気づいたこと 涙 -ラフィニア目線-
「……駄目。」
一言だけ漏らすと、ぐっと声が詰まってそれ以上を言うことを身体が拒否しているみたいです。
首に絡まる不快感を拭おうと、私は両手で首を包み俯きました。
「駄目?…何が駄目なんです?」
私の言葉にクレール様は、先を促すように聞き返してきました。
でも、これ以上話したら駄目!決壊してしまう…。溢れてしまう…。
喉のすぐ下まで上がってきた、その言葉を留めようと必死に力を入れると、予想しないことが起こりました。
私の目じりから、水滴がポロッと落ちたのです。
その水滴は私の涙。
涙は、私の意識とは別でどんどん溢れ出て、ドレスや地面を濡らしていきます。
「ど、どうして………?とまらないっ!!」
何故自分が泣き始めたのか、自分でも訳が分からず戸惑います。
私は溢れては流れる涙を止めようと、両手で顔を覆うけど、涙は止まるどころか次から次に出てきてしまいます。
こんなのとてもみっともなくて、目の前のクレール様から逃れようと、噴水の方へ体を反転させました。
その間に、必死に涙を止めようとするのに、止め方が分かりません。
そして、頬が濡れる感覚で、気が付きました。
私、いつから泣いてない?
ここ最近の記憶でも、私は涙を流し泣いたことがありません。
婚約を解消された時も、あの事件の時もその後も。怖かったし痛かったのに、泣くことはありませんでした。
そう、もっと幼い頃。7歳から、私は泣いていませんでした。
この国では、貴族の娘は淑女として、己の感情をコントロールすることは“美徳”とされています。
なので、泣くことをしなくなった私を両親は、特別“異常”とは捉えませんでした。兄も、そんな私の変化を“成長”として認識していたのでしょう。
私自身もそうでした。
でも、“誰よりも優しく、良心的であろう”と、自分自身に誓ったこの想いで、本当の心を封じると同時に、無意識に涙も封印してしまっていたのかもしれません。
噴水の水音が、私の漏れ出る嗚咽を打ち消して、涙が流れる度に、胸の中に痞えていた重いものが溶け出ていく。
すると、するりと心の中の声が口から零れてしまった。
「“いい子”でいたら、みんなが安心してくれるの。忙しい両親は安らぐし、兄は不安を一つ減らすことが出来る。」
涙を流し続け、顔を手で覆いながらつぶやく。
心の内を言うまいと抵抗していた最後の砦は、涙と共に流され、心の中の思いが言葉になって出てきてしまいました。
頬を伝う涙をそのままに顔を上げ、クレール様を振り返ります。
「いい子でいると、私の世界は平和なの。みんな“それ”を求めていたから。……でも、ダビニオン様は違った。そんな私を“偽物”と罵った。…言葉で、態度で、表情で、私を嫌いだと攻め立てた。」
そう。ずっと思っていた。意地悪では済まない彼の態度が怖かった。ぶつけられる言葉が痛かった。
平和な世界を暴力的に壊そうとするダビニオン様に、どう触れていいのか分からなかった。
「私の世界は変わることを望んでないのに、恐怖でその世界に無理やりこじ開け入ろうとするダビニオン様が、怖くて怖くて仕方なかったっ。」
自分から出てきた言葉に、ふと気が付く。
……私にとってダビニオン様は侵入者であり、私の中の世界に入れたくない人だった。
理解すると同時に、自分自身が信じられなくなってきた。
等しく他者を好きでいようと思っていたのに、ダビニオン様を嫌いだった自分自身がいたのだ。
私の世界に彼は必要ないと、ずっと前から排除していた。
そしてきっと、彼もそれをずっと前から理解していた。
だから、彼は私に自覚させようとしていたのかもしれない。
理解させるために、傷つける言葉を選び、こじ開けようとしていた。
私は心の中で、俺を嫌っている。って。
何て最悪な女。
自身を偽って、いい子に思われたくて嘘で固めた自分。
ダビニオン様を庇うように見せかけて、無意識に“嫌い”と伝えてきたのだ。
「でも、ダビニオン様をそうさせたのは、私。」
心に溜まっていた言葉は、私自身の新たな気づきを生み、それは自分自身の胸をえぐっていく。
これから、私はどう生きて行ったらいいの?
生きてきたすべてが、間違っていたと気が付いてしまった。
私の生きてきたすべてが、ダビニオン様という一人の人を、最悪の形に壊してしまった。
泣き続けた涙が一滴伝うと、それは止まった。
私は泣く資格がない。
ガクッっと膝から崩れ落ちると、両手を地面に着いた。
噴水の前に沈み込んだ私に、そっと近寄るクレール様の影が落ちる。
私は、彼を見上げて、泣き笑った。
「婚約を破棄してください。私は貴方と一緒にいてはいけない。」
目の前にいる優しい彼を、私みたいな人間と一緒に居させてはいけない。
私は、彼との一時の婚約を今ここで解消することにした。
「嫌です。」
だけど私の頭に降ってきた言葉は、否定の言葉だった。
そして、地面に崩れ落ちている私を手を引っ張って立たせてしまう。
私は少し見上げるような体制で、クレール様と見つめ合います。
彼の瞳には、憎悪も嫌悪もない、優しく真摯な光を放っています。
力が入らない私を、彼の逞しい腕が支えてくれています。
「言いましたよ?私は貴女が大切だって。私に取ってラフィニアは特別な人なんです。」
「駄目です!そんな風に思っていただけるような人間じゃない!私は最低な女ですっ!」
心からの叫びだった。
こんなに優しい彼をこれ以上、私と関わらせてはいけない!だから、彼に支えてもらっている手を、力いっぱい振り切ろうと思うのに、その腕はびくともしません。
放して欲しい。もう。お願い。
潤む目で彼を見上げると、近づく顔、真面目な彼の瞳とぶつかりました。
「…最低なんかじゃない。どんなに理由があったにしろ、女性を貶め蔑んでいたダビニオンは、許せない。許しちゃいけないんです。……ただ、そうさせてしまった自身の責任に、貴女は気づいた。最低なんかじゃないんです。貴女は気が付いたのだから。」
そういうと、慈しむようにそっと私の片手を包み込んでくれました。
その手は、さっき彼に巻かれたハンカチの手です。
「人間は完璧ではありません。だから、私が貴女の傍にいます。今度間違ってしまったら、ちゃんと近くにいて言います。でも、私も間違えるかもしれません、あの時のプレゼントの時のように。」
彼の言葉で、遠い昔のように感じる、あの時のあのプレゼントの山を思い出しました。
茶目っ気な笑顔を見せる彼を見返しますが、彼の思いに答えていいのか、やはり不安で、「でも………」と呟き、視線を泳がせてしまいます。
「…もし、貴女が過去の自分を許せないのなら、今からの自分を変えていきましょう。大丈夫、貴女は賢くて優しくてちょっぴり天然な、私の婚約者なのですから。」
この時、私に向けるクレール様の顔を、私はきっとずっと忘れません。
優しい仕草でハンカチを巻いた手に顔を寄せ、キスを落とすと、反対の手は私の腰をぐっと引き寄せてしまいました。
この世界の誰よりも、優しい私の婚約者様です。
夏の終わりの季節、陽が傾き夕方になります。
クレール様が「帰りましょう。」と言って、私を公園の出口で待つ馬車までエスコートしてくれようとするとき、はたっと気が付きました。
「あの、クレール様。」
「何か?」
立ち止まったクレール様は、私の顔を覗き込みました。
…心なしかいつもより顔が近いのは気のせいでしょうか?
心の動揺を悟られないように、目を泳がせながら懸命に言葉を紡ぎます。
「…クレール様、私に言いましたわ。その……怒っているって。」
「あ…あれは…………。」
すると今度はクレール様が目を泳がせてしまいました。
なんでしょう。
やっぱり、こんな私は嫌いなのでしょうか?
不安で、続く言葉を待っていると
「………マリエッタ嬢と話をしたんですよ。貴女は、私がマリエッタとの復縁を了承するなら、快く別れると言ったそうですね?」
「いえ…快くとは………言っていないです。」
それらしきことはマリエッタ様と言いましたけど。
あ!でも、マリエッタ様とお話ししたのなら、私との婚約はやっぱり白紙?あれ?でも先ほどのお話しだと??
なんだか、8年分の涙と10年分の心の壁が決壊したことで、思考の糸が絡まっていて、すっきりしません。
知らず知らずに眉が寄っていたのでしょう。クレール様は私の前髪を上げると、そこにまさかのキスをしました。
「はひっ?!」
まさかのキスに(おでこですが)動揺すると、クレール様は今まで見た事がない、イタズラ顔で口元を緩めています。
「そんなこともう言わせないように、私、頑張りますから。覚悟してください。」
ドキドキドキドキ……
駄目です。私はきっと心臓病にかかってしまった。
だって、こんなに激しい鼓動、今まで経験したことないんですもの。
クレール様にエスコートされながら、手と足が左右同じで出てしまったのは、内緒です。
そんな彼と隣だって歩きながら、私はある事を決意していました。
ダビニオンを追い詰めていた自分に気が付いたラフィニアさん。
クレールがあまーーーーい!(←某ハンバーグ芸人ではありませんw)
でも、ラフィニアはある事を決意しました。
このままラブラブにはしませんよ?それに、お気付きですか?お互いまさかの“好き”を言っていないんですな。




