1話 始まりの光
◇ 始まりの光 ◇
窓の外を見ていた。
三時間目の数学が終わりかけで、黒板に書かれた二次関数の解説が終わり、担任の松本先生が問題演習に移ったタイミングだった。田中誠は教科書を開いたふりをしながら、グラウンドに目を向けていた。野球部の後輩たちが準備運動をしていた。フォームが相変わらず甘かった。
今日の昼飯は購買のカレーパンにしようか。そんなことを考えていた。
光が来たのは、その次の瞬間だった。
白い光が教室全体を包んだ。まぶたの裏から突き抜けてくるような強さだった。誰かが声を上げた。複数の椅子が倒れる音がした。そして——床が消えた。
体が浮いた。重力の感覚がなくなった。腕を伸ばしたが何も掴めなかった。声を出す間もなく、世界が白に溶けて、次の瞬間——
地面に叩きつけられた。
咄嗟に肘で受け身を取っていた。野球をやっていたときの癖だった。肘が痛かった。草の匂いがした。土の感触が顔にあった。
誠は起き上がった。
草原だった。
どこまでも続く、腰の高さほどある草。空は青かったが、雲の形が何か違った。見慣れない青さだ、とぼんやり思った。それから空の違和感の正体に気づいた。
太陽が二つあった。
一つは頭の真上に近い位置に。もう一つは地平線に近い場所に、やや小さく、赤みがかった色で浮かんでいた。
誠はその二つを交互に見て、三秒間、何も考えられなかった。
「立てるやつは立て! 怪我を確認しろ!」
松本先生の声だった。草の中に立ち上がった先生は、顔に擦り傷があったが、体は動いていた。その声には授業中にはない種類の鋭さがあった。動揺を内側に押し込んで、教師として機能しようとする声だった。
誠は周囲を見回した。
制服姿が草の中に点々と倒れていた。泣き声が聞こえた。スマートフォンを取り出して画面をタップしている者が何人もいた。電波がないと気づいて顔色が変わっていく。誰かが嘔吐した。別の誰かが「夢だ夢だ」と繰り返していた。
「田中!」
木村健が駆けてきた。中学からの友人で、今は同じ3Aだ。顔の半分に土がついていたが、怪我はなさそうだった。
「何が起きたんだ」
「わからない」
二人で立ちながら、誠は空をもう一度見た。二つ目の太陽が少し傾いていた。こっちにも時間の流れがある、とわかった。夜が来る。
「先生! 渡辺が立てません!」
草の向こうで声がした。誠は先生と一緒に駆けた。
渡辺雪菜は草の上に座り込んでいた。右脚を庇うように膝を抱えていて、顔が青白かった。転落時に足首を捻ったらしかった。先生が脚を確認した。骨は折れていないが重度の捻挫、との判断だった。歩けない。誠の隣に立っていた橘彩が無言で渡辺の肩を支えた。
全員集まった。点呼を取ると、四十人全員がいた。渡辺を含め捻挫が三人。腕や膝の擦り傷が十数人。それ以上の重傷はなかった。
松本先生が「奇跡的だな」と小さく言った。誰にも聞こえないつもりだったのかもしれない。
「今日は動かない方がいい」と先生が全員に向かって言った。「日が暮れてから動くのは危険だ。まず周囲を確認して、水を探す。明日の朝、方向を決めて動く」
誰も反論しなかった。反論できるだけの情報を持っている者がいなかった。
探索組が六人選ばれた。誠と木村も入った。三十分後、二百メートルほど離れた場所に細い川を見つけた。先生が「飲めると仮定するしかない」と言った。
その言葉を聞いたとき、藤堂龍一が誠の隣で小声で言った。「先生、全然頼りにならないな」
誠は黙っていた。
反論できなかったわけではない。今はその種の話をする状況ではないと判断した。ただそれだけだった。——そのはずだった。
夜になった。二つの太陽が消えると、空に星が出た。見慣れない星座だった。どこにも知っている形がなかった。
誠は草の上に横になったまま、目を開けて空を見ていた。スマートフォンの画面をつけた。ロック画面の時刻は「15:24」で止まっていた。
木村が隣に寝転んだ。「帰れるかな」と小声で言った。
誠は答えなかった。
草が風に揺れる音がした。遠くで、知らない何かが鳴いた。それが動物なのか、別の何かなのか、誠にはわからなかった。知りたいとも思えなかった。
眠れなかった。




