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トゥルネイ検問所の長い一日  作者: 惟織
第1話 ブラック検問所
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よきに計らえ


 遅めの昼食を口に押し込み、時折重い息をつくオスティン。青年の周りには無駄にものものしい空気が立ち込めており、誰も近づけない。

 見張り番に当たっていたウォーデンは、これ幸いと門に(かじ)りついていた。


「だ、大丈夫でしょうか? オスティンさん、すごく怖そうな人なんですけど……」


 端整な青年の横顔を視界に留め、気づかわしげに尋ねるアザリア。薄紫の双眸に見上げられたテオは、柔和な顔をさらにほぐした。


「安心して下さい。オスティン長官はああ見えて、かなりお人()しだから」

「そうですよ。オスティンさんは追いつめられている人を見捨てません。それより、お腹はすいていませんか? 軽い食事なら用意できますよ」


 厨房に続く『控えの間』の扉から、盆を持ったカサンドラが現れる。盆の上には3人分の食事が載っていた。アザリアと、その使用人たちの分だ。

 まるで鮮やかに彩色された女神の彫像を思わせるカサンドラの立ち姿は、アザリアたちの目を奪う。2人の使用人なんかは、頬を紅潮させている。


 ノエルは離れた距離から3人の呆けた顔を面白そうに観察し、口元を意地悪くオスティンの耳に寄せる。


「苛立ちの原因はそっちですよね、長官」

「うるさいノエル」

「まあなんて大人げのない……」

「寝坊魔に言われるとは心外だ」


 2人の間で仲良くぶつかり合う火花。

 オスティンは膨れた頬を、口に含んだパンでごまかす。ちらりと横目で盗み見たのは例の3人組と赤毛の娘との和やかな情景。若葉色の瞳が不愉快極まりないと暗くなる。

 目ざとくノエルが口角を吊り上げた。


 なんて性悪な部下だろう。


 最後のひとかけを飲み下し、オスティンは零れた細かなパン屑を払い落とす。


 アザリアたちが食べ終わるのを見計らい、彼は3人に近づいて切り出した。


「アザリア。お前が実家を出て何日になる」


 カサンドラとの談笑にすっかり夢中になっていたらしい。声をかけられるまでオスティンの接近に気づかなかった3人はしばし言葉を失くした。慌ててアザリアが考え込む。


「…………4日とちょっとです。夜中を狙って出て行ったのですが……、多分朝に気づかれたと思います」

「だろうな」


 となると、夕方に着くかどうかの微妙な瀬戸際だろう。追手は馬車なんかの速い交通手段を使っているに違いない。こいつらは獣道を駆使してトゥルネイを通ったけれど、荷物を抱えた人の足と馬の脚力は比べるまでもない。ここで足止めしていることだし、追いつかれるのも時間の問題だ。


 隠し立ては無用。判断したオスティンはあえて攻勢に出た。


「ノエル、ウォーデン。門の手前で待機していろ。念のため剣を抜いておけ。テオたちはアザリアの保護を頼む」

「はいよ」


 武装命令は街の安全を優先してのことだ。

 腹違いの弟がいなくなったと知って、ハウゼンスタインの当主は怒り狂っているだろう。アザリアを見つけたら、その場で斬り捨てるかもしれない。そうなってしまえば無関係の人たちまで巻き添えになり、混乱を招きかねない。


 上司の命令を受けてノエルが反応した。陽光が滑り落ちた漆黒の髪を風に流し、鋭くぎらつく灰色の視線でオスティンを捉える。


「反応次第では刃傷沙汰(にんじょうざた)も辞さない。と解釈してもよろしいですよね」

「ほどほどにな」


 気の進まなさそうな許可をもぎ取り、ノエルの精悍な美貌がにやりと妖しく歪む。


 ノエルは上流貴族や王家からの注文が相次ぐ織物職人・シュミット家の息子だ。裕福な家の出でありながら、自分には織物を織る器用さが足りないからと自ら家を出たという。しかし家元(いえもと)は納得していないらしく、帰ってくるようにとの手紙を頻繁に送りつけてくる。ノエルはそれらを全て無視し、検問所の仕事に精を出しているのだ。犯罪者を取り締まることに生きがいを感じてしまったらしい。


 催促の手紙に応じるきざしのない息子にだんだん諦めがついてきたのか、最近になって家元も手紙の代わりに仕送りをするようになった。送られたお金は全額、検問所の経費に回させてもらっている。


 ちゃんと務めを果たしていると信じていた息子が、実はこんなに凶暴な性格の持ち主だったと知れば、どれほど嘆くことだろう。オスティンも初めて会った時のノエルと現在の彼とを比較するたび、昔はあんなに素直で可愛がりがいがあったのにと遠い目をするばかりである。


 どこでこいつの性格はねじ曲がったのだろうか。


 彼らが不穏な話し合いをする最中、アザリアは震え上がっていた。自分の行動がここまで深刻な事態を引き起こしてしまうなんて思ってもみなかったのだ。

 血の気が引いている様子のアザリアを無言で見、紅髪の美女がのほほんと笑いかける。いつもの緩い調子で元気づけた。


「まあまあ。そんなに固くならないで下さいな。オスティンさんが『何とかする』と仰るのなら、本当に何とかなるんですよ」


 この女性の声音は、不思議と心を鎮めてくれる。他の人なら絶対に信用できないような言葉なのに、異様な説得力があった。


 まるで、先のことを見透かしているみたいで。


 アザリアが顔を上げると、彼女はいたずらっぽい微笑みを浮かべ、口元に指を当てる。


「きっと、悪い方向へは行きませんよ」





「ほんと、どうするつもりなんですか」


 悩ましげに頭を掻き、ウォーデンがオスティンに詰め寄る。そうだな、と考えるようにオスティンは手を合わせた。


 新緑の澄んだ虹彩を上げ、空を仰ぐ。雲を流し、追い払った空は一面の青。太陽の白く燃え立つ輝きが濃く深い色彩を薄めている。


 しばらくして彼はおもむろに紡いだ。


「幸い俺は顔が良い」

「知ってますけど本人が言うと殺意湧きますね」

「知性もお前と比べたらはるかに高い」

「知ってますけど口に出して言われると殴り殺したくなりますね」

「俺の顔と頭脳をもってすれば相手はすぐ手に落ちる」

「知ってま………え?」


 軽口に軽口を返していたウォーデンの顔つきが凍る。

 聞き間違いかと長官を見返り、窺う。

 普段通りの涼しげな無表情だ。


「…………なに企んでるんですか、ちょーかん」


 あからさまに嫌そうな声をかけたのは仕方がない。乗り気になった上司はうんざりするくらい面倒で、腹黒いことこの上ないのだ。彼の綱渡り的な行動に何度ハラハラさせられたことか。


「言ったろ。『よきに計らえ』だ」


 上司の秀麗な容貌に浮かんだ楽しげな色は、どこまでもあくどい。



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