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聞かなかったのは、どちらだったのか  作者: くぎのりクロボ


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第11話 走って、走って、走って

イヴリンをターナー侯爵邸へ送り届けた後、アレクは帰路についた。


虚無感に押し潰されそうになりながら、それでもなんとか玄関の扉を開ける。


今日も通いの使用人たちはすでに帰宅した後らしく、家の中は静まり返っていた。


その静けさが、今の自分にとって救いなのか苦痛なのかも分からない。


明日から――いや、もうすでに。


何もかもが変わってしまっている気がした。


自室へ戻り、上着を脱ごうとする。


その時だった。


ポケットの中で、包装紙がかさりと鳴る。


エミリアへのプレゼント。


本当なら、お茶会の後に会うはずだった。


会って。


話をして。


彼女の話を聞いて。


きっと少し――いや、もしかしたら、たくさん怒られて。


それでも最後には仲直りするのだと思っていた。


昔から知っている、あの心から嬉しそうな笑顔を取り戻せるのだと。


アレクは、包装紙ごと髪飾りを握りしめた。


絶対に似合うと思った。


あの艶やかなプラチナブロンドの髪へ、自分の瞳と同じ色をしたブラウントパーズを飾って。


「似合ってる」


そう言うはずだったのに。


――エミリアは、もう帰宅しただろうか。


あの後、会場で何か言われなかっただろうか。


婚約者の不甲斐なさを、嫌味混じりに責められたりしなかっただろうか。


それとも。


『あんな男はやめておきなさい』


そう言われているのだろうか。


もし、それを聞いたエミリアが。


『そうよね』


『無理に結婚する必要なんてないわよね』


そう思っていたら――。


ともかく、イヴリンとのことは事実無根だ。


自分が無知だったせいで、彼女の言葉へ妙な説得力を持たせてしまった。


だが、本当に知らなかったのだ。


スズランも。


紋章入りのチーフも。


あんなものに、自分は何の意味も込めていなかった。


だから、イヴリンの言葉は、少なくとも恋仲だという部分に関しては完全な虚偽なのだと。


――いや。


“完全な虚偽”という言い方も、どこか違う気がした。


イヴリンは確かに、意味を理解した上であの装いを選んでいた。


ならば、あれは虚偽ではなく。


自分だけが何も知らず、その意味の上へ立たされていたということなのかもしれない。


そこまで考えた瞬間、アレクはいても立ってもいられなくなった。


脱ぎかけていた上着を乱暴に羽織り直し、そのままリンバー家へ向かう。


走って。


走って。


走って。


焦りばかりが募る。


だから、走らずにはいられなかった。


リンバー家へ到着した頃には、全身汗だくだった。

荒い息を整えようと、何度か深呼吸をする。


何もかもが貴族らしくない。


先程のイヴリンの言葉が脳裏をよぎった。


だが、今はそんなことには構っていられない。


顔なじみの門番へ、エミリアに会いたいと告げる。


いつもなら気さくに応じてくれる門番の表情は、どこか硬かった。


その視線を追って、アレクは自分の胸元を見る。


スズラン。


そして、ターナー侯爵家の紋章入りのチーフ。


――最悪だ。


自分の迂闊さに吐き気がした。


慌ててそれらを外し、エミリアへの髪飾りが入った側とは反対のポケットへ押し込む。


門番は小さくため息をつきながらも、屋敷へ確認を取りに行ってくれた。


やがて中から執事長が現れる。


「エミリアお嬢様とは、お会いになれません。


ですが、旦那様でよろしければ、お会いくださるそうです。


いかがなさいますか?」


とにかく中へ入らなければ。


釈明しなければ。


その一心で、アレクはリンバー伯爵との面会を願い出た。



◇◇◇


応接室へ通されると、まだリンバー伯爵は来ていなかった。


ソファを勧められ、アレクは力が抜けたように腰を下ろす。


ずっと走り続けてきたせいか、今になって膝がかすかに震えていた。


運ばれてきた紅茶にも手をつけられないまま待っていると、やがてリンバー伯爵が部屋へ入ってきた。


アレクの向かいへ腰を下ろす。


それに合わせるように、冷めかけていた紅茶が新しいものへ取り替えられた。


「なかなか大変なことになったみたいだね」


何から説明するべきか迷っていたアレクより先に、リンバー伯爵の方から口を開いてくれる。


「……すみませんでした。


ターナー侯爵令嬢の意図に気づいていれば……」


「いや、多分どうにもできなかったと思うよ。


君だからじゃない。“目下の立場”としてね」


リンバー伯爵は穏やかな口調のまま続けた。


「状況から考えるに、出発直前で着けるよう言われたんだろう?


それを、“嫌です”“着けません”とは言えないだろう。


私でも難しいと思うよ。


以前から、付き合いたいだの結婚したいだの言われていたならともかく、そういうわけでもなかったんだろう?」


「……はい……」


もっと責められると思っていた。


それなのに返ってきたのは、思いがけないほど穏やかな言葉だった。


その優しさに、不覚にも涙が込み上げそうになる。


「……信じてもらえるのですか?」


エミリアの口から聞いた、“邪魔はするな”という言葉。


あれが、どうしても頭から離れない。


「信じるよ」


リンバー伯爵は迷いなく答えた。


そして静かに問い返す。


「君は?私を信じられるかい?」


――二人の邪魔はするな。


どんな意図で、そんな言葉を。


信じられないわけじゃない。


ただ、あまりにも衝撃的だった。


その動揺が、アレクを弱気にしていた。


自分の心の動きを確かめるようにして、アレクは小さく頷いた。


「……信じます」


「ありがとう」


リンバー伯爵は、どこか困ったように笑う。


「どうやらエミリアには、誤解を与えてしまっていたみたいでね」


「その……“邪魔をするな”と仰った意図を、伺ってもよろしいでしょうか」


「もちろん」


そう言うと、リンバー伯爵は一度紅茶へ口をつけ、それからゆっくりと言葉を続けた。


「私は、“邪魔をするな”と言ったつもりはなかったんだよ。


エミリアが、そう受け取ってしまっただけでね」


アレクは思わず顔を上げる。


「私が言いたかったのは――」


リンバー伯爵は静かに続けた。


「君の性格からして、心変わりなんてするとは思えなかった。


もし万が一、そういう相手ができたとしても、君はきっと誠実にエミリアへ伝えただろう。


……違うかい?」


「……はい」


「君がターナー侯爵令嬢のエスコートを引き受けたのは、ホイヤット領復興の支援を得るためだろう?


つまり君自身、本心では望まないことをしていたわけだ。


そんな時に、エミリアまでその件へ口を出したら、君はますます追い詰められると思った。


だから私は、“君を困らせるようなことはするな”という意味で話したつもりだったんだよ。


……まったく、余計なお節介になってしまったけどね」


真意を聞いてしまえば、拍子抜けするほど単純な話だった。


リンバー伯爵は、アレクを気遣ってくれていただけだった。


なのに、あの場で聞いたあの言葉は。


まるで完全に見放されたように聞こえてしまったのだ。


「……だけどね」


リンバー伯爵が、少しだけ表情を改める。


「ひとつ、お説教はしないといけないんだよ」


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