後編
「ああ、やだやだ」
また王子の口ぐせが出ました。
ヒトデが心配そうに王子を見上げます。
「なにがいやなの? ぼくになにかお手伝いできることある?」
「あるわけないだろ。ほっといてくれよ」
ヒトデは星型の五つの先っぽをくるんとまるめて、しょんぼりしてしまいました。
それを見ておこったのはお星さまです。体中をピカピカ光らせておこりました。
「あなたね、そんないいかたしなくてもいいでしょ。ヒトデくんにあやまりなさいよ」
そのときです。
みんなの真ん中をふわふわと小さな粒が流れていきました。
うすい赤色をした粒がひとつ、ふたつ、と通り過ぎたかと思うと、たちまちすごい数の粒が辺りを覆いつくしました。
「うわあ。きれいだなあ」
王子は思わずつぶやいました。こんなにきれいなものは見たことがありません。
「ねえ、これはなに?」
王子はヒトデにたずねましたが、さっき王子に怒られたばかりのヒトデはこわくてウツボのかげにかくれてしまいました。
ウツボはしっぽの先でヒトデをひとなでして、「しょうがないねぇ」とため息とともに泡を数粒吐き出しました。それから王子に教えてあげました。
「あれはサンゴの産卵だよ」
「さんらん?」
「卵を産むってことさ。満月の夜はね、サンゴが卵を産むのさ」
「満月の夜って決まっているの?」
「そうみたいだね。お月さまが明るく照らして教えてくれるんだ。今夜は子どもを送り出すのにいい日ですよ、ってね」
「お月さまが教えなかったらどうなるの?」
「さあね。お月さまが教えてくれないことなんてなかったからね。働き者で立派なもんだよ。お月さまが海をひっぱってくれたりするから、ときどき海が深くなるんだ。地上のものたちは満潮って呼ぶらしいよ。そうなると海が広くなったみたいで気持ちがいいもんさ」
サンゴの卵はまだまだ流れてきます。
みんなでその美しい光景を見上げていると、クラゲの群れがやってきてゆら~りゆらゆらと踊り始めました。それはまるで生まれたてのサンゴの卵たちをお祝いしているように見えます。
「あ、そうか」とヒトデは手をたたきました。
「海で生きるクラゲたちは、お月さまになれなかったんじゃなくて、ならなかったんだ」
「どういうこと?」
カニがはさみをふりふりたずねます。
「さっきお星さまがいったことだよ。したくないことじゃなくて、したいこと。いままでの月の王子さまたちは海が気に入ったんだ。だから月の王さまになるよりも、クラゲとして海に残ることに決めたんだ」
なるほど、いやいや海に残ったのなら、あんなに楽しそうなはずはありません。
クラゲはふわりと体を広げました。
「……そうか。兄さんたちは月よりも海が気に入ったのか」
クラゲは月にいたころ、修行に出た兄さんたちが誰も帰ってこないことをおそろしく感じていました。自分はそんなこわいことはしたくないと思っていました。でもちがったのです。兄さんたちは「したいこと」を見つけてそれを続けているだけだったのです。
そのことに気づくと、海はただ暗く冷たいところではありませんでした。ヒトデやカニやウツボ、それからなぜか空のお星さままでいてとても賑やかです。サンゴの卵が産まれるようすも美しい光景でした。そしてなにより月の王子の兄さんたちが楽しそうです。
「クラゲのぼうや。どうだい、おまえも兄さんたちのように海のクラゲになるかい?」
ウツボがそういうと、ヒトデがうれしそうに五本の手足をくねらせました。
「ウツボのおばさん、いいね、それ。月の王子さま、ぼくたちと海でくらそうよ。ね、カニくんもそう思うだろう?」
「そうだね、ともだちがふえるのは楽しいかもしれないな」
ところがお星さまは「そうかしら」といいました。
「みんなお人よしね。この月の王子さまは海のことをあんなに悪くいっていたのになかよくしてあげるの?」
すると、ウツボが大きな口を開けてわらいました。
「どの口がいうんだろうね。はじめて来たときに海にすむ連中のことをばかにしていたのはどこのお嬢さんだったかね? 空から来る子ってのは、みんなそんななのかと思ったよ」
いまでは海がだいすきなお星さまも、最初は海をよく思っていなかったのでしょう。ウツボにむかしばなしをされて、はずかしそうにうつむいてしまいました。
ウツボはからかっただけだったらしく、お星さまに向かって「変なことをいって、わるかったね」とやさしく声をかけています。
月の王子は思いました。
知ってしまえば、海はちっとも暗くもないし、冷たくもないのでした。でも。
「ぼくは兄さんたちみたいなクラゲにはなりたくない。海でくらしたくない」
せっかく仲間になろうとしていたヒトデたちはかなしそうです。
お星さまはおこったように強くまたたきました。
「またそうやって、したくないことばっかりいって!」
「ちがうんだ! ぼくは月へ帰りたいんだ!」
「ちがくないじゃない。さっきからそればっかり」
「ここがいやで帰るんじゃない! 月の王さまになりたいんだ!」
お星さまはおどろいて、またたくのをやめてしまいました。ヒトデとカニもびっくりして石みたいにじっとしてしまいました。ウツボだけがおもしろいものをみているかのように、ゆらゆらとゆれています。
「ウツボのおばさんの言葉がずっと残っているんだ。お月さまがサンゴの産卵するときを教えたり、海をひっぱったりするって。すると海が広くなったみたいで気持ちがいいって。それに、ウツボのおばさんは、お月さまのことを働き者で立派だっていってた。お月さまはいいなって思ったんだ。ぼくもそんなふうによろこんでもらえることをしたいって思ったんだよ」
「……すごいや」
ヒトデがつぶやきました。カニもうんうんとうなずいています。
お星さまもきらりと光ります。
「したいこと、あるじゃない」
「うん。したいことができたんだ。ぼくは、お月さまになりたい」
月の王子がそういうと、王子の体が光りはじめました。それからみるみる大きくなって、大きくなりながら上っていきます。
「たいへんだ! 王子さまがどこかにいっちゃうよ!」
ヒトデは王子をつかまえようと手をのばしますが、ちっとも届きません。
その間にも王子はどんどん大きくなって、クジラほどのクラゲになりました。そのまま海から飛び出して、空へと昇っていきます。
あたふたするヒトデたちとちがって、ウツボは満足そうにうなずいています。
「おやおや。お月さまの試験とは自分から『お月さまになりたい』って思うことだったようだね」
波の向こうが明るくなってきました。朝がやってきます。
次の夜がやってきて空に昇る月は、生まれたてのお月さま。
「立派なお月さまにおなりよ」
ウツボは遠い空の向こうにそういって、大きなあくびをしました。
ひだまり童話館第28回企画「たぷたぷな話」参加作品です。
大遅刻してすみません……