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Ewig ― 永遠 ―

 


「残念ですが、私の手には負えませんな。これはただの病ではない。本人にすでに生きようとする力が無いのです。こればかりは医者の力ではどうすることもできません」


 はっきりと告げられた言葉にスザネは呆然とするしか無かった。ありがとうございますと頭を下げて医者を見送ったあと、クルトの横たわるベッドの傍に寄って彼の寝顔を覗き込んだ。痩せ細って色を失った彼は別人のようだ。宮廷で多くの賞賛を浴び自信に満ちて輝いていた面影はもうどこにもない。


 母親が亡くなり悪魔の館が焼けたあと、スザネはクルトとふたりで都に越した。クルトはすでに宮廷で絶大な人気を誇るバイオリニストであったから、ふたりには裕福な生活が保障されていた。クルトの演奏だけでなく、大公妃はそれを支える気丈な妻のことをも気に入って、彼女に作法を教えて自分の身の周りの世話をする侍女に取り立ててくれた。整った容姿で情感豊かなバイオリンを奏でる青年と、宮廷で何でもてきぱきとこなす元気のよい侍女。少し変わった組み合わせではあるが、貴族たちは誰もこの若い夫婦に好感を抱いていた。

 ふたりの未来は明るかった。そうしてやがては子どもを儲け賑やかな家庭を築くのだと夢を抱いていたスザネに悪夢が襲った。クルトが原因不明の病に倒れ治る見込みはないと医者から宣告されたのだ。幸せの真っ只中にいたはずのスザネは打ちひしがれた。クルトの身体は日に日に弱っていくばかりだった。


 痩せ細り二度とバイオリンを持つことはないであろうクルトの手をスザネは両手でそっと包み込んだ。その手に頬を押し当てて震える声で寝顔に問い掛けた。


「何で生きようとしないんだい? 望むものはすべて手に入れたじゃないか。それでもまだやりたいことはあるだろう? 今の暮らしならまだまだ夢は叶うのに。あたしだって、あんたと一緒に幸せな家庭を作るって夢があるんだよ。それなのに……」


 スザネの問いかけにクルトがゆっくりと目を開いた。スザネは身を乗り出しクルトの顔を覗きこんだ。


「スザネ、すまない。ぼくのことは忘れてくれ。スザネはぼくが居なくてもちゃんと生きていけるよ。君は明るくて気の良い娘だからきっとぼくよりも良い人が見つかるはずだ。

 ぼくは病気ではない。ぼくは悪魔にこの身を売ったんだ」


 スザネは驚いて声を上げた。


「どういうこと?」


「ぼくはずっと苦しんでいた。ぼくのバイオリンが聴いてくれる人の心を打つというのなら、それはぼくがバイオリンに狂おしいほどの想いをぶつけていたからなんだ。その想いはずっとひとりの女性に向けられていた。それはローゼマリアなんだよ」


 スザネは言葉を失った。


「ぼくはこの手で彼女を葬った。一緒に死のうとしたが彼女はそれを止めた。一緒に命を絶っても堕ちる先は別々だと。この想いは諦めるしかなかった。

 しかしぼくのバイオリンは彼女が育ててくれたものだ。都に来て演奏をするたびに彼女のことが思い出された。忘れるどころか自分の奏でる音色が彼女の歌声と重なってますます強く思い出されるんだ。絶賛を浴びるたびに横で彼女が笑っているような気がした。

 そしていつも寝る前になると鮮明に蘇ってくるんだ。ローザと出会ったあのときのことが。

 これは彼女の魂が惑わしているわけじゃない。彼女の魂はここには居ない。ぼくの想いが彼女の魂を捜し求めているんだ。

 堪らなくなってぼくは悪魔に誓った。彼女の魂にもう一度巡り逢わせてほしいと。そのためにはぼくの身体を捧げると。悪魔は応じてくれたよ。もうすぐぼくの身体を獲りに来る。そして彼女に逢うんだ。地獄の底であろうとも彼女にふたたび逢えるなら、ぼくは何も厭わない」


 返す言葉が見つからない。スザネが悪魔から取り戻したはずのクルトは、結局自ら悪魔を喚び寄せてしまったのだ。

 スザネは思った。悪魔を喚ぶのは人間の悪意や欲望ばかりではないのだと。ただひたすらに人を想う気持ちも過ぎれば狂気となって悪魔を喚び寄せるのだということを。そして誠実がゆえにそれに囚われてしまった人間を救い出すことは、おそらく出来ないのだ。だからこそこの世から悪魔が消え去ることは無いのだと。

 誰の人生にも、魔の落とし穴は存在するのだということを……。




******************************************************




 柔らかな光が木々の間を抜けて点々と地面に落ちている。背の高い針葉樹の群れは陽の光を掬ってしまい、そこからこぼれてきた僅かなものだけが地上に落ちるのだ。人はその森を怖れる。暗く禍々しいものが棲むのではないかと。しかし人は森に憧れる。多くの命を育み、多くの恵みを与えてくれると。勝手なものだとクルトは思った。クルトにとって森は自分の身に降りかかった多くの問題を浄化してくれる大切な場所だ。

 その日はクルトの新たな人生が始まった日だった。彼の得意とする楽器の演奏を初めて人前で、然も名のある貴族の前で披露したのだ。楽団の一員として。結果は散々なものだった。彼の音楽の個性的な音色を主張することは赦されなかったのだ。仕方がないとはいえ、これからずっと彼の想いとは違う退屈な音楽を奏で続けていくのだろうか。考えるとぞっとする。しかし楽器で生活するには必要な我慢だ。未来への希望との狭間で若者の心は葛藤していた。


 微風とともに美しい音色が流れてきた。それは今まで聴いたことのない澄んだ声だった。誘われて踏み固められた道を逸れ、ほとんど跡も消えかけた脇道へと入っていった。

 眩しい光に出会うことなどない深い森の中に突然、光に満ち溢れた広い庭が現れた。たくさんの花が咲き乱れて甘い香りを放っていた。暖かな場所を好む虫たちが愉しげに羽音を立てて飛び回っている。何かに導かれるようにクルトはその美しい庭に足を踏み入れていった。花の色彩の間を進んでいくとあの清らかな声がまた響いてきた。今度はすぐ近くで。

 いつの間にか花の生垣を抜けて青々とした芝生に覆われた広い空間に立っていた。そしてその正面に古くて豪壮な建物があった。都の下級貴族の館よりもずっと大きく立派な館だ。そして『声』は、物珍しそうに建物を眺めていたクルトのすぐ頭上で響いた。

 館の正面に張り出したバルコニーで女性が歌を歌っていた。透けるような金の髪を微風に靡かせて、華奢な腕を前に差し延べて僅かに天を仰ぎ、空や森の彼方にまで聴かせるように声を張り上げる。小鳥の囀りか鈴の音か。繊細な高い音が森の空気をさらに清らかにし、降り注ぐ陽の光をより輝かせた。

 思わずクルトは持っていたケースを置き、中からバイオリンを取り出した。彼女の奏でるメロディに耳を澄まし、その流れに自然と乗るようにバイオリンを奏ではじめる。

 女性は驚いた顔になって下を向いたが歌は止めなかった。バイオリンを弾きながら見上げるクルトと目が合い、しばらく無表情で見つめていたが、やがて嬉しそうに顔を輝かせてますます声を張り上げた。

 二人の音が重なり合い、広大な黒い森に流れていく。

 そのときクルトは感じた。この出会いは永遠のものになるであろうと。



                                                              Ende









***********


イタリア、パレルモの『ロザリア』をご存知だろうか。

世界一美しいと言われている二歳の少女のミイラ。

1920年に亡くなってからこれまで、まるで生きているかのような艶のある美しい顔。体も完全に残されている。

父親の希望で、ある医師によって秘密の処置がされたあと、地下納骨堂カタコンベに安置されたが、それから数年で家族が参ることはなくなったという。


昔その姿をテレビ番組で観て驚き、同時になんだか哀しくなった。

彼女は死んだときのままどこか辛そうな顔をしている。

本当にそんな姿で残してほしかったのだろうか。もしかして天国に行くこともできずにいるんじゃないだろうか。見た目は美しくてもその魂が閉じ込められていたのだとしたら……。


思わずそんなことを考えて、この話の原型を思いついた。



黒い森(シュバルツバルト)は、ドイツ西南部にある広い森林地帯。グリム童話の舞台にもなった場所。日差しが降り注ぐイメージのイタリアよりも、どこか謎めいていて多くの伝説の生まれたこの地域が物語のイメージにしっくりと重なってこんな設定になった。

ここ最近、『スノーホワイト』や『赤ずきん』といった童話をもとにした美しいホラー映画が作られていてとても素敵で、あのグレイ掛かった薄暗い映像をイメージしながら書いてみた。

シュバルツバルトは豊富な木材を利用した木工細工が盛ん。そこでなら美しい音を奏でるバイオリンも作れるのではないだろうか。そこで音楽なども取り入れて。


楽器とホラーといって思いついたのは、平家の怨霊に惑わされて毎晩亡霊たちの前で琵琶の演奏をする『耳なし芳一』の物語。それをヨーロッパ風に設定しなおして。



***********


そんないろんな想像をつなぎ合わせて出来た物語です。

ホラーの企画に合わせてそれなりに場面を工夫してみましたが、恐怖要素より悲劇のラブストーリーといった要素が強くなってしまったと思います。

それでも最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!





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