こっそり見守るんだニャン
「お日様の匂いがするんだニャン」
午後の日差しをたっぷりと浴びた布団を取り込みながら、トミサブローは呟いた。語尾の「ニャン」にも随分慣れたものだと我ながら感心する。須坂には「『〜なんだニャン』って言っても『〜だニャ』にはならないんだ」と不思議そうにされるが、そのほうが言いやすいのだから仕方ない。
取り込んだ布団は須坂のベッドに運び、丁寧に敷く。敷布もピンと張り、端はきちんと折り込む。それから自分の分の綿布の埃をバタバタと払い、壁際に程よく崩して寝床を作る。
須坂の家にトミサブローが連れてこられた最初の日、どちらがベッドを使うか譲り合った結果だ。トミサブローのほうが歳上だからと妙な遠慮を須坂はしたのだが、厳密には直接の雇用関係はないとはいえ、須坂が主でトミサブローは家政婦ならぬ家政夫である。主を差し置いて召使いがベッドをせしめるなどあってはならないし、野良猫獣人であったトミサブローは寝場所が床だろうが地面だろう苦にならない。板敷きに寝るのは申し訳ないという須坂の主張に負けて、季節外れの上掛けを一枚拝借して、その上に寝ることで話をつけた。
「ただいま」
夕飯の支度を始めて暫くすると、須坂が外出から戻ってきた。
須坂は野良獣人時代のトミサブローが仕事を得ていた方法を真似て、王都の冒険者ギルドに登録をした。そこで求職活動をしてきたのである。
トミサブローが所属していたのは南部地域を拠点とする傭兵組織で、王都でも同様の組織があったのを紹介したのだ。以前は傭兵組合という名称だったのだが、被召喚者たちが冒険者ギルドと呼ぶものだから、改名してしまったらしい。
「いい仕事が見つかったんだニャン?」
「決まったわけじゃないけどね。村の防衛を請け負ったパーティーにお試しで手伝いをさせてもらえそう」
家事のやり方を教えたり買い物に連れて行ったりするのと並行して、トミサブローは須坂の鍛錬に付き合い、彼の持つ野良猫獣人としての知識や技術を可能な限り教えてきた。もちろん短期間で伝授できるような生易しいものではないが、荷造りの仕方や森の歩き方など、最低限の基礎知識はひと通りさらったつもりだ。
須坂は当人が言っていた通り、知力よりも体力のほうが優れているようで、思いの外、飲み込みは早いようだ。剣は難しいが短刀や小振りの斧ぐらいなら、それなりに振るえるようになった。尤もひ弱な被召喚者にしては、という但し書きはつくが。
夕食の下拵えはトミサブローが大半を済ませていて、後は指導を兼ねて須坂と一緒に仕上げる。基本は肉を焼いたり煮たりを交互にするくらいなので、献立の種類はさほど多くはないし、難しくもない。人間向けには野菜が少ないと指摘されたのでそれを増やしたり、須坂の故郷の料理を猫々専科の女社長に問い合わせて挑戦してみたりはしている。
「ギルドで掲示板を見ていたら、猫獣人の女の人に声をかけられたんだ」
大根おろしにポン酢を掛けた焼き肉を頬張りながら須坂が話し始める。ギルドの近くの被召喚者向けの店で、どうしても欲しくなったからと無駄遣いを承知で買ってきた故郷の調味料らしい。美味いことは認めるが、故郷の味が懐かしくなるには、早すぎないだろうかとトミサブローはこっそりと首を傾げる。
「ほら、この肉を買いに行った牛獣人の村、あそこの依頼なんだって」
「そういえば盗賊が出るって言ってたんだニャン」
牛獣人村の村長は、盗賊への警告としてくくり罠を仕掛けたというような話をしていたはずだ。そこが依頼を出しているということは、盗賊の襲撃が本格化したということだろうか。
「盗賊……なのかなあ? 虎だか熊だか、でかい肉食系の獣人が村の周りで目撃されてるんだって。中には子どもを渡せって脅された村人もいるって話。子どもの肉のほうが軟らかいとか、あるのかねえ?」
「子どもより、売り物の肉のほうが美味いんだニャン」
男よりも女、年寄りよりも子どものほうが肉が軟らかく美味であるというのは、被召喚者の持ち込んだ知識だ。実際にそうなのかもしれないが、獣人たちが獣型にしかなれなかった神話の時代ならともかく、人型の姿で人と共存するようになってからは、牛獣人や豚獣人たちの肉魔法で作った肉を食べるのが当たり前になっている。
子ども云々というのは何かの間違いの気もするが、村で生産している食肉を狙っているというのはあり得るだろう。その場合、奪い取る肉の量と輸送方法を考慮すると、人間か集団行動を好む狼系の獣人による盗賊団という線なら考えられる。熊獣人だの虎獣人だのが単独で村を襲っても割に合わないだろう。
いずれにせよ、現時点で牛獣人の村には具体的な脅威が存在するということのようだ。こそ泥対策の見張り程度ならともかく、素人の須坂に荒事を含む村の防衛は荷が重いだろう。
「騙されてるかもしれないんだニャン」
須坂が素人なのは冒険者であればひと目でわかる。そこを敢えて声をかけるということは、依頼自体に何か裏があるのかもしれない。もちろん不慣れな冒険者に親切にも経験を積ませてやろうとしている可能性も否定はできないが、須坂にそれを見極めるだけの目があるかは疑問だ。
だがトミサブローの第一の職分は家政夫だ。冒険者としての技術や知識は求められる限りは教えているが、だからといって保護者のように須坂自身の意思決定に口出しをするのは筋違いだ。
そもそも冒険者となる選択した被召喚者たちは、普通は最初から己の判断で仕事を選び己の技量でそれをこなしていくものだ。
そして須坂はトミサブローが思ったよりも自身のことをきちんと把握した上で、どこまで危険を冒せるか考えているようだった。
「大丈夫だと思うよ。俺の戦闘力は期待していないってアビさん言ってたから。人手が足りないんで昼間の門番の交代要員が欲しいってことらしい。それに俺、警備員のバイトとかもしたことあるし、襲撃のときには販売所の客の避難誘導くらいならできるしね」
「アビ……って名前なんだニャン?」
トミサブローの脳裏に浮かんだのは、少し焦げ目をつけたトーストのような色合いの猫獣人の女の顔だった。華奢な身体つきで、目鼻立ちのはっきりした美猫だ。足に怪我を負って護衛任務を途中離脱するトミサブローのことを詰り、きつい目で睨めつけていた様子がまざまざと思い出される。彼女が隣国から婚約者とともに移住してくる際のことだったが、その婚約者もそのときの怪我が原因で亡くなったと風の便りに聞いた。トミサブロー自身も後遺症で引退を余儀なくされた、嫌な思い出ばかりの一件だ。
「毛色は灰色っぽい薄茶って感じ? ああ、耳や尻尾はちょっと黒っぽい焦げ茶だったかな。アビシニアンとかシャム猫? 猫の種類ってよく知らないけど、そんな感じ。知り合い?」
「……いや、知らないんだニャン」
トミサブローの知るアビは灰色がかった薄茶の短毛に焦げ目色の耳と尻尾と額の二つの山形の模様が特徴的だった。アビシニアンだのシャムだの被召喚者の世界の分類はよくわからないが、色味は須坂の説明との共通点は多い。どちらかといえば珍しい色合いではあるが、まったくいないわけでもないのだ。同一人物だという確証はどこにもない。
アビ自身だったとしても、過去にトミサブローに対して隔意があったからといって、須坂には何の関わりもない。美人だったのは間違いないので、精々、惑わされないように忠告するくらいしかできない。
「痛い目に合わないように気をつけるんだニャン」
「大丈夫だよ。猫獣人は猫獣人同士しか恋愛対象にならないって猫々専科の甜瓜さんにも忠告されたし、人型ならまだしも猫の格好じゃこっちも性的対象としてすら見られないからね」
須坂はトミサブローが思うよりも割りきった考え方をしているようだった。そういう意味では恋愛感情に感けて大きな失敗をする可能性は低いかもしれない。
だが恋愛や肉欲が絡まなくても、人間を籠絡するなど猫獣人には容易いことだ。いいように振り回されないといいがと、トミサブローは少しだけ須坂のことが心配になった。
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結局、須坂は女の猫獣人からの誘いを受けて、三日後には牛獣人の村へと向かった。取り敢えず四日間は村で見張りを担当し、五日目に延長するかどうかを決めるのだという。
つまりは暫くの間はトミサブローは須坂の世話から解放されるということである。もちろん完全なる休養日というわけではなく、大掃除だの保存食作りだの、家政夫としてやることはいくらでもある。
だがトミサブローは須坂が家を出て暫くすると、後を追うようにして牛獣人の村へと向かった。手助けをするつもりはない。ただ須坂に冒険者としての技術を仕込んでいる立場として、見守るくらいはしようと思ったのだ。
牛獣人の村は、先日、訪れたときと比べて多少ながらも落ち着かない空気が漂っていた。尤も村の外から様子を窺うだけでは感じ取れない程度の些細なものである。目につくことといえば、村の入り口に村人らしき屈強そうな牛獣人が立って出入りを見張っているくらいだろうか。
門番の姿を確認すると、トミサブローは暗い木立の中へと入り、人型に変化した。予め人間用の服を着用していたので、いきなり裸になるような不様な真似は晒さない。尻尾は穴を開けずに服の中に隠し、猫耳は上から帽子を被る。耳が折れ曲がる上に帽子の縁が擦れて鬱陶しい。だがこれでたっぷりとした黄茶色と黒のモミアゲで耳の不自然さは十分に誤魔化せているはずだ。
「何の用だっ?!」
「肉を買いに来たんだニャン」
「なんだ猫獣人か。村人に怖がられないようにって気でも使ったつもりかい?」
肉を買いに来た人間を装うと、怖い顔をした門番はトミサブローを殊更に怪しむことなく通してくれた。猫獣人と見抜かれていたような気もするが、きっと考えすぎだろう。無害そうな笑顔を作りつつ、トミサブローは中へと足を踏み入れる。
村の住人は牛獣人を始めとした草食系の獣人だ。食肉販売所の職員らしいのもいれば、農夫のような格好をしているのもいる。男は人型でも角があるのでわかりやすいが、女は一見しただけでは種類の判別はつかない。
食肉販売所に入っていった冒険者風の男は、暫くすると包みを抱えて出てきた。防衛のために村に雇われたのではなく、単なる客だったようだ。
道を行き交う中には須坂の姿も猫獣人も見当たらない。牛獣人の濃い草と乳の香りに紛れてわかりにくいが、トミサブローの同類の匂いは村長宅の方面がやや強い気がする。
村長宅は役場の並びなので、役場に用があるようなフリをしながら近づいていく。役場の手前で周囲に人目がないことを確認して、さっと裏手に回り込む。こういったさり気なくも素早い動きは、猫獣人たるトミサブローの得意とするところだ。
建物の裏手から、今度は屋根に飛び上がり、天井裏へと忍び込む。
「アビさん、裏門の見張り、交替しました」
「あら須坂くん、お帰りなさい」
トミサブローが下を覗き込むと、丁度、須坂が建物に入ってきたところだった。まるで少年のように頬を赤く染めて、初めての仕事にいきいきと取り組んでいるようだ。少しばかり安心すると同時に、間違っても、その赤らんだ頬が隣りにいる猫獣人の女に因るものでないことを祈るばかりだ。
須坂が言っていた通り、アビは灰色がかった薄茶の短毛だった。模様は地色よりも少し濃い焦げ目のような色合いだ。額の模様も見覚えがあるし、少しかすれたような響きの声にもどことなく聞き覚えがあった。
おそらくはあのアビなのだろう。ただ細く華奢だったのがなんとも艶めかしい丸みを帯びた肉付きとなり、「あら」という呼びかけも妙に馴れ馴れしい。
「戻ったぜ」
「お帰りなさい、ピピン。やっと戻ったのね」
須坂に続いて入ってきたのは鼻の下に黒いちょび髭模様のある猫獣人だった。右の耳は白、左は黒で、尻尾は全面的に黒い。
こちらには明らかに見覚えがあった。ピピンという名前は、あのときの護衛のひとりだった白黒猫獣人だ。
「迷子は無事に送り届けたんでしょうね?」
「ああ、もちろんだ。ちゃんとマーブの野郎に引き渡したさ」
マーブというのは赤い渦巻き模様の、ピピンと連んでいた野良猫獣人だ。トミサブローの知るピピンとマーブは野良獣人にありがちな粗野で粗暴な連中で、アビとは相容れない雰囲気があった。それが、どういう経緯があったのか知らないが、行動を共にするようになっている。
初々しかったアビの変貌ぶりには違和感が募るが、これまでの彼女の苦労の顕れと思うと苦いものが込み上げる。あのとき散々に吐きかけられた呪詛の言葉の数々も、任務に失敗したトミサブローは甘んじて受け入れるべきなのだろう。
それにしても昔のアビならともかく、マーブやピピンの性格を考えると迷子の面倒を見るのは随分と意外なことだった。
「迷子ってリグくんのことですよね? 王都で親戚の人に会えるといいんだけど」
「親戚ぃ? あのガキ、親戚なんかいたのか? 虎野郎の連れじゃねえのか、まずったな……」
「あら須坂くん、あの鹿獣人の坊やの知り合いだったの?」
「知り合いじゃないんですけどね。この前、家政夫ってか同居人のトミーさんと買い物にきたときに、罠にかかっていたのを助けたんですよ」
須坂が鹿獣人の子どもを助けて村に預けた経緯を説明する。猫々専科の女社長の勧めに従いトミーと名乗っていたお蔭で、トミサブローのことだと気づかれないで済んだようだ。
「で、虎野郎ってのは? 何がまずいんですか?」
「そ、それは……」
「言ってなかったかしら? ここを狙ってる盗賊から脅迫が来てたのよ。罠に掛かった鹿獣人を引き渡せってね」
「お、おう、そうなんだよ。俺の餌を返しやがれってな」
まるで虎獣人が罠を仕掛けて鹿獣人を捕まえたようなアビとピピンの言い分に天井裏のトミサブローは首を傾げた。罠を仕掛けたのは村の牛獣人たち。それは須坂も聞いていたはずだが、彼は忘れてしまっているようだ。
「狙われてるってわかっているんだから、少しでも早く安全な場所に避難させなくちゃ駄目でしょ? だから最低限自分で歩けるようになるのを待って、いちばん腕利きのマーブに連れて行ってもらったの」
「そっか。王都まで歩けるほど回復したのかちょっと心配だったんですよ」
「そう、そうだぜ。足手まといな奴を置いとく余裕はねえんだよ」
戦力とならない弱い者を避難させるのは、一見、理に適ってはいる。しかし、そもそも戦う術を持たない村人や村の財産をを守るのが彼らの仕事であり、移動する体力も心許ない子どもを戦力を割いてまで送り届ける意味がわからない。
さらに言えば、アビたちは鹿獣人の子をマーブに託したとは言っているが、王都に連れて行ったとはひと言も口にしていないのだ。
だが、誤魔化しているのが見え見えの説明にも関わらず、須坂はすっかり納得した様子で、うんうんと頷いていた。
「気に入らないんだニャン」
過去に護衛を途中離脱し彼らに損害を与えたトミサブローは、彼らに対して弱い立場かもしれない。それでも須坂はトミサブローの現在の雇い主であり、彼を騙すようなやり口は認めるわけにはいかなかった。
だが、今、この場に割り込んで須坂を止めるだけの証拠はないし、それでは須坂を子ども扱いしているようで失礼だ。
トミサブローは、もう少し彼らのやり方を探ってみることにした。




