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聖誕祭の魔法騎士  作者: 板山葵
ドレグニア王国革命編
10/43

護衛につけた傷

 アニェスが勢いよくグレーゲルの方を向くと、彼は珍しく焦った様子で目を見開いていた。


「グレーゲル……」


 少し悩んだが、グレーゲルの服の袖を掴む。彼は舌打ちをして、振り向きざまに口を開いた。


「アニェス様はここでお待ちください」

「グレーゲル、待って」


 グレーゲルは袖を掴むアニェスの手を振り切ると、ゆっくりと歩みを進めた。このままでは、彼は仲間を手にかけなければいけない。

 ヨーランという男は、たしかにワーゼル王国の名を叫んで、ドレグニア王国の貴族を殺そうとした。国家反逆罪に相違ない。

 しかし、事実はそれだけだろうか。

 そもそも、ヨーランは正気を失っていたように見えたし、ロッテンバーグのわざとらしい口調も引っかかる。


 グレーゲルを行かせてはいけない。アニェスの直感がそう告げていた。


 だが、そう思ってもどうすれば良い?

 アニェスは途方に暮れた。なにか良いアイデアはないのか? 闇雲に辺りに視線を彷徨わせる。


 その時、ふと手のひらサイズのガラス片が落ちているのを見つけた。そうだ、グレーゲルが剣を握れなくしてしまえばいいのだ。

 アニェスは咄嗟にその破片を拾い上げ、グレーゲルの後を追った。


「お待ちください!」


 グレーゲルに追いつくと、アニェスは後ろ手に破片を隠し、彼を背中で隠すようにして前に立った。実際には、体格差がありすぎて、全く隠れてはいないが。

 ロッテンバーグはあからさまに不機嫌そうに眉根を寄せた。


「そなたはヴィスコンティ家の末の娘ではないか。もしやこの罪人を庇うのか? その場合、ヴィスコンティ家も反逆者、ということになるが」

「お、お待ちください……!」


 後ろに控えていたアダンが、青ざめた表情で慌てて前へ出る。しかし、アダンが言い訳するより先に、アニェスが答えた。


「違います! こ、この者は私の護衛です。ですから、処刑人を任せるなら私の許可が必要かと存じます」

「ほう?」


 ロッテンバーグは眉を上げてアニェスを睨んだ後、顎に手を当てて考える素振りを見せた。アニェスは緊張で吃りつつもなんとか要望を言えたことに安堵していたが、ロッテンバーグの顔を見た途端、恐怖に小さく「ひっ!」と引きつった声が出てしまった。

 ロッテンバーグは、しばらくアニェスを見定めようとするかのように睨み続けた。アニェスも怖かったが、ロッテンバーグを見つめ返した。

 すると、先に音を上げたのは、意外にもロッテンバーグの方だった。彼はフンと鼻を鳴らした。


「まあたしかに、それが道理だ。許可をもらおう」


 アニェスは、周囲に悟られないように息をついた。しかし、ほっとしている暇はない。まだ心臓が早鐘を打っていたが、眉尻を下げ、無理やり悲しそうな顔をつくった。


「私の護衛が反逆者の処刑人の任を賜ること、身に余る光栄にございます。しかし、そうしたいのは山々ですが……彼は先ほどの戦いで手を負傷し、今は剣を握る力が入らないのです!」


 そこまで言うと、アニェスは勢いよく振り返った。グレーゲルと向き合う瞬間に破片を振り、剣の柄にかけていた彼の手を切りつけ、破片をペチコートの襞に沿わせて足元に落とした。そして、渾身の力で踏み抜き、破片を細かくした。

 さすがのグレーゲルにも、このアニェスの奇行は予想できなかったのか、彼は唖然として対応が遅れた。切りつけられた痛みに、「うっ……!」と呻いて手を抑える。手首からは、ドクドクと大量の血が溢れ出していた。

 想像以上に痛々しくて内心大慌てだったが、そんなことはお首にも出さず、アニェスはグレーゲルの手をぎゅっと握った。

 ドレスの裾にも血が着いたのには僥倖だった。さっき破片を捨てる際に付着した血痕を誤魔化すことができるからだ。


「ああ、なんて痛そうなの! 本来ならばすぐに治療が必要なのに……」

「なんだと?」


 ロッテンバーグは訝しげに眉を顰めた。この茶番にいつ気づかれるかと内心ヒヤヒヤしていたが、アニェスは気を取り直して、グレーゲルの手を握ったまま振り返り、そして、ロッテンバーグに向かって口を開いた。


「ロッテンバーグ公爵。処刑は、また後日にしていただけないでしょうか?」


 ロッテンバーグは、再び訝しげに眉間に皺を寄せて唸った。


「ふうむ……いつから怪我をしていたのかね? 気づかなかったが、たしかに流血しているようだ」

「ええ、ですから何卒ご容赦願います」


 アニェスは胸に手を当てて懇願した。それが功を奏したのかは分からないが、ロッテンバーグは大袈裟にため息をついた。


「まあ……仕方がない。では、この者をヴィスケ地方の牢に入れるように。ヴィスコンティ侯爵、良いですね?」

「え、ええ……分かりました」


 アダンは事の次第についていけないようで、当惑した表情で頷いた。


「皆のもの! 此度のこと、組織的な犯行である可能性が非常に高い! 記者および似顔絵師たちはこの事実をしっかりと記録し、この場にいない街の住民にも注意喚起するように!」


 ロッテンバーグは、ヨーランに逃げられないよう、抜かりなく姿かたちの記録と周知を促した。記者と似顔絵師は忙しなくペンを動かし、それ以外の民は隣合った者たちと恐怖に囁き合いつつ、それぞれの家路に着いた。


 民衆の興味がアニェスたちからヨーランに移ったのが分かると、アニェスはすぐにグレーゲルの方を振り向き、手を握った。彼女の手やドレスにもグレーゲルの血がべっとりと付着し、流れ落ちて地面に染みを作っていた。

 手を切っただけで、これほどの血が流れるものだろうか。何か重要なものを切ってしまったかもしれない。ロッテンバーグに睨まれた時以上の恐怖を覚え、全身が粟立つのを感じた。

 咄嗟のこととはいえ、グレーゲルにこれほどまでの怪我を負わせてしまった。さっきまでの緊張が緩んだのと相まって、アニェスは思わず泣きそうになった。


「グレーゲル、ごめんなさい……」


 おずおずとグレーゲルの顔を見上げた。彼は困惑した表情で瞳を揺らし、アニェスを見つめていた。


「グ、グレーゲル……?」


 グレーゲルの瞳を覗き込むと、彼ははっとした様子でアニェスに焦点を合わせた。


「あ、ああ……ありがとうございます。助かりました」

「そんな……その場しのぎであなたに大怪我をさせてしまったわ。本当に、ごめんなさい!」


 勢いに任せて謝り、泣きそうな顔を隠すように俯いた。すると、頭上でグレーゲルが柔らかく笑う声が聞こえた。


「アニェス様は予想外なことばかりしますね」

「えっ……?」


 出会ってからというものの、グレーゲルが笑う時はいつも皮肉げだった。彼がこうやって優しく笑う姿を見たのは、今日が初めてかもしれない。そのせいか、たまらない気持ちになって、思いがけず顔が熱くなった。


「アニェス様?」


 今度はアニェスが覗き込まれる番だった。気恥ずかしくて、しばらくグレーゲルと目を合わせることができそうにない。


 しばらくして、アニェスは気持ちを立て直してにこりと笑った。


「とりあえず、帰りましょう。もう流石に視察はしないでしょう」

「そうですね。ヨーランのことは……私に任せていただけませんか?」


 アニェスは首を傾げた。


「ええ、良いけど……どういうこと?」

「彼は、正気を失っていたように感じます。まずは事情を聞いて、判断する機会をいただきたいのです」


 グレーゲルは懇願するように、アニェスの手を強く握り直した。

 アニェスは俯いて考え込んだ。ヨーランはおそらくアダンの監視下に置かれるはずだが、話をする時間を取れるだろうか。処刑人はグレーゲルだから、ヨーランの首を落とす直前にちょっと話す機会はあるだろうが、すぐに処刑しなければいけないとなると、判断する暇もない。任せるとは、一体何を意味しているのだろう?

 アニェスは困惑して、つい黙り込んでしまった。


「アニェス様、お困りの様なら心配には及びません。あなたが私に許可を出していただければ、全てが丸く収まります」

「え……? そうなの?」


 訝しんでグレーゲルを見つめると、彼は目を伏せた。


「どうするのかは、聞かないでいただけるとありがたい。あなたに迷惑はかけません」


 アニェスは答えに窮し、口を開けては閉じてを繰り返した。これを許可したら本当に反逆罪になってしまう。しかし、ここで行動を起こさなければ、この国は変わらないのかもしれない。何となくそんな予感もした。

 賭けてみよう。目の前の男に。


「……分かりました。許可します」

「ありがとうございます。我が主よ」


 グレーゲルは跪いて、血に濡れたアニェスの手の甲にキスを落とした。あまりの衝撃に、アニェスは目を真ん丸に見開いてグレーゲルを見つめた。彼が顔を上げると、その唇は血に濡れて濃く深い赤に染まっていた。

 アニェスと目が合うと、グレーゲルは唇をゆっくりと笑みの形に歪めた。さながら狩りを終えた肉食獣のように。その野性味に心がぐっと引き込まれてしまいそうになる。

 それと同時に、この男に加担するのは少し早計だったかもしれない、と若干後悔したが、もう疲れたので今日は考えないことにしよう。


「……とにかく、まずは傷の手当をしましょう」


 ジェレミーにグレーゲルの馬を託すと、アニェスはグレーゲルの手を引いて馬車に乗りこんだ。


「ここなら魔法を使ってもいいわ。傷口を洗い流して。ついでに私の手も」


 グレーゲルの手を離すと、自分の手を差し出す。


「かしこまりました」


 グレーゲルは手の甲の傷にもう片方の手をかざした。すると、どこからともなく水が溢れ馬車の床を濡らした。傷にしみるのか、少し痛そうにしながら、かざした手で床をなぞるようにしてからサッと握ると、あっという間に水が消え去った。アニェスはその様子を固唾を飲んで見守った。


「何度見てもすごいわ……」

「恐縮です」


 グレーゲルは、今度はアニェスの手も同じ要領で洗った。水の温度は少し温かいくらいの適温になっていた。興味津々で自分の手を見つめる。


「ファッション・オモロのとき、ヨーランと言うのだったかしら? 彼が躓いたのもあなたのせい?」


 興味ついでに尋ねると、グレーゲルは神妙な顔をして頷いた。


「ええ、床を凍結させました。実際滑ってくれるかは賭けでしたが……上手くいって本当に良かった」


 グレーゲルは綺麗になった両手を組んで目を閉じた。手の甲の切り傷からは新たな血が滲んでおり、とても痛々しかった。


「ありがとう。助かったわ。それなのに私は……」


 アニェスはまた自分を責めようとした。だが、それをグレーゲルが人差し指を立てて制す。


「お礼を言わなければならないのは、こちらの方です。アニェス様。私は一人の同僚を、なんの情けもかけずに処刑しなければいけないところでした。それをうまいこと引き伸ばしてくださったのは、あなたです。衆人環視さえなければ、後はどうとでもなります。牢に入れることになった時点でこちらの勝ちです」


 グレーゲルは強い眼差しでアニェスを見つめた。世間知らずで臆病な自分でも、人を救うことができたのだろうか。思わず頬が緩む。ただし、その手段は非常にお粗末なものではあったが。そこには目をつぶろう。

 それより、グレーゲルは何を企んでいるのだろうか。アダンに知られず、ヨーランを助け出すつもりのようだが、一体どうやるつもりなのか。


 アニェスに許可を取ったのは、恐らく協力

を依頼する可能性があることを考慮してのことだろう。

 しかしながら、こんなことが露見したら、本当に大変なことになる。アニェスもグレーゲルもおしまいだ。先行きが不安で、胃のあたりが重たくなった。これからは、判断を慎重にしなければ。


「とりあえず、早く帰って湯浴みがしたいわ」


 しかし、アニェスの口から真っ先に出てきた言葉はそれだった。その気の抜けた言葉に、グレーゲルはふっと表情を緩めた。そして、彼女の片方の手を取り、恭しく掲げて言った。


「御意にございます、アニェス様」

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