最初はただのバイトだったんです、でも……
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水華甜瓜は猫々専科の社長である。雇われ社長でもなければ、世襲で継いだのでもない。歴とした創業社長、資金繰りはともかく、甜瓜自身が始めた会社だ。
アルスガイアには日本のように会社法などないから、正確には会社組織とは呼べないのかもしれない。だが、そんな細かい定義はともかく、猫々専科の責任者が甜瓜であることは間違いない。
「そろそろ休憩にして、お茶でも飲みましょうか――」
だからというわけでもないが、仕事中に休憩を言い出すのは甜瓜の役目である。午前中に召喚された新規の勇者や賢者との面談も一段落し、派遣している猫獣人たちが戻ってくるにはまだ早いこの時間帯――いわゆるおやつの時間が、猫々専科従業員たちの午後の休憩時間となっている。
尤もこの休憩時間をとるのは、甜瓜に加えて、最近、スタッフになったばかりの三千花と見習い召喚士のデディアの計三人だけだ。派遣対象である猫獣人たちは、待機中には、いやそれどころか派遣されている最中でさえも、好きなときに好きな場所で好きなように休憩している。というか休憩しかしていない。
「ドルパス夫人、また来たんですよぉ……わたし、もう疲れちゃいましたぁ」
「ああ、また来てたの、あのおばさん……。旦那さんもさ、いい加減、ティーパちゃんは死んじゃったんだって奥さんに納得させてほしいわ」
三千花の淹れた紅茶を飲み、甜瓜の焼いたクッキーを頬張りながら、デディアは半泣きになっている。
王都でも有名なレストランのオーナー夫人の飼い猫獣人は、珍しい紫がかった毛色で有名だったが、半年以上前に老衰で亡くなった。それが何故だか最近になって、夫人は猫々専科が可愛く魅力的な猫獣人であるティーパちゃんを誘拐したのだという妄想を抱くようになって、連日のように「ティーパちゃんを返しなさい」とオフィスに押しかけてくるのだ。
夫のドルパス氏は最初こそ「申し訳ない」と平謝りだったものの、最近では四六時中見張ったりいちいち連れ戻すのが面倒になったのか、ほぼ放置状態になって大いに迷惑を被っている。
「ごめんね、デディアちゃん。こっちは山野さんの対応で手一杯だったのよ」
いつもなら穏やかで人あしらいの上手な三千花が夫人の対応するのだが、今日は彼女のほうも保護猫獣人活動家の山野女史との打ち合わせで忙しかったようだ。だが頭の回転が速く弁の立つ山野女史の対応は、見た目が子どもっぽい上に天然風味の入ったデディアには難しすぎる。
甜瓜自身の感情的には「可哀想な猫獣人を減らすため」とかいう活動方針の上から目線が気に食わないので、あまり保護猫獣人活動には関わりたくないのだが、猫々専科の営業内容的には無関係を貫くわけにもいかないのだ。
「また野良猫獣人に対する苦情が来てるらしいですよ」
「野良猫獣人じゃなくって浮浪猫獣人ね――」
この世界では野良猫獣人は街の外で冒険者稼業を営む猫獣人のことを指す。日本に於ける野良猫のように街中で生きながらも住処を持たない猫獣人は浮浪猫獣人と呼ぶのが一般的だと、甜瓜はこの世界に於いては新参者の三千花の誤りを正す。
「うちは猫獣人に仕事を提供してるほうなんだけどねえ……」
「ねっこかふぇや猫缶の周囲の住民の方から、その浮浪猫獣人が集まる原因になっていると不満が出ているんだとか……」
猫獣人の憩いの場所ねっこかふぇも、無料または格安の宿泊所である猫缶も、元々は猫々専科に登録した猫獣人たちに対する福利厚生の一環として始めたものだ。経営がある程度安定してからは、少しでも多くの猫獣人を集めるために、未登録の猫獣人にまで利用対象を広げている。
そういう意味では浮浪猫獣人が集まる原因というのも決して間違いではない。だが文句を言う連中は、猫々専科がゴミ箱あさりをしたり他人の家の庭で勝手に昼寝したりといった浮浪状態の改善に貢献している点については完全無視するのだから、甜瓜にしてみれば腹の立つ限りだ。
「いったい、いつになったら認めてもらえるのかしらねえ……」
甜瓜は大きく溜息をひとつ吐く。昔のことを知らない三千花とデディアが興味津々という顔で口々に問い掛ける。
「ここ、始めてどのくらいになるんですか?」
「甜瓜さんて元々は特に猫好きだったってわけでもないのよね? なんで猫々専科を始めたのかしら?」
甜瓜は持っていたカップを下に置き、ぐるりと輪を描くように視線を大きく動かしてから口を開いた。
「そもそもの始まりは五年前かな。死亡召喚だったってのに、私、召喚賢者になり損ねちゃったの」
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甜瓜には死んだ瞬間の記憶はない。死亡した時点で召喚された被召喚者たちの多くは死の記憶があるのが普通らしいのだが、彼女にはそういう認識は薄い。
五年前、短大生だった甜瓜はドラッグストアでアルバイトをしていた。駅前の雑居ビルの二階だったのだが、作業用のエレベータが小さすぎたので、商品の出し入れに階段を使うことが多かった。
甜瓜の日本での最後の記憶は、そのドラッグストアの階段である。商品を運び込む手伝いをしていた甜瓜は、階段を小走りに降りてきた薬剤師とぶつかりそうになり、次の瞬間には魔法陣が床に描かれた寺院とか聖堂のような場所に立っていたのである。
召喚したのはクーノ勇者・賢者紹介所の召喚士。依頼主は日本から持ち込んだ売薬を取引する新興の薬屋だった。
求めている人材は薬剤師だったが、条件を厳しくし過ぎると能力的には合格でも人格に難ありの人間ばかりが召喚されてしまうことがある。それを懼れて、ドラッグストアの店員でも可としたらしい。
死亡の場合は優先するという条件があったらしく、甜瓜はその条件に引っかかったのだろうというのは、階段から落ちて一緒に召喚された件の薬剤師の弁だ。
「メロンちゃん、頭から落ちちゃって血がばーっと出ちゃって、マジやばかったから。あ、これは逝ったなって」
水華甜瓜という珍しい名前のお蔭で、甜瓜のアダ名はスイカかメロンのいずれかだった。だがスイカと呼ぶのは学校時代の友人だけ、メロンに至っては家族か近所の幼馴染にしか許していない。
それなのに大して親しくもないのに馴れ馴れしくメロンちゃんと呼ぶ薬剤師が、甜瓜は好きでなかった。年中、仕事を押しつけられたし、良い印象はまるでない。
幸か不幸か、薬剤師の女は甜瓜と違って自分は死亡召喚ではないからと、さっさと元の世界へと戻ってしまった。
「お店のほうは上手く処理しておくから心配しないでね」
こちらに残る甜瓜の当面の生活費はこちらの世界に持ち込んだ商品などで賄われると知り、女は恩着せがましく甜瓜に商品の箱からリップクリームを三つばかり取り出して握らせてくれた。だがよく考えてみれば商品を持ち込んだのは甜瓜自身だし、見も知らぬ世界で生きていかねばならない甜瓜を気遣うなら、持ち込まれた商品をわざわざ持ち帰ろうとしなくても良かっただろうにと思う。
しかも経理処理を誤魔化してくれる気があるのなら、なおさらではないかという気がする。この分だと、あの女は持ち帰った商品は全部自分で着服して、罪を甜瓜に着せているかもしれない。
後になってデディアにどうやって被召喚者の元の世界での生死を判別しているのか訊ねたところ、普通は召喚条件に死亡を明示的に指定するから区別の必要はないそうだ。それに加えて被召喚者自身が、転落死したり焼死したり車に轢かれた状況なりを記憶しているので、疑問に思うようなことはないらしい。
そういう意味では甜瓜のように、条件が明確でなかった上に、他人の目撃談のみで当人の記憶がはっきりしないという状況は、実に稀なケースのようだ。
しかし、あの薬剤師は何故、甜瓜が死亡したと断言したのだろうか? さすがに目の前から消し去りたいほど憎まれていた覚えはないし、悪意から甜瓜を騙したというよりは、案外、頭から落ちて流血したという状況に嘘はないのかもしれない。
いずれにせよ、いまさら甜瓜としても元の世界に戻ろうという気はない。家族に会いたいとか、悲しませて申し訳ないとうい気持ちがないわけではないが、今ではこちらの世界にも甜瓜にとって大切なものがたくさんあるのだ。
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「でも、甜瓜さんはその薬屋に勤めることにはならなかったんですね?」
「うーん、まあね。他にも薬剤師の人が召喚されてたから。死亡召喚だったのかどうかは知らないけど、奥さんと死別したばっかりなんで|元の世界(日本)には未練がなかったらしいわ。そこそこ年配だけど能力的には申し分なしだったみたい」
「じゃ、お互いに良い条件だったんですね。ういーいんな関係?」
「それ、ういーいんじゃなくて、たぶんWin−winね」
微妙に使い方違ってる気もするし、と付け加え甜瓜は肩をすくめる。
「ごめんください――」
表の扉が開き、黒々とした影が店の中へとそろそろと入ってくる。振り向いた甜瓜の目に映ったのは、ツヤツヤとした鱗をまとった、大柄な蜥蜴風の獣人だった。
「あら、珍しいお客さんですね」
甜瓜は慌てて咄嗟に浮かんだ驚きの表情を隠した。三千花もデディアも甜瓜を見習ったのか、あっという間に表情を取り繕った。
それを確認した甜瓜はにっこりと笑い、立ち上がって珍客を歓迎した。




