第四話 割り込んできたもの
俺が忘れていたのなら、教えてくれたらよかったのに。
そうしたら、祝いの席にだって駆けつけたのに。
そう言おうとアレクが口を開きかけた、そのとき。
サロンの入り口に、人の気配がした。
無意識に視線を向けた瞬間、何を言おうとしていたのか、すべてが抜け落ちた。
そこに立っていた少女が、あまりにも――美しかったからだ。
エミリアも整った顔立ちをしている。
どちらかといえば、あどけなさの残る「可愛い」タイプだ。
だが、入り口からこちらへ歩いてくる少女は、明らかに格が違った。
この国の女性は、髪も瞳も淡い色の方が美しいとされる。
小柄であることも、重要な要素の一つだ。
けれど彼女は、そのどれにも当てはまらない。
高い身長に、黒い髪。
瞳の色も、ここからでは黒に見える。
それでも――彼女を「美人ではない」と言える者は、誰一人いないだろう。
圧倒的な存在感。
わずかに切れ長の目は、こちらの内面を切り裂く刃のようで。
見せたくないもの――本人でさえ目を逸らしている部分まで、ひと目で暴かれてしまう。
そんな、恐怖にも似た感覚が胸に広がる。
アレクが呆然としているあいだに、エミリアはすでに立ち上がっていた。
貴族紳士としてはあり得ない失態に、内心で焦りながらも、どうにか平静を装って立ち上がる。
少女はエミリアのそばまで来ると、かすかに眉を上げた。
口元には、ほんのわずかな笑み。
それに応じて、エミリアもふわりと微笑んでみせた。
どこか意味深にも見えるそのやり取りの意図は、アレクには分からない。
エミリアはシャノンをアレクに紹介し、続けてシャノンにアレクを紹介した。
シャノンは初見の礼として優雅に膝を折り、アレクもそれに応じる。
――そういえば。
エミリアとの過去の会話で、シャノンという名前は何度も出ていた。
そんなことを、今になって思い出す。
アレクの記憶が正しければ、シャノンはエミリアのタウンハウスのご近所で、ウィザー家の一人娘だ。
五歳のとき、自分がウィザー伯爵の跡を継ぐと親族の前で公言したらしい。
以来、淑女教育と当主教育を完璧にこなし、彼女を次期女伯爵と認めたくない者でさえ、その能力に難癖をつけることができないと言われている。
その話を聞いたとき、アレクは「話を盛りすぎだろう」と思っていた。
だが、本人を目の前にすると、あながち誇張とも思えない。
まだ顔を合わせて数分も経っていないというのに、どれだけこちらが抗おうとしても、彼女からすれば小指一つで片が付く――そんな錯覚に陥るほどの、圧倒的な敗北感。
そんなものを、勝手に感じてしまう。
それは、たぶん――
「私はここに入学した当初、あなたに救われましたので。」
「私に?」
「えぇ。ホイヤット家の事情は、そこそこ有名だと思いますので割愛いたしますが。
急に父が世襲貴族となり、いずれ自分も跡を継ぐと覚悟を決めて進学したものの、なかなか勉強についていけなくて。
そのうえ周囲は、生まれた時から当主としての教育を受けてきた方々ばかり。
会話一つとっても、馬鹿にされていることは分かっても、どう対応すればいいのかも分からなかったのです。
……あの頃は、少し気持ちが弱っていたのかもしれません。
五歳も年下のエミリアに、愚痴のようなものを零してしまっていました」
そこまで語ると、シャノンはほんのわずかに視線を和らげた。
「そうしたらエミリアが、『友人から聞いた』と、次期当主としての心構えや、嫌味に対する切り返しの言葉、それに読んでおくと良い本の名前まで――とんでもない量の手紙を送ってくれて。
あの手紙の内容を、エミリアに教えてくださったのは、あなたでしょう?」
「ああ……」
「本当に、救われました。ありがとうございます」
アレクが軽く頭を下げると、シャノンはふわりと微笑んだ。
「いいえ、お気になさらず。
あのときエミリアが、それはもう必死な様子で質問してきたものですから、私はそれに答えただけですわ。
それに――問われて初めて気づくことも多くて。復習といいますか、考えの整理にもなりました。
ですから、あれはひとえにエミリアの功績ですわ。ね?」
そう言って向けられた視線に、エミリアは苦笑を返す。
「あのときは……なんというか、変な使命感みたいなものを感じてしまって。
かなりまとわりついて、質問攻めにしていたわよね……。
鬱陶しかったと思う。本当にごめんなさい」
わずかに芝居がかった仕草で頭を下げるエミリアに、シャノンは口元を隠してくすりと笑った。
「ホイヤット伯爵子息様のために、少しでも力になりたいと懸命な様子は、とても印象的でしたわ。
それほどまでに心を傾ける相手がいるというのが、少し羨ましくもありました」
当時、シャノンはまだ十一歳になるかならないかだったはずだ。
あの頃の自分には余裕がなく、気づくことすらできなかったが――あの年齢で、あれほどの内容を、文章として的確にまとめ上げていたのかと思うと、改めて驚かされる。
的確なだけでなく、驚くほど分かりやすかった。
だから今でも、あの手紙は時折読み返している。
――それに。
エミリアの、整った読みやすい文字で書かれていた、最後の一文。
《大変だとは思いますが、あまりご無理はなされませんよう。ご自愛くださいませ。》
手紙のすべてに、彼女の思いやりが詰まっているように感じられて。
――ここで言うつもりはないが。
あの手紙は、アレクにとって、本当に宝物なのだ。
◇◇◇
「そういえば、シャノン。何かご用でした?」
「婚約者様がせっかくいらしている時に、ごめんなさい。
馬術部の部長があなたを探しておられたの。
どうしても今日中に確認したいことがあると仰っていて。
あなたのクラスのご友人から、お客様がお見えでこちらのサロンに案内されたと伺い、図々しくもここまで来てしまったの。
ホイヤット伯爵令息様に対しても、ご無礼をお許しくださいませ」
そう言ってシャノンは、さっとカーテシーをした。
「いやいや。突然訪ねてきたのは、私の方ですから」
もしかしたら先約があったかもしれないエミリアを、自分の都合で呼び出してしまったことに、アレクはわずかな申し訳なさを覚えた。
――そのとき、ふと気づく。
二人の制服の襟に、小ぶりなブローチが揃ってつけられていることに。
だから、何気なく口にした。
「おや、二人はおそろいのブローチをつけているんだね。本当に仲がいいんだな」
微笑ましい、そんなつもりの言葉だった。
「えぇ。これは入学祝いに、お互いに贈り合ったものなのです」
エミリアの返答を聞いた瞬間。
――自分は、まだ「おめでとう」の一言すら口にしていないことを思い出した。
忘れていたのは、自分だ。
それを――エミリアが言わなかったせいにしかけていた。
シャノンの登場がなければ、きっとそのまま言葉にしていただろう。
己の、格の低さを突きつけられる。
そして、シャノンへ向けられているエミリアの笑顔を見て気づいた。
エミリアがアレクに向ける笑顔は、とても完璧な――社交用の笑顔であることに。




