遠い日の記憶 天使 -ゲイル目線-
再び眠りについたラフィニア。
妹の手を取って握ると、温かい。
小さいラフィニアが海風に当てられて熱を出して、看病したことがあったっけ。
こんなふうに。
15歳になった眠るラフィニアの手を掛布団の中に直し、起こさないように頭を撫でてやる。
柔らかい髪は手にさらりと馴染み、何故だかホッとする。
小さかった頃の面影を残したラフィニアの額に軽くキスすると、立ち上がった。
部屋の扉の前で待機させていたクレールを振り返ると、分かりやすい顔をしている。
「駄目だ。寝てる淑女に近づくのは、“今はまだ”婚約者だろうと許さないからな。」
「“今はまだ”って…。せめて、無事を確認したいんです。」
「俺が確認したっての。ほれ、部屋から出るぞ?」
俺はそれでも食い下がるクレールを、力づくで部屋から押し出した。
部屋を出る時に、カレンに目配せする。
頼んだぞ。
すると、伝わったのだろう。俺に一礼をしたのを見届けて、今度こそ扉を閉めた。
廊下に出ると、まだ諦めきれていないクレールは、恨めしい顔をしている。
「ラフィニアが目覚めたんだ。良かっただろ?」
「そうですが…。私はまだ彼女に触れてもいない。」
「一生触れんな。…お前、ビスターみたいな事言ってんじゃねぇよ。」
俺は呆れ顔でクレールを見るが、クレールは至って真面目な顔だ。
「ビスターみたいに、誰でも言いわけではありませんよ。」
「…そうかよ………。」
何故だろうな、この会話は、ビスターが聞いたら泣いちゃうだろうな。
面白いから、いいけど。
「さ、帰れ。次、いつ目覚めるかも分からないんだから。」
「すぐに目覚めるかも!」
「“かも”で、居座るな。お前も忙しいだろう?…俺も“イロイロ”忙しいんだ。いいから帰れ。」
俺が「シッシッ」と手で追い払うように動かすと、クレールが「そうですね。ゲイルは今、一番忙しいですよね…。」と独り言のように呟いた。
その後、顔を上げ俺を見る。
「あの、領地へはいつ帰還を?」と、あまりにも神妙な顔をするので、苦笑するしかない。
「ラフィニアがある程度、回復の見通しが立ってからとは思っている。…だが、少し気になる事もあってな。実は後5日もいられない。」
クレールに話しながら、内心は苦い思いが喉を上がってくる。
本当は、後2日程で出立したいところなのだ。
国王陛下への開戦に向けた書類提出も済んでいるし、王都に集う各貴族達への根回しも終わっている。
領地では、今も緊張状態が続いていることだろう。
祖父、そして父母も領地を守ってはいるが、次期侯爵としての俺がいないと不安は拭えない。
「……ゲイル。」
「今度はなんだよ?」
俺が脳内フルで考え事をしていると、クレールに呼ばれ、息を吐く。
すると少し言いずらそうに、視線を外された。伏き気味のクレール。
「……ラフィニアは言ったんです。身も心も壊れることを望まれ、自害まで強要してきたダビニオンに。“どこまでも望む通りにする”と……。彼女は奴の要求をすべて受け入れようとした。……どうしてですか?あんなに傷ついて、怖い思いをしたのに。それでも彼女はすべてを許そうとした。……不自然です。…思い返せば、彼女は出会った時から少し不自然でした。彼女の持つ“優しさ”と“天然な発言”時折見せる“兄への気遣い”に惑わされてしまった。彼女の感情は偏っている。」
言い終わったクレールは、自身の言葉にはっとして口を塞いだ。
そして「あの…言い過ぎました。」と呟く。
俺はクレールの言葉を聞いて、自分の中にあった一つの思い出が浮かんでいた。
そして、クレールに背を向けると、クレールを置いて歩き出す。
ずっとあった、ラフィニアの違和感。
それが形になって俺の前に迫ってきたようだった。
俺はクレールを廊下に残し、自室に入ると扉を閉めた。
陽が傾いている。夕方になる手前の、まだ明るい室内。
ベッドの上に勢いよく倒れ込んだ。
こんな時間にベッドに転がるなんて、何十年ぶりだろう。
クレールを廊下に置いてきてしまった。
…しかし、我が家の執事と侍女は有能だ。きっと俺の思いを汲んで、代わりにクレールを送ってくれているだろう。
ベッドに仰向けになると、眼鏡を放り投げ片腕で目を覆った。
視界が真っ暗になる。
そんな中、妹を思う。
ラフィニアは、喜怒哀楽の、“怒”と“哀”といった負の感情を表に出さない。
その感情になる前に、妹は自分を殺し、“自身が悪い”と言うのだ。
いつから?
ずっと昔。
俺が12歳、ラフィニアが2歳になったばかりの頃だった。
他の領地に比べ、コンタージュが守るこの地は統治が難しく、祖父も父も母も毎日忙しく動いていた。
生まれてからずっと、ラフィニアは俺や家の使用人たちに育てられていた。
「おにいちゃま。おにいちゃま。」
10も歳の離れた俺の妹は、愛くるしい笑顔で、よちよちと俺の後を追うことが多かった。
どこへ行くのも一緒。
それは朝から晩まで、ずっとだった。
俺が家庭教師の授業を受けるときですら、ラフィニアは隣でいい子に座り、お絵かきをするような子だった。
ある日、俺は王都の学院へ入学することが決まった時。
しばらく傍を離れる妹と思い出づくりにと、自邸を出て、海の目の前に広がる街に出た。
侍女や護衛も付け、俺達は店を冷やかしながら歩く。
ラフィニアにとっては、見る物全てが真新しいらしく、きょろきょろキラキラした顔をしている。
連れてきて良かった。
俺は、小さな妹の手を引いて、装飾品を扱う露店で足を止めた。
「ラフィニア。何か買ってあげるよ。何がいい?」
ラフィニアの身体を抱き上げ、露店を覗かせる。
異国のボタンや、髪飾り、指輪にブローチ、色鮮やかなリボンが吊るされている。
この町は、勿論物件を構えた店も多いが、こういった露店は、異国の物が多く見ていて楽しいのだ。
ラフィニアは「しゅてきっ!」と言いながら興奮し、俺の腕から身を乗り出そうとする。
「危ないって、ラフィ!」俺が叱ると、ラフィニアは「これぇ!これ!」と小さい手で吊るされているリボンを掴もうとしている。
俺はラフィニアを腕から下ろし、「俺の足を掴んでるんだよ?」と言い含め、露店の店主に綺麗で艶のある赤いリボンを指さした。
「これを。」
「はいよ、若君。妹様へのプレゼントですか?」
「あぁ。」
店主は赤いリボンを布で包んだ。俺も、金を渡すとその包みを貰う。
手にスッポリと収まる小さな包み。
妹の喜ぶ顔が見たくて、下で俺の足を掴んでいるはずのラフィニアを見ると、妹の姿はどこにもない。
「ラフィニア?……え?ラフィニア?!」
きょろきょろと当たりを見る。小さい背中、ミルクティー色の柔らかい髪の毛の俺の妹。
膝を付いて、目を凝らす。
「ラフィニア!出ておいで!!」
必死にラフィニアを呼ぶが、妹は未だ見つからない。
パニックで頭が回らない。
すると
「ゲイル様!どうされました!?」
俺達の後ろを一定距離、離れて見守っていた護衛達が近づいてくる。
俺は彼らの存在をすっかり忘れていた。
彼らが保護している可能性だってある。
「ラフィニアがそっちに行っているだろ?!」
大人がこんなにいるんだ、いないはずがない。
それなのに、護衛や侍女達は首を振り慌てだした。
「ゲイル様と、ご一緒だったのではないのですか?!」
「人も多く出ているこのエリアでは、お2人を遠目から護衛することしか出来ず……。」
「ラフィニア様を探しましょう!まだきっと近くにいらっしゃいます!!皆様も、急ぎましょう!!」
自身のせいではないと、落ち度を擦り付け合う護衛と侍女達、その中で最近入った侍女だけが、すぐにラフィニアを探そうと動き出した。それが、カレンだった。
護衛達とラフィニアを探す。
声を張り上げ、ラフィニアの名を呼ぶ。
街の住人達もラフィニアの名を呼び、町中が妹を探す手助けをしてくれた。
しかし、それがいけなかった。
潜伏していた賊に、貴族の娘ラフィニアが居なくなったと知られてしまったのだった。
「ラフィニアーーーー!!!ラフィーーーー!!出ておいで!!」
ラフィニアを探して、表通りから裏の細い道に入った。
すると、女の子の鳴き声が聞こえる。
「ラフィ!!!!」
俺が名を呼ぶと、賊は俺を見てニヤニヤしている。
「お、おにいちゃまぁーーーー!!!」
小さいラフィニアは1、2個積み上げられた木箱の上で泣き叫び、俺に向かって両手を伸ばしている。
「よう、貴族様。俺達お金がないんだよ。」
「そーそー。君んとこが俺達の入港を拒んだりすっから、こんなにお金に困っちゃった。」
汚れ草臥れた服を着て、頭もボサボサ。なのに、持ってる刃物は嫌に綺麗に手入れされている。
俺は護身用に持たされた、腰のサーベルを引き抜く。
「入港拒まれて、お金がないは結びつかない。いいから、妹を返せ。」
「はっ!坊ちゃんが俺達に敵うと思うなよ!!」
俺に向かってくる賊2人、俺はサーベルを構え向かいくる賊を仕留めていく。
時間で言うとものの数分。
あっという間に、奴らを道に沈めた。後で護衛に捕まえさせよう。
コンタージュの息子を舐めるなよ?
「おにいちゃまーーー!!」
「ラフィニア、おいで。」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたラフィニアは、俺に向かって走ってくる。
俺は妹を受け止める為、サーベルを戻そうとした瞬間。
ラフィニアが座っていた木箱の後ろから、小柄な男が顔を出した。
奴はラフィニアに向かって、短剣を投げようとしている。
「ラフィニアっ!!!!」
俺は、自分が持つサーベルを投げていた。
その男の胸に俺のサーベルは突き刺さり、目を見開いた男はそのまま後ろに倒れていく。
「おにいちゃま!おにいちゃま!!」
俺の脚は力が入らず、膝が崩れ落ちた。
すると、泣き叫ぶ妹が俺の腕の中でしがみ付いている。
俺は初めて、人を殺した。
泣き叫ぶ妹を抱き上げ、俺は大通りに出た。
道に出ると、護衛や侍女たちと合流する。
俺は、裏路地に倒れている男たちがいると、護衛に力なく話、ラフィニアを侍女に預けた。
帰りの馬車の中で、俺は侍女の胸の中で眠るラフィニアを見る。
先ほど、目が無くなってしまう程泣いていたのに、頬を赤くして安らかな寝息を立てていた。
自邸に帰ると、祖父と父、母に呼び出された。
「…ラフィニアを助ける為に、こんな事件になったんだな。」
「…助ける為とはいえ、私は人を殺しました。」
3人の親たちに囲まれ、俺は、自分の両手を握りしめた。
全て、俺が至らなかったからだ。
あの時、ラフィニアを離したから。
後悔してもしきれなかった。
眉間に深い皺を寄せると。
祖父の声が部屋に響いた。
「お前はまだ成人になっていない。しかも相手は密航者。…後の処理は私たちがしておく。」
「俺は?」
祖父を見る為顔を上げると、横に待機していた母が俺と視線を合わせる為、膝を折った。
顔を寄せて、俺の握りしめた両手に母の手が重なった。
「………ゲイル。貴方は、そう遠くない未来に沢山の人を殺すわ。それは、この国を守る為、この領地を守る為、人々を守る為にね。この手は血に塗られる定めなの………。慣れて欲しいとは言いたくない。ただ、覚悟を持つのが少し早まっただけ。ゲイル。ラフィニアを守ってくれてありがとう。」
俺と同じ琥珀色の瞳。母は、ラフィニアを少し厳しくしたような雰囲気を持っている。
母の言葉に衝撃を受けると共に、自身の未来が不安に揺れる。
俺は、人を殺す定めの人間。
覚悟をしろって。
なんで、そんなことをしなくちゃいけないんだよ!!!
軋む心を隠しながら、俺は両親たちから退室を許され、自室に戻ろうとする。
静かな廊下を歩いていると、真っ白い寝間着に身を包んだラフィニアが枕を引きずって、目を擦っている。
「…おにいちゃま…?いっしょねよ?」
ふわふわした口調だから、レム睡眠に近いのだろう。
無垢な妹は天使のようで、俺は寝ぼけるラフィニアを抱きしめた。
「僕の天使。お前は、僕の良心だ。お前だけは、俺が何をしようと、最後まで俺の味方でいて。」
天使に懺悔するように、ラフィニアを抱きしめる。
柔らかく温かい妹は、俺の心を浄化していくようで、俺は無意識に涙を流していた。
頬を伝う涙が、意味わからずぼーっとしているラフィニアの寝屋着を濡らしていく。
俺は、泣き声を押し殺して、泣き続けたのだった。
そして、俺は予定より早く、王都の学院へ入学をすることが決まった。
俺を学院へ送るとき、祖父、父、そして、母に手を繋がれたラフィニアがいた。
その頭には、俺が贈った“赤いリボン”を髪につけて。
「おにいちゃま、どこいくの?」
何が何なのか分かっていないのか、ラフィニアは不思議そうに俺を見上げている。
俺は腰を折り、小さいラフィニアの頭を撫でて、ふくふくの頬を撫でた。
赤いリボンを見ないように、ラフィニアの顔を見る。
「俺は勉強をしてくるんだ。ラフィニア、いい子でね。俺の可愛い天使。」
「はい。おにいちゃま!ラフィね、きょうはさかなよんでほしい。」
「うん。戻ってきたら読んであげるよ。」
毎晩読んでいた絵本の催促をするラフィニアに、やっぱり分かっていないのかと笑ってしまうと、厳しい祖父の声が背中に掛かる。
「そろそろ出発しろ。」
「勉学に励めよ。身体に気を付けて。」
「手紙を書いてね。」
父と母に言葉をもらい。
俺は父たちへ礼を取り、顔を上げた。
「行ってまいります。」
そういうと、待機してあった馬車に乗り込む。
馬車は走り出し、俺の身体が揺れる。
「おにいちゃまーーーーー!!はーーく、かえってねーーーーー!!」
馬車の外から幼い声が聞こえる。
窓から顔を出すと、ラフィニアが母の手を引っ張って、俺を追うように足をバタバタさせながら、ずっと手を振っている。
頭の赤いリボンが妹が動く度に、揺れている。
俺は、潤む目を擦って馬車の座席に今度こそ沈み込んだのだった。
目覚めたラフィニアは、その晩からうなされている。
日中に、妹と話をするが「何でもない。」と繰り返すばかり。
領地へ戻らなくてはならないタイムリミットも迫っているのに、目処が立たない。
もう、駄目だった。
俺は、手紙を2通したためた。
1通はシルビア。もう1通はクレールに宛てた物だ。
執事に急ぎ届けるように伝えるのと同時に、明日の午後王都を立つ旨を話した。
明日、王宮に行こう。
2歳のラフィニアを助ける為、ゲイルは初めて人を殺してしまいます。
自身の罪は裁かれるものと思っていたゲイルは、裁かれず。それどころか将来“守る為”に人を殺すことになると、実の母から告げられるのです。
…お母さんひどいな~とか思うかもしれません。12歳に言うなよとも。
しかし事実なんです。コンタージュは軍を持っており、自国を守る為に人を殺します。綺麗事で国は守れないのです。15歳で成人になるこの国では、この時期に伝えることになったのは遅いとも言えるかもしれません。
それぞれが、それぞれの事情を持って生きています。
もうしばらくお付き合いください。




