第88話 三か月の重さ
集中は、すぐには目に見えない。けれど形だけは、確実に変わっていく。
三か月の初日。まとめ役の男の前に、連合の標章が置かれた。掌に収まるほどの小さな金属の印。それがひとつ卓に載っただけで、彼を見る周囲の目つきが変わった。
「代表殿」
連合からの書簡は、そんな一行で始まっていた。読み上げられた呼び名に、広場の話し声が一拍だけ途切れる。
「期間限定だ」
男は口の端を曲げて笑ってみせた。それでも、書簡の宛名の文字は消えてはくれない。
中身は防衛状況の報告、近隣都市の動向、兵站の調整。どれも具体的で、目を通すだけで肩に重みが残るような文面だった。
「即断が必要な場合は、あなたの判断で」
結びは、拍子抜けするほど簡潔だった。即断、というひと言が、卓を囲む空気をきゅっと締める。
私は横から紙面を追った。条文は整っていて、逃げ道になりそうな一文はどこにもない。
「何かあれば、俺が決める」
男が言うと、脇から声が上がった。
「三人確認は」
「防衛だけは除外だ」
返事は静かで、迷いがなかった。集中は、まず防衛から始まった。
二日目。連合から緊急の報せが飛び込んでくる。外縁部での小競り合い、支援物資の即時供給要請。
「どうする」
問いは誰の口からも、まっすぐ男へ向かう。彼はしばらく黙って書面を睨んだ。時間はない。
「出す」
決断はそれだけだった。物資が積まれ、人が走り、いつもの三人確認は飛ばされる。速い。確かに、目を見張るほど速かった。
「これが集中だ」
マルタが満足げに顎を上げる。私は何も返さなかった。
三日目、連合から感謝状が届く。迅速な対応に敬意を表す──そう記された紙が広場に回ると、人々の表情がわずかにほどけた。
「正しかったな」
誰かがそう漏らす。
四日目。書簡は夜遅くまで途切れなかった。報告、確認、指示。処理を終える端から、次の一通が卓に積まれていく。まとめ役の男の窓の灯りは、いつまで経っても落ちなかった。
「疲れている」
レオンが声を落として言う。
「まだ四日だ」
私はそれだけ答えた。
五日目、連合評議会から招集がかかる。三日後、代表者会議。
「行くのか」
「行く」
即答だった。町の内政はひとまず三人で回す。ただし最終の名義は、変わらず彼ひとりに残る。
六日目。男の声が、心なしか低くなっていた。決断は相変わらず速い。速いぶんだけ、一つひとつが重い。「問題ない」――その口癖を、彼は日に何度も繰り返すようになった。
七日目。広場で子どもが転んで泣いた。以前の彼なら真っ先に駆け寄っていた。今日は書簡から顔を上げず、指先はそのまま次の一枚をめくっている。小さな変化だが、見間違いようもなく確かだった。
夜。焚き火の炎が風に揺れる。
「やっぱり速いな」
誰かの声に、私は火を見つめたまま頷いた。
「速い」
「だが、重い」
レオンが低く言い足す。
こうして三か月の初週が終わった。町は守られている。速く、無駄なく。ただ、まとめ役の男の窓の灯りは、この七日のあいだ一度も消えなかった。その疲れを抱えたまま、彼はもう明後日には代表者会議へ発つ。
速い、だが重い。
書いている私がいちばん、あの消えない窓の灯りが気になっていました。
以前なら真っ先に駆け寄った人が、子どもの泣き声に顔を上げない。
その一コマだけで胸がきゅっとします。
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