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聞かなかったのは、どちらだったのか  作者: くぎのりクロボ


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第一話 忘れている何か

アレクは夢を見た。

幼いエミリアが泣いている。

お気に入りのガゼボのベンチに座って。


「泣かないで」


そう言って、華奢な身体を抱きしめたいのに、足が動かない。声も出ない。

そんなところで泣いていたら、家庭教師に怒られてしまう。

だから、どうか泣かないで。

泣くのなら、俺の胸の中で。


そう思ったとき、不意にエミリアが顔を上げた。

さっきよりも大人びている。

けれど、まだどこかあどけなさが残っている。


泣いていたはずの目は、乾いていた。

表情はない。


なんで、そんな目で俺を見る?


アレクのそばにいる時、エミリアはいつだって表情豊かだった。

「しぃぃだよ?」から始まるささやかな秘密も、彼女の大きな瞳が、言葉より先に喜怒哀楽を教えてくれる。


なのに——

今、目の前にいるエミリアの目からは、何も読み取れない。


何か、大切なことを忘れている。


そう思った瞬間、言いようのない感情が胸の奥で渦を巻いた。


これは夢だ。

そう分かっているのに、目を覚ます方法が分からない。


起きて、思い出さなければ。

何を忘れているのかを。


大切な何かが、壊れてしまう。


早く。

早く。

早く。


ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井があった。

意識が現実へと引き戻される。


無意識に、大きく息を吐いていた。


夢に現れたエミリアのあの表情を思い出した瞬間、体がぶるりと震える。

その震えに引きずられるように、手足の感覚も戻ってくる。


こめかみは痺れ、血の巡りの悪さが体を重くしている。

けれど、そんなことは気にしていられない。


ゆっくりと上体を起こし、ヘッドボードに体を預ける。


頭はまだ、夢と現実の狭間を揺蕩っている。

心許ないまま、深く息を吸って、吐く。


そのうちに、カチャカチャと皿の触れ合う音が耳に届いた。

生活の音が、少しずつ夢を遠ざけていく。


——はずなのに。


とにかく、しっかりと目を覚まさなければ。

自分が何を忘れているのか、思い出さなければ。


そう心に決めて、アレクの朝は始まった。




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