029:魔物狩人は仕事をする
地響きが追ってくる。
岩の巨人はなめらかに動いていた。
規則正しい早足に合わせて、右に左に突き出されるデカい手はクレーンのようだ。あの手に掴まれたら潰される。体は原型を留めないだろう。
晶斗は、ユニスを抱えているとは到底思えない速度で走っている。
ユニスは晶斗の首に必死で掴まっていた。ウエストに晶斗の左腕がしっかり回されて固定されているが、目線は高いわ、揺れるわ速いわで、生きた心地がしない。いくら護衛戦闘士が体力自慢だからって、ユニスの体重を抱えてユニスが自分の足で走るより速いなんて、どれだけ鍛えたらそうなるのよ、晶斗って何者なの!?――さらに、晶斗はその状態で息も切らさず、併走するプリンスに尋ねた。
「あれ、門番か?」
「たぶん」
「アンタにまかせた」
「承知」
晶斗と短い会話をしたプリンスは、次の瞬間、ふっと姿を消した。
「はれ? プリンスは?」
晶斗の肩の上でユニスは後方を見渡した。
もう岩の巨人はとっくに見えない。
晶斗は「門番か」と言っていた。
ユニスは古文書の記述を思い出した。
古代理紋に付いている守護者の伝説だ。
あの岩の巨人がそうなら、古代理紋の側からはあまり遠くに離れないだろう。おそらく晶斗とプリンスは、ユニスを安全圏へ避難させる時間が必要だった。
直後、落雷かと紛う音が一帯の空気を震わせた。
地面が大きく波打った。
晶斗はユニスを抱えたまま、左へ転んだ。ユニスを庇って背中から転がる。二人して地面を三回転してから止まった。
後方から、頭上を、ビュンッ、と何かが風を切って前方へ飛んでいった。
晶斗はユニスを体の下に抱き込んだ。
ユニスは、固いガードベストの胸に顔を押し付けられた。晶斗の心臓の鼓動が聞こえる。自分の心臓は早鐘のようだ。走っていた晶斗の鼓動の方が、ユニスよりもずっと落ち着いていた。
ユニスは、急いで晶斗から離れなければ、と切実に思った。でないと、心臓がおかしくなりそうだ。――だが、その原因がはっきりしない。この危険な状況による緊張なのか、それとも――ユニスの心臓は晶斗にときめいているのだろうか…………。
「いまのは、地震?」
ユニスは静かに晶斗を押し離した。草の上に身を起こそうとしたら、晶斗の手が惜しむようにユニスの左手首を掴み直した。そして、離さない。
ユニスは黙って、ゆっくりと手首をひねり、晶斗の手を外した。
それで、晶斗もあきらめたようだ。
「なら、震度8ってとこだな。ありえない」
晶斗は腹筋で上半身を起こした。腰を下ろしたままで右膝を立て、来た方をのんびりと見やっている。
二人の視線に応じるように、大木の陰からプリンスが現れた。
「岩の巨人は破壊しました。隠れ家の入口に戻りましょう」
隠れ家に近付くにつれ、地面に落ちている砕かれた岩のカケラが多くなった。
「これって、岩の巨人のカケラよね」
ユニスは、小石を蹴った。綺麗な白い石英のカケラだ。一部に透明な水晶も混じっている。
「すごいな、木っ端微塵だ。さすがは魔物狩人の技だな」
「ふうん、シェインじゃなくて、これは剣の腕なのね。プリンスって器用……」
ユニスは足下の小さな白っぽい小石を掴んだ。
「おい、ユニ……」
晶斗がこちらを振り返ったその瞬間、ユニスの視界がぐるりと回転した。
ユニスは目の前が真っ暗になった。
天地が逆転したようだった。
しかし、倒れてはいない。
瞬きしたら、視界が明るく切り変わった。
視点がやけに高い。
そして、なぜか、下から、プリンスがこちらを見上げている。
――なに、これ。わたしはどうしてこんなアングルでプリンスを眺めているの?
心のどこかで、これは過去の映像だ、と囁く声がする。
ユニスの脳に直接アクセスしている映像記憶なのだと。
これは、岩の巨人が動き、ユニス達が岩の巨人から走って逃げ出した後の出来事。逃げる途中でプリンスは姿を消した。
あの時、プリンスは、風のように岩の巨人の元へ戻った。
それがこの光景だ。
ユニス達を追っていた岩の巨人はその歩みを止めた。
視界に岩石の手が入った。これは岩の巨人の視点だ。
砕かれる直前、岩の巨人が視た、その歩みを阻んだ出来事の真相。
『わたしがシェインで透視している光景じゃない。でも、どこかシェインで視ている時の感覚に似ているわ』
シェインの感覚では、四方を一度に認識する。ユニスはプリンスを見下ろしながら、同時にはるか前方を逃げていく晶斗と自分の存在をも把握していた。
ユニス=岩の巨人の真正面で、プリンスは太刀を抜きはなった。
プリンスと、岩の巨人の視線が遭った。
岩の巨人が敵を認めた。
視界が揺れた。
動揺によって。
ユニス=岩の巨人の内側で、一つの感情が膨れ上がる。ユニスのものではない、岩の巨人のもの。無機物から生成された、感情の無い自動人形に芽生えた、最初で最後の感情。――あり得ない。
岩石が恐怖を感じるなんて!
破壊者として創造された岩の巨人が、小さな人間に脅威を覚え、生まれて初めて、怯えている。
岩の巨人は、やみくもに二つの拳を振り下ろした。
はずれた。
恐怖がタイミングを読み間違えさせた。
プリンスを捉え損ねた岩の拳は、哀れな地面に大穴を穿った。
その衝撃は、辺り一帯の大地を波打たせた。これがあの地震の原因だった。
岩の巨人はしゃがんだ姿勢から体を起こして、立とうとした。
その前に、プリンスが一気に跳躍した。
岩の巨人の眼前に、銀の稲妻が閃いた。
閃光のごときプリンスの抜き打ち。
それは、岩の巨人の記憶の目を覗いていたユニスの網膜にさえ、銀色の弧を焼き付けた。




