猫獣人を紹介されました
アルスガイアに召喚された日本人たちは、大抵の場合は勇者にも賢者にもならず、というよりもなれず、自分の持ち物を売り払うことになるという。拒否することも可能ではあるのだが、せっかく異世界に来たのだから観光のひとつもしたいし、日本に帰るまでの待遇を少しでも良くしたいという心理も働く。
普通は物品売却を希望する被召喚者は、召喚業者を通じて何人もの商人が紹介されるそうだ。召喚業者は商人たちから召喚料や紹介料を得ることで成り立っている商売なのだ。
だが見習い召喚士のデディアはすっかり甜瓜に丸め込まれていて、他の取引相手を佑真に紹介してくれそうにはなかった。
甜瓜が提示した買取金額は、Tシャツや装飾品の売値の合計よりは安いが、それでも佑真が友人に貸し付けたのとほぼ同額だった。もう少し高ければという欲もないわけではないが、猫々専科だからこそ猫グッズにそれなりの値をつけたのだと言われれば、納得せざるを得ない。それでも欲しがっているのは甜瓜なのだからと駆け引きしようにも、さすがは相手は商売人、ああ言えばこう言うで、いい具合にあしらわれてしまった。そうなると日本に戻って売れる宛もないだけに、佑真としては、このまま決めてしまってもいいだろうという気に半ばなってくる。
支払いは日本円でという申し出も、佑真にとってはありがたい。一般には流通していないが、被召喚者の日本人との取り引きでは普通に日本円が使われているのだそうだ。
「もちろん滞在中の費用はこちらで全部持ちますし、うちの猫獣人もおつけしますから――」
甜瓜に拝み倒され次第に気持ちが傾きつつあった佑真は、誘われるがままに甜瓜の経営する猫々専科の事務所へと足を運ぶことになった。見習い召喚士のデディアは、甜瓜曰く「ここからは猫々専科の領分ですので」とのことで、同行はしない。
「被召喚者には、希望すればパートナーっていうか世話係をつけられるんです。俗に言うヒロインですね。実際には被召喚者が男性とは限らないから、ヒロインって言葉は使わなくなってるんですけど。その中でもうちは猫獣人専門、もふもふは正義、猫獣人こそ至高ですから」
猫々専科へと向かう通りは、アスファルトではなく石畳に覆われていた。
外に出た途端、後ろから騒々しい蹄の音と車輪のガラガラという音が近づいてきた。驚いて振り向くと、上半身が人間で下半身が馬の人物が、凄まじい勢いで駆けてくる。
長めの法被を棚引かせる姿から、一瞬、人力車と勘違いした佑真だったが、よく見れば引かれているのは見覚えのあるダンボール箱の山だ。
「うひぃーん、甜瓜社長! お先にー!!」
「壊れ物もあるから、気をつけてよねぇ!」
「あいよー! 毎度ありー!!」
半馬人は追い抜きざまに甜瓜に向かって威勢よく挨拶をする。箱を積んだ荷車の後ろには、鮮やかな青の幟が翻る。書かれた文字は日本語、それもひらがなだ。
「けんたうろす……運送?」
「惜しい、ちょっと違いますね。半馬人のケンタウロスじゃなくて、社長の名前が西本健太郎だからけんたろうず運送です」
甜瓜は既に佑真の荷物を買い取ったつもりになっているようで、いち早く荷物を店へと送り出したのだそうだ。佑真としても、初めて見る獣人の姿に少しばかり興奮気味で、甜瓜の手回しの良さに敢えて抗議するつもりはさらさらない。
「耳とか尻尾に獣の特徴が出て、あとは人間と同じってパターンか……」
「……とも限らないんですけどね」
ケンタウロスが走り去った先の四つ角には、てっぺんが丸みを帯びた帽子を被った警官が立っている。茶色の垂れ耳の形からすると犬のお巡りさんだ。その犬のお巡りさんに道でも尋ねているのか、向い合ってうんうん頷いている人物の頭には、白くて長い耳が突き出している。丸くて可愛らしい尻尾もついているが、妙齢というにはちょっと無理のありそうなバニーガールならぬバニーおばさんだ。それなりに美人なのか、犬のお巡りさんの尻尾は勢い良く左右に振られているが。
いずれにせよ、耳と尻尾に特徴が出るという佑真の推測を否定する要素は、今のところは見当たらない。
街は日本でいえば中堅地方都市の商店街ぐらいの賑わいはあるだろう。石や煉瓦造りの建物が多いが、ガラス張りのショーウィンドウ、自動ドアらしき物も目につく。運送屋の幟と同じく日本語で書かれた看板もあるが、必ずしも日本人の経営とは限らないようだ。「使い捨てコンタクトあります」はともかく、「ジユーデン・ステシヨン」は東南アジアなどで見かけるニセ日本語のようで膝から力が抜けた。
現地人は髪色がデディアのように地球的基準からは外れた色合いなだけで、基本的には洋風の目鼻立ちと体形だ。服装は近世だか中世だか風の地味で古臭い格好が多い一方で、佑真や甜瓜と変わらないジーンズやTシャツのような姿も見られる。
中にはファンタジー王道のエルフやドワーフといった種族も居るのかもしれないが、ぱっと見でそれとわかるような姿は見当たらない。というより佑真の視線は、獣人にばかり向いている。
牛丼屋の売り子が牛の獣人だったり、頭に鶏冠のある鳥系獣人がチキンカツサンドをパクついていたり。シュールというか倫理的にどうかと言いたいような場面にも遭遇するが、獣人と動物とは別物ということなのだろうと無理矢理納得する。
それ以外にも興味深い光景はいくつも見られ、佑真の好奇心は休む暇もない。
「その通りを渡った左側が、うちの店です」
十分ほど歩いたところで甜瓜が通りの先の三階建ての大きな建物を指差す。建物の色は甜瓜に貰った名刺と同じオフホワイトで、同じくピンと尻尾を立てた黒猫の看板が掲げられている。もちろんそこには大きく「猫々専科」の文字があった。
木製の扉の横は出窓風になっていて、猫の形をした花瓶や針金細工の置物が飾られている。その出窓のいちばん手前に、澄まし顔の明るい茶トラの猫が彫像のように前脚を揃えて座っているのが目に入った。漸く成猫になったかどうかくらいの、若い、すらりとした綺麗な猫だ。
「うおっ……美形……」
「うちのニオちゃんです、可愛いでしょ?」
甜瓜が話しかけてくるが、佑真はすっかり茶トラの猫に目を奪われていた。
じっと見詰めたいのだが、猫と目を正面から合わせるのは敵対の意思の表明。我慢してさり気なく視線を逸らしながら横目で様子を窺う。その気持ちが通じたのか、茶トラは軽く背を伸ばして座り直しはしたものの、佑真と同じようにふっと脇の方へと目を逸らす。大きくぱっちりした目を半眼に閉じ、尻尾を上品に前脚に巻きつけた姿は、まるで自由に憧れる深窓のお嬢様のようだ。
佑真は、茶トラに向かって、大きくゆっくりと瞬きをする。ぱちくり、ぱちくり。敵意はないよ。君に興味があるよ。好きだよ。そんな意味だ。
ネットで拾い読みしただけの猫語知識では物足りず、右手を上げて指先を素早くこすり合わせるように動かして、猫の気を惹こうと試みる。大人になりかけの茶トラは、佑真の動く指先にちらりと目をやっただけだ。
その代わりというわけでもないだろうが、茶トラの後ろからよく似た毛色の仔猫が飛び出してきて、出窓の際に張り付く。
「おっ、可愛いちびすけ、こっち来い」
「盛谷さん、余所見してないで……中に入れば直接、会えますから」
猫々専科を訪れた理由をすっかり忘れ、出窓へと吸い寄せられていく佑真に甜瓜が呆れたように声をかける。
細い爪の生えた両手をむぎっと開いて立ち上がった姿勢から全身全霊の両手猫パンチを繰り出す仔猫。その姿に後ろ髪を引かれながら佑真は店の扉をくぐった。
☆★☆★☆★
店に入ると二階の応接室のような部屋へと通された。
社員らしい若い女の子が、紅茶の入ったカップを佑真の前に差し出す。オレンジがかったピンクの髪が目を引くが、耳も尻尾も残念ながらついていない。
「猫獣人はお仕事全般が向いていないんですよ。事務職には犬系が多いんですけど、猫獣人とは相性があいませんからね。基本的にうちの職員は人間なんです」
佑真の落胆を見て取ったのか、甜瓜が申し訳なさそうに頭を下げた。
けんたろうず運送は既に到着済みのようで、見覚えのある箱が壁際に積み上げられていた。甜瓜はそれをひとつずつテーブルの上に広げ、中の状態をチェックし値段を付けては佑真の同意を求めてくる。それに対して佑真は上の空で、次から次へとOKの生返事をしていった。
「甜瓜社長、準備ができました」
「そう、じゃあこっちに通して」
ひと通りざっくりとした商品チェックが終わった頃合いに、ピンク髪の女の子が甜瓜に声をかけてきた。佑真に紹介する猫獣人の候補が揃ったということらしい。出窓にいたのは普通の猫だったが、それでも美猫だっただけに、猫獣人に対する佑真の期待はいやが上にも膨らむ。
ピンク髪が扉を半開きにすると、猫獣人たちは僅かな隙間をするりと身をくねらせて通り抜け、部屋の中へと入ってきた。
「うっ、うおっ!」
「どうです? うちの売れっ子たち。キャリコ、レン、ノア、メルルにミアン」
髪を白、黒、茶のメッシュに染めた和風顔の美人。柔らかそうな銀の癖毛を腰まで伸ばした、おっとり顔の子。漆黒の髪と肌に、緑の瞳が印象的な謎めいた美女。どの子の猫耳も佑真に向けて揃えられ、尻尾の先は落ち着かなげにゆらゆらと揺れている。くっきりしたアイラインの雉色の子は、尻尾でぱたんぱたんと壁を叩いている。髪の色が左右で違う色白の痩せっぽちの幼顔の子は、怯えた目をして隅っこに隠れている。
どの子も人間ならば――佑真基準で――十点満点で八点以上の美形揃い。そこにピコピコ猫耳ともふもふ猫尻尾が加わった、まさに至高、最強の、文字通りの子猫ちゃんたちだ。
佑真は子猫ちゃんたちをうっとりと見回す。
するとそこへ、どたどたと喧しい足音と共に薄茶色の塊が二つ飛び込んできた。
「ネウ! パンツ履かないと駄目だよ!」
「にゃーだもん! にぃちゃんだって履いてにゃー!」
先に駆け込んできたのは、五歳くらいの幼児だ。明るい茶髪がくるくると巻いて可愛らしい。たっぷりとギャザーの寄った黄色いワンピースの裾から茶トラ縞の尻尾がひょこひょことはみ出している。忙しなく尻尾が動いて短い裾を持ち上げるものだから、パンツに隠されるべき中身が見えそうで実に危うい状況だ。
パンツを両手で握って追いかけてきたのは、サーモンピンクのキャミソールを着た猫獣人だ。服を着用しているのが上半身だけと、こちらもネウ同様に危うい格好ではあるのだが、残念ながらというか幸いにもというか、その姿は二足歩行の人間大の茶トラ猫だ。
耳や尻尾だけでなく、顔も手足もすべてがもふもふに覆われた二足歩行茶トラは、流石は猫というべき素早い身のこなしで、幼児の襟首を捕まえた。
「なんだ人間の格好しなくっても良かったのぉ?」
言うなり大小茶トラのドタバタを見物していた猫獣人が、次々と猫の姿へと変身した。日本画に描かれたような三毛猫に、高級そうな銀灰色の長毛種が、小さくなったことで脱げ落ちた服の中から、するりと抜け出す。そして今度は猫の姿のまま、すっと二本足で立ち上がり、あっという間に人間サイズに戻る。続いて艷やかな毛並みの黒猫に、凛々しい面立ちの雉猫。ひわひわとした淡い色のチビ猫も怯えたような顔をしながら後に続く。
「みんな、駄目じゃない。ちゃんと人間らしくしなくっちゃ」
「えっと……猫獣人って……?」
驚きの展開に佑真が目を白黒させていると、甜瓜が困ったように笑いながら説明してくれた。
「この世界の獣人って、形も大きさも地球と変わらない姿、形は獣だけど人間大かつ二足歩行になった姿、それから基本人間型で耳や尻尾に特徴が現れた姿の三種類を自在に切り替えられるんです。人間と共存している獣人は人間型で生活するのが一般的なんですけど、猫様は気ままですから……」
「あぁ……なるほど」
街中で見かけた犬や馬の獣人たちは、人間社会に溶け込み、額に汗して働いていた。姿形は違えども、その在り方は地球における彼らと共通している。
一方、地球の猫が人間に媚びるのは自分が甘えたいからか、何かが欲しいから。満足すればふいっと姿を消すし、構おうとしても相手になんぞしてくれない。猫獣人もそれと似たようなものなのだろう。
だとするなら、その猫獣人たちに曲がりなりにも人間の姿をとらせてヒロインごっこに付き合わさせるという猫々専科のサービスは、実はとんでもなく凄いことなのかもしれない。尤も頼みを聞き入れて人間型になってもそれは気まぐれであって、飽きればさっさと楽な格好に戻ってしまうようだが。
「よくまあ、猫獣人専門の店なんてできたもんだね……」
「色々と彼ら彼女らのために手は尽くしていますから。それでもお客様を放ってどっかに行っちゃうこともなくはないわけで……でもそこがいいっていうのが猫好きのお客様ですから」
甜瓜の苦笑交じりの言葉通り、最初に部屋に通された五人の猫獣人たちは既に姿を消ししていた。彼女らが振り落とした服が床の上に散らかったままなのも、また猫らしい気ままさだ。
結局、残っているのは大小の茶トラ猫の二匹――いや二人だけだった。
「この子たちは、さっき出窓にいた子たち……?」
「ええ、猫型のまま出窓でひなたぼっこしていた子たちです。大きい子はニオ。ちびのほうはニオの兄弟姉妹の末っ子でネウ。盛谷さんが気に入ったみたいだから一応候補に入れたんですけど……ニオを選ぶと漏れなくネウもおまけについてきちゃいますので……」
佑真は幼女の姿のネウを摘み上げたままのニオを見つめた。大きさこそ人間と変わらないが、顔も身体も全身毛むくじゃら、まさに茶トラ猫そのものの姿形だ。ネウのほうは姿は人間でも猫の習性が出るのか、すっかり手足の力を抜いてぷらんとぶら下がっている。
まじまじと見つめられたニオが、居心地悪そうに、ふっと視線を逸らす。佑真も慌ててニオの後ろへと目を遣り、心の中で「大丈夫だよ」と唱えながら、ゆっくりと瞬きを繰り返す。ぱちくり、ぱちくり。
ニオの目がゆっくりと伏せられていく。少し眠たげになった顔は、リラックスし始めた証拠だ。やがてニオの口角がゆるりと持ち上がり、口元が「にゃ」の音を形作る。
「……サイレント・ニャーだ」
元々は子猫が親猫に対して甘える鳴き方であるサイレント・ニャー。飼い猫の場合には飼い主である人間を本当に信頼し、親愛の情を示すときの鳴き方だ。そんな最上級の愛情を示されて、佑真に否やがあるわけもない。
佑真は甜瓜に向き直り、威勢よく胸をひとつ叩く。そして、こう宣言した。
「もちろん、喜んで! お姉さんのニオちゃんも、妹のネウちゃんも、まとめてどーんと来い、ですよ」