9.黒百合は太古の世界に遡行する
福井駅にはお昼ちょっと前に着いた。プラットホームのベンチには白衣を着た恐竜が恐竜の頭骨を持って座っている。恐竜の研究者ってことなんだろうけど、駅で研究できるんだろうか。
「きゃはは!何これ?!」
しきりに写真を撮ってる。横に並んで撮ったのはLINEで流すんだろう。恐竜の後ろの看板には『恐竜王国 福井』とある。福井って東尋坊とか永平寺とかじゃないのかと思いながら駅を出ると、さらにびっくり実物大の巨大恐竜が何体もいた。それが動いたり、壁画やトリックアートがあったり、その力の入れようには頭が下がる。が、黒百合の興奮が沸点に達して、駅前広場から動いてくれないのには困った。
「こんなところまで連れて来るなんてって正直思ってたけど、福井いいね!…恐竜博物館行くよね?」「うん、まあ」と生返事なのは、フクイティタンを始めとした地元産の恐竜がここのモニュメントの恐竜よりずっと小さめということだった。しかし、そんなことを気にする観光客はまずいないだろう。少々盛るのは当然、ノリが悪くちゃ相手にされない。
「さてと、あっちの方に西武百貨店があるから行こう」
「…?行こう?」
「行くよ、よね」
「前世してた?」
「うん、ジュラ紀まで」
「ごめん、よくわかんない。ユニクロ行くんじゃなかったの?」
「ユニクロはここから4.1キロもあるんだ」
「それってどれくらい?」
「新宿から渋谷くらいじゃないかな」
「ありえねえ!いくつユニクロあんだよ!」
「しょうがないよ。人が少ないもん。この駅は県内随一の駅だけど、空いてるでしょ?」
「うん、歩きやすい。静岡より更に快適」
百貨店にはすぐに着いてエスカレーターで順に上がって行く。
「田舎のネズミと都会のネズミってお話知ってる?」
「知ってる。細かいところは忘れたけど」
「あれってイソップ童話の1つなんだけど、イソップは紀元前6世紀頃の古代ギリシャの人なの」
「ずいぶん前だね。そのころ日本は…」
「弥生時代かな。文字もないよね。で、その頃にイソップの周りではもう田舎と都会の住み心地の違いが意識されてた」
「ふむふむ」
「特に都会はみんなが思うほどいいところじゃないって感じで」
「…ここは住みやすそうだけど、住みたくはないかな。退屈しそうだし、めんどくさそう」
「めんどくさそう?」
「人は少ないのに何かと口を出してくる親戚やご近所が多いような。あ、ヴィレヴァンだ。寄っていい?」
ヴィレッジヴァンガードには女子高生がいる。季語を入れれば俳句になりそうだ。
ヴィレヴァンの女子高生に百合を見る
どういう意味だよ。百合は夏の季語じゃないか。
いろいろ見て回ると、惑星クッション・ブランケットというのがあって、地球、月、木星、星座の4種類がある。
これいいね春の黒百合月を抱く
そう言ったんだけど、これこそ月並みってやつだ。
「ヤンデレなら大赤斑の木星じゃないの?」
「あたしヤンデレじゃないよ!」
あ、しまった。若い子、こういう子は特に定義付けを嫌う。
「そうだね。ごめん」
木星を買って、
「欲しい?」と渡しながら訊く。ぼくは自分が好きなものしか、人にあげられない。黒百合が拒否するかなとは思ってた。
「いいよ」と生意気なような、ある意味的確なような返事をする。
最上階に無印良品がある。ユニクロより高いし、スノッブだけど、統一感はある。試着室でいろいろ試してトップス3着、ボトムス2着その他を決めた。
「買わないの?」
「いらない」
「着替えないと臭いしてくるよ」
「そうなったら…おねえさんのを貸してもらえない?」
女の子と服を共有かよ。来るとこまで来たな。
「選びたくないの?」
「うん、ここの服はあたしのじゃない」
言いたいことはわかる。それくらい拘りがあって然るべきだ。福井にだっておしゃれな子はいるだろうに、どこで渇きを癒しているのだろう。
「それにおねえさんだって似合ってないですよ」
「え?そう?」
女の子っぽいのを着てたからそう思われたのかな。
「おっぱいが小さい人が着るんです。無印は」
うわ!そんなこと言っちゃだめだよ。炎上するよ。
「太って見えます」
確かに人が服を選ぶんじゃなくて、服が人を選ぶんだよね。わかりたくもないのにわかってきちゃったよ。
「じゃ、じゃあ、黒百合は似合うんじゃない?…痛っ!」
脛を蹴られた。
駅に戻って、反対側からえちぜん鉄道に乗る。勝山まで小1時間だ。かつて京福電鉄だった頃に永平寺に行った記憶がある。京福電鉄は京阪電車が京都と大阪を結んでいるように京都と福井を結んでいるわけでもなく、そういう計画もなかったらしい。不幸な事故があって福井側は売却し、京都側も縮小したらしい。といったことをWikiで見ていた。
「なんか立派な橋だね」
「そうだね。高架でコンクリ」
「だのにバスみたいなアナウンス」
「うんうん」
その疑問もいろいろ見ててある程度わかった。簡単に言うと北陸新幹線の施設を利用しているということらしい。単線だから新幹線のミニチュアみたい。
それも何駅か行くと地上に降りて、住宅地の間を行く。踏切もあって落ち着くところに落ち着いたという感じ。
やがて田んぼの中を行き、山裾に沿って走る。
「ふおーん、ふおーん」と時々警笛が鳴る。遮断機のない踏切の前で鳴らしているらしい。
前回福井に来た時は仕事で、恐竜博物館も相手先の人がアテンドしてくれたので、車だった。座ったまま博物館まで行けるし、いろいろと福井のことを説明してくれるのでありがたかった。
黒百合にもその一端を披露したいのだが、そうもいかない。ネットの情報のふりをするとこいつは鋭いから見抜かれそうだ。前世と言ってごまかすのもそろそろ限界のような気がする。バレてもいいじゃないかと考えないでもないが、彼女に頭がおかしいやつだと思われるのは嫌だ。色眼鏡で見られるのを心配しているのではなく、相方がツッコミにくくなるのを懸念している。…
「親御さんに連絡した?」
「うん、したよ」
「何か言ってた?」
「別に…」
「いい加減帰って来たらって言われない?」
「まだ一泊じゃない」
そうは言っても二泊は決定したも同然。ぼくが父親だったらどうだろう。あ、今なら母親か。え?
「うわぁ!」
「どした?」
「いや、嫌なこと考えちゃって」
子ども産むなんてね。しかし、これはすごい発見?気づき?なんでもいいがえらいこっちゃだ。
「よくないよ。それはいけないことだ」
心はおっさんなのに妊娠?出産?子育て?…子どもになんて言うんだ?
「よしよし。真っ昼間に夢を見るようになっちゃったんだね」
きっちりツッコんでくれる。
「あ、夢か。ほ」
まことにぼやけたボケしかできなかった。
勝山駅に着く。小さな城下町で夕方レンタカーで来て、レトロな感じの床屋で散髪をしてもらったことがある。旧い街並みが清潔感があってよかった。
勝山から15分ほどシャトルバスに乗ってやっと恐竜博物館に着く。エスカレーターで下って行くと、先は暗いトンネルのようになっている。
「こういう造りは最近の博物館や水族館で共通の見せ方なの」
「へえ。確かにそうかも」
「現実世界と別の異世界、ワンダーランドに観客を誘うためなわけ。まるで産道を遡るような」
母のメタファーか。
「目が覚めたら異世界でしたっていうラノベより工夫してるね」
「昔のメルヘンなら暗い森の奥に行くところだけど、テンプレのお約束だからめんどくさいんでしょ」
ティラノザウルスがお出迎え。黒百合はぼくの腕をつかんで大興奮。
「生きてるよ!ティラノザウルスが生きて動いてる!」
「尖った歯ばかりで奥歯がないでしょ。だから噛みちぎって丸呑みするしかないんだ」
「ああ、bite offね。chewができないんだ」
よくご存じで。ぼくなんか未だに"Bite Off"と言うべきところをT.REXの影響で"Rip Off"って言ってしまう。
壁のウミユリをじっと見てる。
「すごい!すごいよ!これアートだよ。何この大きなコーンみたいの。…ひょひょろ重力を無視したような恐竜と木。こんなのが生きてたんだ。すごい世界だったんだね」
黒百合の太古の海に遡行する
恐竜の骸骨が美しい。全体も大腿骨だけでも。水中と水辺を再現したところに行くとまた違った世界が広がる。
「なにこれ、悪夢みたい。魚も両生類もなんか邪悪」
「ぜんまいみたいな草も気色悪いよね」
県立の博物館でここまでおもしろいのは稀有だろう。知事が想像力とリーダーシップのある人なんだろう。