絶望の幕開け
クスクスと、嘲笑混じりの笑い声が、否応なしに俺の耳をつんざく。おかしい。いつもなら、俺がこの街の通りを歩けば、美男美女のNPCたちから歓喜と羨望に満ちた視線が注がれるはずなのに……。
「なにかが、おかしい……」
胸を騒がせながら、俺はふと、路面店のショーウィンドウに目をやった。そこに映る自分の姿を見た瞬間、俺は喉が裂けるほどの悲鳴をあげた。
「嘘、だろ……? なんで、俺自身がここにいるんだ……!?」
ガラスに映っていたのは、ゲーム用の高身長のイケメンアバターでない。身長158センチ、体重70キロ。中肉中背を通り越して小太りの、カエルのように潰れた顔。現実世界でガマガエルと陰口を叩かれている30歳独身のフリーターのリアルな俺の肉体そのものだった。
「ステータス・オープン! ステータス・オープンッ……!」
狂ったように叫び、目の前の空間をなぞる。しかし、いつもなら一瞬で展開されるはずのステータス画面が出現しない。
「ステータス・オォォォーープンッッ!!!」
喉が枯れるほど叫んでも、世界は静まり返ったままだ。ログアウトのボタンは、どこにも現れなかった。
俺の現実の人生は、退屈で、惨めで、救いようのないものだった。友達もいなければ、恋人がいた歴史もない。薄暗い物流倉庫で黙々と仕分け作業をするだけの日々。そんな俺の唯一の救いが、フルダイブ型MMORPG【オルタナティブ・エデン】、通称『オルデン』だった。
オルデンは、ボス級に強い魔獣たちをプレイヤーたちと協力して倒す共闘プレイを楽しむ側面と、共闘プレイで仲良くなったプレイヤー同士で、疑似デートをして、リアルな出会いに繋げる出会い系ツールとして大人気を博していた。今やマッチングアプリよりもオルデンの方が恋人ができると、若者だけでなく中高年のプレイヤーも虜にしていた。だが、コミュニケーション能力ゼロの俺に、他のプレイヤーと協力プレイをする度胸などあるはずもない。
「ゲームの世界でリアルな出会いを求めるなんて・・・不潔だ」
これは嫉妬だ。現実でもゲームでもぼっちの俺は、俺らしいオルデンを楽しむ方法を見つけた。それは、運営が用意した、多種多様な種族の美麗なNPCたちとの交流だ。NPCとなら、対人恐怖症の俺でも会話をすることが可能だ。NPCを相手に、現実では絶対に手の届かないハーレムを作ること、それが俺の生き甲斐となった。そのために、俺は貯蓄と給料を、すべてこのゲームのある要素に注ぎ込んできた。
オルデンには、期間限定で発売されるレアスキルという課金要素がある。ゲームバランスを崩さないよう戦闘用スキルは一切なく、NPCとの交流を深めるだけのもの。戦いとリアルな出会いを求める一般プレイヤーからすれば、どれも高額なだけのクソスキルだった。
だが、俺にとっては神のシステムだった。
【魅了の残響】(50万円)
発売記念に1日限定で売られたボイススキル。どれほど醜い見た目でも、声を発するだけで聞いた者をうっとりとさせ、強烈に引きつける至高の美声を得る。
【万象の心音】(50万円)
半年記念スキル。NPCに近づくだけで、彼らのシステムの裏側にある生きた本音、悩み、願いがリアルタイムで聞こえる。完璧な選択肢を選べる、いわば心が読めるスキル。
【一連托生の絆】(50万円)
1周年記念スキル。パーティーを組んだNPCの、これまでの人生(設定や過去)を一瞬で自分の脳内に追体験としてロードする極限の共感スキル。
戦闘にもリアルな出会いにも役に立たない、NPC専用の電子データに合計150万円。こんなものを買い占めたバカは、世界にただ1人……俺だけだ。
「ひぃっ、なんだあの気味の悪い男は……」
「近寄らないようにしようぜ……」
道行く美男美女のNPCたちが、俺をゴミを見るような目で見つめ、避けていく。そうだ。この世界のルールを思い出した。オルデンは、街の近くこそ安全だが、一歩外に出ればボス級の魔獣が闊歩する凄惨な死にゲーなのだ。戦闘能力など皆無に等しい、ガマガエル姿のリアルな俺が、この世界に生身で閉じ込められた。
戦う力はない。ログアウトもできない。目の前にあるのは、ただの絶望。だが……俺は冷や汗を流しながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
「声……。声さえ出せば、なんとかなるはずだろ……」
見た目はブ男だが、俺にはNPCを狂わせるスキルがある。俺は震える喉を震わせ、ゆっくりと、その『声』を発しようとした。




