終章の蛇足
スペイン語ならサン・フアン・バウチスタ、
ポルトガル語ならサン・ジョアン・バチスタ、
英語ならセント・ジョン・バプテスト。
これ皆等しく洗礼者聖ヨハネである。
聖ヨハネの祝日は六月二十五日。
グレゴリウス暦の六月二十五日は、ユリウス暦では六月十五日にあたる。
一六一六年六月十五日、平戸では特に変わったことが無かったのか、筆まめな商館長リチャード・コックスは珍しく日記を書いていなかった。
この日に反乱は起こらなかった。
これだけは、間違いなく歴史的事実である。
同年の前月に「高砂」すなわち台湾へ遠征すると称して発った長崎代官村山等安による十三隻の船団は、五島沖で難破した上、海賊に襲われたらしく、結局目的を果たせずにちりじりになってしまったらしい。
イエズス会財務官のカルロ・スピノラも、天正少年遣欧使節の一員である中浦ジュリアン神父も、少なくともこの年にはまだ殉教していない。
松東院は――
此処で突然創作者が顔を出すが、実は、平戸の御館の東側が「松東院」の在所ではないかと想像したのは単に名からの発想であって、はっきりした根拠はない。
この付近にはその昔松浦家の側室たちが住まう屋敷があったとかで、大久保の馬場へと続く坂路は「御部屋の坂」と呼ばれていたそうだ。作中で想定した「松東院」は、その側室たちの屋敷のあたりになる。
側室と言えば、平戸藩の初代藩主である松浦法印鎮信が寵愛した朝鮮人の側室は、「小麦様」という奇妙な呼び名で知られていた。
小麦様は、法印の死後には剃髪して根獅子に住まい、寛永十九年に世を去ったという。
小麦様の息子の松浦蔵人信正は、その後、平戸藩の重臣たる西口松浦家の祖として敬われることになる。西口の名称は城の西に屋敷を構えていたからだというが、この家名はおそらく大分時代を下ってからつけられたものだろう。
小麦様の時代に、平戸に城はない。
了
完結いたしました。
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