エピローグ「木漏れ日の下の永遠」
雪深い竜の峰にも、わずかながら季節の移ろいは訪れる。
洞窟の外に広がる魔法の森では、雪解け水が小川のせせらぎを一段と高くし、木々の枝先には鮮やかな新緑の芽が顔を出し始めていた。
エリアルがこの竜の巣に連れてこられてから、すでに数ヶ月の時間が流れている。
かつて死を覚悟した冷たい雪山の記憶は、今や遠い過去の幻のように薄れ、彼を取り巻く世界はどこまでも暖かく、穏やかな光に満ちていた。
エリアルは洞窟の最奥部にある広大な部屋で、新しく手に入れた柔らかい布を縫い合わせ、ドラグレスのための外套を作っていた。
発光する苔の緑色の光が手元を明るく照らし、静かな空間に針を通すかすかな音だけが響いている。
村にいた頃は、自分のために何かを作ることなど決して許されなかった。
しかし今では、自分が誰かのために手を動かし、それが喜ばれるという事実が、エリアルの心を豊かな充実感で満たしてくれている。
ふと、洞窟の入り口の方から重々しい足音が近づいてくるのが聞こえた。
「エリアル、戻ったぞ」
その声とともに、巨大な影が部屋の中へと滑り込んでくる。
見回りを終えて帰還したドラグレスである。
漆黒の髪には外の冷たい空気が絡みついており、彼の放つαのフェロモンが、安心感に満ちた強い匂いとして空間を埋め尽くした。
エリアルは縫いかけの布を籠に置き、立ち上がって彼のもとへと駆け寄る。
ドラグレスはそんなエリアルを待ち構えるように両腕を広げ、飛び込んできた小さな身体をふわりと抱きとめた。
「おかえりなさい、ドラグレス。外は寒くなかったですか」
「お前が待つこの巣に比べれば、外の世界などどこも等しく冷たいさ。だが、こうしてお前を腕に抱けば、あっという間に熱で溶けてしまいそうになる」
ドラグレスは大げさな言葉を真顔で口にしながら、エリアルの首元に顔を埋め、深く息を吸い込んでその匂いを確かめている。
エリアルの手首や首筋には、彼が毎日丹念に残していく所有の印がいくつも刻まれている。
そこから放たれる番としての甘い香りが、彼を深く満足させているのだ。
ドラグレスの背後では、太い竜の尾が床の毛皮を擦るようにバサリと揺れ、彼の機嫌が最高潮に達していることを雄弁に物語っていた。
「少し休んでください。お茶を淹れますから」
エリアルが彼の腕の中から抜け出そうとすると、ドラグレスは名残惜しそうに腕の力を緩め、寝床の端にどっしりと腰を下ろした。
エリアルは炉の火を起こし、森で採ってきた乾燥した薬草を石の急須に入れてお湯を注ぐ。
部屋の中に爽やかな香りが広がり、それを待つドラグレスの黄金の瞳は、エリアルの動く姿を片時も逃さずに追いかけ続けている。
熱いお茶を注いだ杯を手渡すと、彼は嬉しそうに喉を鳴らしてそれを受け取った。
「そういえば、森の入り口にある氷の湖が少し溶け始めていた。明日あたり、陽の光が差し込む時間に連れて行ってやろう。水面に映る光の乱反射は、お前の瞳のように美しいからな」
「本当ですか……でも、私の瞳よりは、絶対に湖の方が綺麗だと思いますけど」
エリアルが照れ隠しにそうつぶやくと、ドラグレスは眉間にしわを寄せ、極めて真剣な顔つきで首を横に振った。
「いいや、この世界で俺の番以上に美しいものなど存在しない。お前がそれを認めるまで、俺は毎日でもお前に愛の言葉を囁き続けるつもりだ」
その不器用で真っ直ぐな愛情表現に、エリアルはとうとう堪えきれずに吹き出してしまった。
彼はドラグレスの隣に座り、自分の胸元で静かに温もりを放つ赤い結晶、竜の涙をそっと握りしめる。
冷たい雪に埋もれて消えるはずだった命は、この大きくて優しい竜王の手によって拾い上げられ、今こうして最高に暖かな場所で息づいている。
過去の傷がすっかり消え去ることはないかもしれない。
それでも、隣に座る彼の熱い体温と、注がれる果てしない愛情がある限り、エリアルは二度と過去の影に怯えることはないだろう。
「ドラグレス。私、今、すごく満たされています。あなたが隣にいてくれるだけで、これ以上何もいらないくらい」
エリアルが彼の肩にそっと頭を寄りかからせてそう告げると、ドラグレスは大きな手のひらでエリアルの頭を優しく包み込んだ。
二人の間に流れる時間は、言葉の壁があった頃よりも遥かに深く、そしてどこまでも静かに澄み渡っている。
洞窟の苔が放つ淡い緑色の光に包まれながら、種族を超えて結ばれた二つの魂は、互いの鼓動を確かめ合うように長く身を寄せ合っていた。
彼らが紡ぐ甘く穏やかな永遠の物語は、この雪深き竜の峰の奥底で、これからも色褪せることなく静かに続いていく。




