007:問題は別なのか
角を曲がったら、誰かにぶつかって抱き止められた。
ユニスは夢中でしがみついた。何度も名前を呼ばれている。
「おい、だいじょうぶか」
晶斗の声だ。ユニスはしがみついたまま、見た物を急いで説明した。
「ユニス、もう一度説明してください、落ち着いて、ゆっくり」
プリンスの声に促されて、ユニスはゆっくり目を開けた。
ユニスはプリンスの腕の中にいた。
右を向いたら、晶斗と目が合った。
ドキッと心臓が跳ね上がった。わたし、間違えちゃった? いや、夢中だったから、晶斗とプリンスの位置は見えていなかった。この事態は不可効力だ。
「だから、つまり、小さくて、白くて、角が一本生えてて、大きさは猫くらいで、透明な羽が生えてて、目は黒くて、牙があるネズミモドキがいたのよッ!」
ユニスは、途中で、自分でも支離滅裂だと情けなくなった。
遺跡地帯で魔物の影を見たことは何度かある。だが、ユニスのシェイナーとしての力は無意識に自分の周囲の空間を調える。実際に、危険な魔物と遭遇した経験はないのだ。
「どう聞いても遺跡に出る魔物の類を見たとしか思えないな。現場を見て来るよ」
晶斗がセンサーを手に走って行く。
プリンスはしがみつくユニスの肩を抱えたまま、晶斗の後を追った。
晶斗がトイレの前にいる。
廊下に面したドアは閉められていた。
ユニスは戦慄した。慌てて飛び出してきたが、ドアはしっかり開け放しておいた。勝手に閉まったはずはない。
晶斗がドアを開けた。
遠くで、シューッとかすかな音がする。
「水の流れる音だ。ここの生活用水は湖から引いてるんだろ?」
晶斗が振り返ってプリンスへ確認する。
「地下の浄水設備から供給しています。普通に稼働していますね」
即座にプリンスが答える。プリンスの後ろから、ユニスは中を覗いた。
冷たい水の匂いがする。
奥の窓辺まで行った晶斗が戻ってきた。
「センサーはオールクリア。ここに魔物はいない。未固定の遺跡なら魔物はつきものだし、シェイナーのいない踏破隊で入れば、もれなく何かに遭遇するものだが、ここはまともな空間だ」
遺跡地帯には多くの危険がある。その一つが魔物の出現だ。正体不明の生命体とされている魔物は、歪みのある場所に出現する。遺跡地帯ではありふれた現象のひとつとされていた。
魔物は、殺されれば――滅ぼされる、という方が正しいだろうか――塵も残さず消え失せる。
小は虫やネズミ程度から、大は山のような怪獣まで、姿形は千差万別だ。運悪く遺跡の中で出くわした踏破隊が全滅したとか、発掘隊のキャンプが襲われたとか、そんな噂は遺跡情報誌でよく掲載されていた。
「私が視ても、歪みらしい痕跡もありませんね。シェイナーと一緒に遺跡にはいると空間の歪みが押さえられ、魔物は出ないといいますから」
プリンスがお忍びの際に変装する魔物狩人バシルは、伊達ではない。遺跡地帯では腕の立つ魔物狩人として名前が通っている。魔物狩りの仕事を引き受ける際には、シェイナーの能力を抑え、わざと魔物をおびきよせて退治するという。
その魔物だが、シャールーン帝国では、近年、小物の生け捕りが奨励されている。
昨年、大陸間条約を結んだもう一つの大陸文明サイメスは、ルーンゴースト大陸にあってサイメスには無い物の、共同研究を要求した。
魔物をサイメスの科学技術で分析したい、というのも、そのひとつだ。
しかし、魔物は飼育方法がわからない。何かの拍子に死んでしまえば死骸は消失する。解剖どころか保存すらできない。
けっきょくシャールーンの帝国科学院は、空間の歪みに起因する異次元生命体という小難しい見解をサイメス向けに公式発表した。念入りに、既存の分類学では説明できないという注釈付きでだ。
ルーンゴースト大陸では古来より『魔物は魔物』という認識をしている。それは科学文明サイメスとの交流が始まり、理律を無視した科学技術が生活に流入してからも変わりなかった。
「本当に見たのよ……」
「虫か何かを見間違えたということもありますし、気にしなくていいですよ」
プリンスによしよしと頭をなでられたので、ユニスは悲しくなった。こんな事で二人に疑いの目を向けられるなんてあんまりだ。
「嘘とは言っていないさ。遺跡地帯をうろついてて、一度も目撃していない方が珍しいんだよ。今まで何回、遺跡に入った?」
「う……それは」
最近破壊した遺跡ならともかく、観光地の遺跡も含めて、通りすがりにチョロッと覗いた分はカウントしていない。
「そんなの、いちいち覚えてない……」
ユニスが答えに詰まると、
「通りすがりに覗いた分を含めれば、初回から先月末までに57回です。固定遺跡が42回、未固定8回、完全破壊は4つのみ」
プリンスがスラスラと答えた。
ユニスは総毛立った。なぜ、プリンスが当事者のわたしよりも詳しいの!?
「ちょっと、待って。それは監視からの報告なの? 半年前に七星華乙女会の監視員は外してくれたんじゃなかったの?」
七星華乙女会とは、プリンス公認ファンクラブである。
美貌で名高いシャールーン帝国の宰相閣下は、ルーンゴースト大陸全土に熱狂的なファンがいる。七星華乙女会とは、そんなディープなプリンスファンが所属する連合組織だ。国境すら越えたネットワークと組織力は一国の諜報機関にも匹敵するという。
そんな大陸全土のプリンスファンを統括する七星華乙女会の上層組織は、謎に包まれた秘密結社めいている。
でも、ユニスは知っている。七星華乙女会の幹部クラスは、シャールーン帝国選りすぐりの女性シェイナーで構成されていることを。
なぜなら、子供の頃から七星華乙女会に勧誘され、今も時たま入会を打診されているからだった。