006:乙女の大問題
プリンスに付いて建物に入る。
天井で、灯りが自動点灯した。
玄関ホールは三階まで吹き抜けている。長期間無人だったとは思えないほど白い壁。床は黒い大理石だ。塵一つ落ちていない磨き抜かれた床面に、ユニスの顔が映っている。
「十ヶ月ばかり、誰も入っていないのですが……」
プリンスは建物の見取図を広げ、晶斗と見て回るコースの相談を始めた。
ユニスは辺りを見回した。なにより優先して行きたい場所……たぶん、あっちの方に……あった!
天井近くの壁際に、探し求めた『記号』がついている!
歩き出したとたんに、晶斗に襟首を掴まれた。
「こら、どこへ行く? 勝手にウロチョロするんじゃない」
「いえ、あの、その、……トイレに行きたいの」
気取っても仕方がない。ユニスは婦人用トイレの目印を視線で示した。単刀直入な答に、さすがに晶斗も手を放す。
「生理現象はしょうがないな。どうする?」
「女性には大きな問題だというのを失念していました。やめろと言うわけにはいきませんし、仕方ありませんが……」
晶斗とプリンスは、下の階から順番に、地下の発電施設から調べるつもりだったという。ユニスの駆け込みたいトイレとは反対方向だ。
「灯りが点いたので、設備は使えそうですが、ここの水道が使えるかどうかはわかりませんよ。外じゃダメですか?」
プリンスの提案をユニスは即座に却下した。明るい内ならともかく、夜になったら乙女が一人で外へ行くのは言語道断、危険すぎる。ましてここは危険な遺跡の疑いがある事故物件だ。
プリンスは、やれやれ、というように軽く首を横に振った。
「では、先に野営用テント型ポータブルトイレを組み立てましょう。安全のために、ここで我慢してください」
ここ、というのは、この玄関フロアだ。今夜はここで夜明かしする。
さすがにユニスも涙目になった。いくらユニスが単独で遺跡探索ができる強いシェイナーでも、できる事と、できない事がある。
「絶対にイヤだし拒否するし、それをここで使わされるくらいならこれから湖に飛び込んで一人で守護聖都まで泳いで帰る」
宣言したユニスの真剣さに打たれたのだろう、晶斗とプリンスは考え直してくれた。先に一階の一番近いトイレから設備状況を調べてもらえることになった。
三人で玄関フロアの右の部屋にある地下への階段を降り、設備管理室に入った。ユニスは、機械装置の類いがさっぱりわからないので、プリンスと晶斗が設備装置をチェックするのを眺めていた。
「問題ないな」
晶斗はスイッチを弄ったりデジタル数字の出ている計器類を確認している。
「普通に稼働していますね。照明は点いているし、水道設備も問題は無さそうです」
プリンスは一通り見終えると、ユニスの側に戻ってきた。
「一年近く閉鎖してたんだよな。最近の管理はどうしてたんだ?」
晶斗が訊ねると、
「特に指示はしていません。建物の外からの見回りくらいでした」
プリンスは短く応えた。
ユニスは問題なしという処だけを理解した。
「じゃあ、中は自分で調べるから、使ってもいいわよね!」
「あ、おい、待てって!」
晶斗を振り切ってユニスは一階に駆け戻った。
ホールを横切り、廊下を走り、婦人用と描かれたドアへ、体当たりするようにして駆け込んだ。
照明は自動点灯した。床には少し埃が落ちているが、予想よりうんとマシだ。元は大人数がいた施設だから、そこそこ広い。大きな鏡のある二つの洗面台、五つある個室は水洗機能のボタンを押せば、水が流れた。
晶斗が入口から覗き込んだ。
「まあ、使ってもいいか。歪みも生体反応もないのは確認したしな。俺はここで待っていようか?」
晶斗の親切な申し出をユニスは丁重にお断りした。
「小さな子どもじゃないんだから、さっきの所で待っててくれればいいわ」
「了解」
晶斗は入口から中をぐるっと見回してから、廊下を引き返していった。
ユニスは、廊下に面した入口のドアを開け放しておいた。トイレに長居するつもりはないが、ここからでも悲鳴をあげたら、プリンスと晶斗に聞こえるだろう。
ユニスは手前の個室を選び、鍵を閉めた。
洗面台は二つとも、蛇口の下に手を差し出せば、センサーが反応して水が出た。
窓辺に汚れた小さな硝子コップがあった。内側には水の乾いた筋が付いていて、真っ黒に萎びた草が数本張り付いていた。きっと一輪挿しだ。野の花でも活けていたのだろう。
こういうのって、たいてい女性が飾るのよね。長い間、誰も使っていないはずなのに、トイレットペーパーも予備まで置いてある。洗面台や鏡は、薄汚れさえついていない。つい昨日まで掃除されていたみたいに……。これって、わたしの気のせいじゃないわよね――――。
ユニスがハンカチで手を拭いていると。
頭上で何かが動く気配がした。
ユニスはギクリとして天井を振りあおいだ。
天井を走る白い影。毛皮ッぽい。もこもこ?
それが、ポトリ、と洗面台に落ちて、すばやく移動した。
洗面台の端で止まった。
白くて、額に角が一本。大きさは猫くらい。背中に白っぽい羽みたいなものがはためいている。黒い目に、鋭そうな二本の牙。顔はどことなくねずみっぽい。
目が合った。
牙を向いて、ギシャーッ、と耳障りな声で威嚇された。
「ひぃえーッ、っやーッ!?」
ユニスは悲鳴をあげながら廊下に飛び出し、玄関フロアヘ走った。




