20
あれから一ヶ月半、学園の復旧作業は急ピッチで行われ、今ではほとんど元通り。
まだところどころ爪痕が残ってはいるが、学校生活も元に戻りつつある。
「カノンちゃんおはよう」
朝登校すると先に来ていた生徒が挨拶をしてくる。
「おはよう」
人間関係は順調である、友達も増えその仲もどんどん深まってゆく。
「あら満月さんおはようございます」
「おはよう」
転校当初から仲良くしてくれる短髪の少女だ。
カノンはできるだけ笑顔で挨拶を返す。
「天羽さん、だいぶ顔色がよろしくなったんではなくて?」
「そうかな?」
「ええ、ここ数週間は見ていられない有様でしたもの」
自分の言いたいことを包み隠さず言ってくる彼女。
カノンは彼女のそういうところを信頼に値すると思っている。
「そんなにひどい顔してたかな私」
「ええもう、顔面蒼白とはまさにあのことでしたわ。あなたが死んでしまうんじゃないかと気が気でたかったんですから」
「えへへ、心配してくれてありがと」
今でも正直いっぱいいっぱいなのだが、それでも少しはましらしい。
「とくにあの事件のすぐ後なんて……おっと失礼」
失言をしてしまったと口を紡ぐ友達。
彼女はそのくらいの気遣いはできる。
「いいよいいよ大丈夫」
ヤトがいなくなった次の日から一週間以上、カノンは家から出れなかった。
ほとんど食事もとらず、一日中ベットの中にこもっていた。
彼がいなくなってしまったことへの現実逃避をすることで、なんとか自分を保っていたのだ。
泣けども泣けども消えることのない虚無感。
いつしか涙も枯れていた。
でもこれではいけないと思いなんとか外に出た。
だが、一向に傷の癒えることのない心。
学園には行くものの、先生や友達が何を話そうと上の空。
うんうんと生返事をするのが精一杯だった。
もちろんその間の出来事をほとんど覚えていない。
「まあとにかく元気そうで何よりですわ。あんな張り合いのないあなたはもう勘弁です」
今ではかろうじてではあるが、会話ができるくらいにはなった。
しかし未だ心の中はぽっかり大穴を開けられた気分である。
そんな雑談をしていると担任の先生がドアを開け入ってくる。
「はーいみんなー席についてねー」
すっかり慣れてしまったこの妙な喋り方。
はじめは聞くたびにクスッと笑ってしまったが、今ではもう気にならない。
ホームルーム中そっと後ろを振り返る、そこにもう席はない。
カノンの心同様、ポッカリとそこだけ空いてしまっている。
そうやって少しずつカノンの周りから彼の痕跡が消えてゆく。
担任がホームルームの終わりを告げ出て行く。
午前の授業を受け、みんなで一緒に昼食をとり、午後の授業。
午前の授業は一般的なことなのでまだいい、だが午後の授業には全くついていけない。
なにせ、ここ数週間分の内容がすっかり飛んでしまっているのである。
先生に当てられるも全く話を聞いておらず、これまでも何度怒られたかわからない。
「では満月さんこの問題を解いてください」
メガネをかけた化粧の濃いいかにもきつそうな先生だ。
この人はよくカノンを指名する、今日もまた当てられてしまった。
「えーっと……」
カノンは名前を呼ばれると、そっと立ち上がり教科書とにらめっこする。
「すみません、わかりません」
そう答えると、またグチグチと怒られる。
これも今ではもう慣れた。
先生は一通りカノンを叱ると、他の生徒にその問題を解くよう指名する。
この日はこれ以上当てられなかった。
今日は大分マシだ、いつもなら後3回は当てられていた。
授業が終わりホッとして教室に帰る。
ホームルームは特に連絡事項はなく素早く終わった。
授業の遅れを取り戻さなければと思いながら、帰宅の準備をしている時だった。
「カノンちゃんちょっと」
クラスメイトの一人に呼ばれ、声の方を振り返る。
友達は、教室のドアの方で手招きをしていた。
「どうしたの」
「なんかあの先輩が話があるって」
そうして指された指の先には、一人の男が立っていた。
背はすらっと高く、髪を金に染め、ガチガチにセットしている。
そして貼り付けたような笑みをカノンに向けている。
いかにも女ったらしと言った感じだ。
カノンは不審に思いながらもその男に近づく。
「あの何ですか?」
「えーっとここじゃあなんだから向う行かない?」
そう言われ恐る恐る男についてゆく。
つれて行かれたのは、屋上につながる階段の踊り場。
今ではほとんど人が寄り付かなくなっている。
なぜなら、屋上はフェンスが壊れていて立ち入り禁止になっているからである。
「突然呼び出したりして悪いね」
「いえ別に」
未だに不信感を拭えないカノン、そんな態度が男に伝わったらしい。
「そんな警戒しないでよ、俺はただ君に伝えたいことがあるだけさ」
そう言うと一歩カノンの方に近づいてくる。
「前から気になってたんだけど」
男は深呼吸をしたかと思うと、拳をギュッと握った。
「俺と付き合わない?」
突然そう告げられ、あまりの突拍子のなさに答えに窮してしまう。
「あ、あの私、ごめんなさい」
そんなカノンの返事を聞いて顔を引きつらせる男。
さらに一歩近づき腕を掴んでくる。
「どうしてだよ、ね、よく考え直してみてくれよ」
「はなして、はなしてください!」
必死に抵抗するもカノンの力は弱く意味をなさない。
「なんでだ、俺のどこが不満だ言ってみろ」
「私には、ヤトがいます!」
心の中で叫ぶ、ヤト助けて、助けに来て。
しかしその声はヤトには届かない。
「ぁあ!? ヤト?」
男の態度は一変。
男はカノンの両腕を掴み壁に押し付け、鬼の様な顔を近づけてくる。
「あんな奴だいぶん前に死んじまっただろうが」
「なっ――」
「なあ死んだ奴のことなんてとっとと忘れて俺と付き合おうぜ」
そんな信じられない言葉をカノンに投げかけてくる。
カノンは頭が真っ白になった。
必死で男の足を踏みつけ身をよじって拘束を抜け出す。
そして無我夢中で男を突き飛ばし階段を駆け上がる。
「おい糞アマ覚えときやがれ!」
後ろからは、男の初見からは伺えないような怒号が聞こえる。
立ち入り禁止のロープをかき分け外へとつながる扉を開けた。
幸い鍵は壊れていて締まっていなかった。
「はぁ、はぁ」
何とか逃げ出すことができた。
ドアにもたれかかり、ズルズルと座り込む。
どうしてあんな酷い事を平気で言えるのだろう。
人一人が犠牲になっているのに。
もしヤトが命をかけていなければ、この学園は、生徒はどうなていたかわからない。
あの男だってどうなっていたか、それなのに死んだ奴の事など忘れろなんて……
カノンは呼吸を整えると、立ち上がり壊れたフェンスの方へ近づく。
そして、かつてヤトがそうしたようにそこから景色を眺める。
空は雲一つない青空、太陽が眩しい。
今はそんな空が腹立たしい。
「ずっと夜ならいいのに」
夜の帷でヤト、真っ暗な夜。
夜空を見ていると、ヤトの炎に包まれている気分だ。
夜になるたびに彼のことを思い出す。
夜の闇だけがカノンの傷ついた心をつつみ、癒してくれる。
屋上に吹く風は少しずつ冷たくなり始めていた。
もうすぐ秋が終わり冬がやってくる。
しかし凍えるカノンの体を温めてくれるはずの彼はいない。
「……会いたい」
探せど探せど彼の姿はこの世界にはなく、思いだけが募るばかり。
それはまるで絶えず降り積もる雪のよう。
溶けることなく、やがて世界を埋め尽くす。
一面真っ白に、全てをなかったことにしてしまう。
どんなに泣き喚こうと、どんなに心を痛めようと、月日は無情にも過ぎてゆく。
どれだけ止まって欲しい戻って欲しいと願おうと、ただただ前に進み続ける。
生徒たちは既にヤトのことなど忘れてしまったかのように、毎日を過ごしている。
朝おはようと言い、バイバイと言って帰って行く。
「本当のサヨナラの意味なんて知らないくせに」
カノンの気持ちはあの日から止まったまま。
何も始まらずに気づいたら一日が終わる。
そんな毎日を送っている。
「ねぇヤト、私ヤトがいないと何もできないよ、何を食べても美味しくないよ、何をしても楽しくないよ」
「本当は、後夜祭迎えに来てほしかったな、ヤトに喫茶店頑張ってるの褒めて欲しかったな」
彼への気持ちが溢れて止まらない。
カノンの心に降り積もった感情が、川の流れのように雪崩てゆく。
「私、今告白されちゃったんだ、早く帰ってこないと他の人のものになっちゃうかもよ」
枯れてしまったはずの涙が止まらない。
この涙に流されて、今見えている現実が全て嘘になってはくれればと、どれほど願ったことか。
「ねぇ、約束したよねいなくならないって、迎えに来るって……」
「返事をしてよ!」
その声に応える者は誰もいない。
一緒にいられるだけでよかった。
一分でも一秒でも長く、そばに寄り添っていられるだけでよかった、それなのに。
「ねぇいつしかヤトの顔も忘れちゃうのかな」
世界が彼を忘れてゆくように。
自分も少しずつ、少しずつ。
「そんなの私……耐えられない」
そうしてカノンは壊れたフェンスの向こう側、間違った方向へと一歩を踏み出した。
体が浮遊感に包まれる。
この建物は5階建てで下はアスファルト、落ちれば間違いなく死ぬだろう。
でももういい、彼がこの世界にいないのなら……
「ヤト」
愛しい彼をいつか忘れてしまうくらいなら……
カノンは目を固く閉ざし、なるがままにその身を任せた――




