にあった。
毎週開かれ、月に一度は大規模な市が立った。食料、家畜、布、道具、薬草——あらゆるものが売買された。誠は情報収集を兼ねて何度か足を運んでいた。北の行商人が来るという日まで、まだ三日あった。
その日、市場の東端に近づいたとき、橘が先に立ち止まった。
「こっちに来ないで」と橘が言った。
誠は立ち止まった。橘の視線の先を追った。
囲いがあった。木の柵で囲まれた区画。中に人がいた。座らされていた。十人ほど。首に鎖がかかっていた。
奴隷市場だった。
ガレンで「存在する」とは聞いていた。行商人からも聞いていた。だが実際に見るのは初めてだった。
「行こう」と橘が言った。
誠はその場から動けなかった。
囲いの中の人間を見ていた。全員が下を向いていた。一人だけ、誠の方を見ていた。若い女だった。顔の造りが転移者のものだった。何語かわからないが、口が小さく動いた。
何を言っているのかわからなかった。
買い手らしき人間が柵の外から指差しながら商人と話していた。値段交渉をしているのだとわかった。商人が笑っていた。
「田中」と橘が言った。
誠は橘を見た。橘の顔が石みたいになっていた。感情を全部しまい込んだ顔だった。
「来い」と橘が言った。
二人で市場を離れた。
別の路地に入ってから、橘がゆっくりと壁に背をつけた。何も言わなかった。誠も何も言えなかった。
しばらく経って橘が「西村もああいう場所にいるのかもしれない」と言った。
誠は答えなかった。
「わかってた」と橘が続けた。「頭ではわかってた。でも見ると違う」
「うん」
「何もできない」
「うん」
「それが一番しんどい」
誠はその言葉をただ聞いた。慰める言葉を出すよりも、聞いていることの方が今は意味があると思った。
市場に来るたびに奴隷市場は端に存在していた。見ないようにすることはできた。ルヴェニアの住民たちは、それを日常の一部として見ていた。怒らなかった。嫌悪もしなかった。ただの取引だった。
自分たちがその「ただの取引」の対象側にいることを、誠は改めて確認した。
区画に戻った。区画の入口で加藤が待っていた。「どうだった」と聞いた。
「疲れた」と誠が言った。
加藤がそれ以上聞かなかった。




