第三章 難波の夢 五
「ああそうだミスター・イートン、紙とインクを持って倉庫に来てくれ」
食堂を出しなにコックスがふと思い出したように云った。「佐兵衛殿への贈物が鉛だけじゃ心許ない。それなりの品を添えたいから一覧表を作るよ」
「はい商館長」
私室へ戻って筆記具を調えてから倉庫へ向かうと、扉がすでに開いていた。中からコックスが小声で命じる。
「入りなさい。念のため閂をかけてね」
扉を閉じると小窓から射す光線が胡椒の袋の上に落ちた。
土の匂いと黴の匂い。微かな丁子の芳香。
あのときと同じ匂いだとイートンは思った。
途端に胸騒ぎを感じた、
「――キャプテン・コックス、何か良くない報せが?」
「ああ。君にとっては、おそらくかなり悪い報せなんじゃないかと思う」
コックスが階段の下の布袋に目を向けながら云った。
「王の館で豊後殿から聞いた。二ヵ月ばかり前、京で秀頼様の庶子が捕まって斬首されたそうだ。実際に京にいた豊後殿の話だから、疑う余地は殆どないと思うよ」
「――それが、私にとって良くない報せだと?」
「なあウィル、そろそろ本当のことを打ち明けてくれよ」コックスが微かに焦れたように言った。「君が大阪から託されてきた宝物は、その子が逃げ延びて蜂起したときに渡すべきものだったんだろう?」
「――やはりお分かりでしたか」
「推測だがね。秀頼様が薩摩に逃れたというのが目晦ましだとすると、他の誰かが薩摩ではない何処かへ逃れようとしていた、ということなのだろう?」
「その通りです。私が宝物を返すはずだった相手は、お察しの通り秀頼様の庶子です。大御所様の目が薩摩へ向いている間に、その小皇子がフランシスコ会士の手で別の場所へ逃される予定でした」
「別の場所とは?」
「北部ですよ」
「ああ、ああ成程。なるほど政宗殿か! 例の北部の大貴族だね。彼は日本のあらゆる陰謀の黒幕になっているみたいなだあ――」
コックスが妙にうっとりとした口調で応じた。ロビン・フット、とかキャプテン・ドレイク、とか、そういう人名を聞いた少年を思わせる表情だ。まだ見ぬ北部の大貴族が何となくお気に入りらしい。イートンは苦笑しながら頷いた。
「ええ。その通りです。フランシスコ会と手を組んでヌエヴァ・エスパーニャに船を送った、大御所様の末息子を娘婿にしている、常に反乱の噂の絶えないあの北部の大貴族に、小皇子の庇護を頼む予定でした」
「彼への見返りは?」
「北部の独立ですよ。真田様は、政宗殿の宿願は日本全土の支配ではなく、あくまでも所領内の自治権を保つことだと考えていました」
「考え抜かれた計画ではあった訳だ。しかし失敗したんだね?」
「どうもそのようですね」
イートンはため息をついた。「この計画は元々五分五分以下の賭けだったのだと思いますよ。もしも失敗した場合には――つまり、小皇子の死が確実に公表された場合には、私の判断で宝物を処分してくれと頼まれていましたから」
「処分って、まさか平戸湾に放り込めって?」
「いやまさか。――宝物はね、実は黄金の塊なんです。重さ一六ポンドの純金の塊です。それを潰して単なる金属として使っていいという約束でした」
「それがつまり、我々の得る最小の利益ってことだね?」
「手間賃としてはそこまで安くもないでしょう?」
「そうだね。純金ならね。しかし、君はその宝物を本当に潰しちまうつもりなのかい?」
「他に何に使えと?」
「逃亡した小皇子の身分保証にできる品なら偽の秀頼様だってでっちあげられる。私が悪辣な薩摩の王で、そんな素敵な代物が手元に転がり込んできたなら、これを機にイエズス会士とでも組んで偽秀頼様を掲げる気がするね」
「残念ながら旦那は薩摩の王じゃないし、薩摩の王はたぶんそんなに悪辣じゃありませんよ」と、イートンは肩を竦めた。
「契約は契約ですからね。小皇子の死が確実である以上、約束通り潰して単なる金属にします。いずれ、バンタムででもね」
イートンが溜息をつきながら答えると、コックスは目を細めて微笑した。
「素晴らしいよウィル。それが誠実なやり方だ。イギリス商人は偽物なんか扱っちゃいけない」
「心がけます。ところで、佐兵衛殿への贈物は何にしましょうか?」
堺奉行の長谷川佐兵衛は、今の長崎奉行の叔父で、妹が徳川家康の愛妾であるために絶大な権力を備えた人物である。贈物には相当の品を選ぶ必要がある。
あれでもないこれもでもないと希少品の棚を漁ってようやく一覧表を作り上げてから出ると、外はもう陽が傾ぎかけていた。ボート乗り場で船乗りたちが忙しく艀の支度をしている。イートンはふと一年半を過ごした大阪の港の賑わいを思い出した。
「キャプテン・コックス――」
「何だい?」
「いえね、貴方が包囲戦の前の大阪を見られなかったのは残念だと思いまして」
「ああ。それは私も残念だよ。日本で一番大きな港町だったのだろう?」
「ええ。本当に大きな港でした。砂洲がね、広い広い遠浅の湾を西から塞いでいるんです。大河の河口でしてね、町中に運河が張り巡らされて、沢山の橋が架かって。ロンドンみたいに大きな港でした。川上に秀頼様の城があって――」
そこまで話したとき、イートンは不意に身を切られるように激しい喪失感を覚えた。コックスが眦に皺をよせ、怪我に気づかず走ろうとする獣を見るように微笑した。
「なあウィル、私は思うんだが」
「何でしょう?」
「君があの品を引き受けてきたのは、何だがこう、とてつもなく簡単で美しい理由だったような気がするんだが」
「何ですか?」
「愛だよ。愛」商館長は真面目くさった顏で云った。「君はさ、単にその大坂って町が大好きだったんじゃないか?」
イートンは失笑した。「キャプテン・コックス、私は商人ですよ?」
「商人にだって愛はあるさ。素晴らしい物への愛がね」
コックスはまたも真面目くさって答えた。その口調は本気とも冗談とも取れなかった。




