第65話 勝たない終わり方
朝は、少し遅れて始まった。誰も急かさなかった。急かす役割を担う者が、いなかったからだ。
広場には、自然と人が集まってきた。集会と呼ぶほど整ってはいない。立ち話がいくつも重なり、そのまま輪になっただけだ。
「……昨日は、正直きつかったよ」
誰かがこぼした。すぐに否定する声は、上がらない。
「うん」
「遅かったしな」
「無駄もあった」
次々と本音が転がり出る。責める口調ではない。同じ疲れを分け合うような言い方だった。
「でも」
倉庫番の男が、太い腕を組んで続ける。
「全部、誰か一人の判断じゃなかった」
その一言に、多くの者が静かに頷いた。
「昨日みたいなのが毎日だと、こっちの身が持たないな」
「でも、前に戻すのも違う気がする」
意見は割れた。それでも、声を荒げる者はいない。
私は、輪の外に立っていた。呼ばれてはいない。それでよかった。ここで私が輪に入れば、話は私を中心に回り出す。
レオンも、同じだけの距離を取っていた。一歩も前に出ず、人々の言葉に耳を傾けている。前に出ないこと自体が、彼の選んだ答えだった。
「……じゃあ」
炊き出しの鍋をかき混ぜていた女が、手を止めずに口を開く。
「全部を、一人に戻さない」
短い。だが、輪郭のはっきりした言葉だった。
「代わりに」
若者が引き取る。
「今日は、誰が決めるかを、その都度決めよう」
完璧な案ではない。それでも、地に足のついた案だった。
「昨日よりは、ましだ」
誰かが小さく笑った。それだけで、場の強張りがほどけていく。
決まったのは、一つだけ。誰か一人に集めない。それ以外は、曖昧なまま残された。
私は、静かに息を吐いた。これは勝利ではない。私の思想が通ったわけでもない。
昼。人の動きは、昨日より少しだけ早い。相変わらず段取りは悪い。だが、止まらない。
レオンは、判断を求められる場面で一歩下がった。
「……今日は、俺じゃない方がいい」
短く言い置いて、列の後ろへ回る。その一言だけで、周りの空気がわずかに動いた。戸惑う顔もある。だが、誰も拒みはしない。決める役が、別の手へ移っただけのことだ。
夕方。焚き火のそばで、人々は肩を落としていた。疲れている。それでも、誰か一人の顔色をうかがう者は、もういない。
私は、少し離れた場所からそれを眺めた。ここに正解はない。だが――敗者もいない。
ふと、レオンがこちらへ目を向けた。ほんの一瞬。言葉はない。それでも、その視線は昨日までとは違って見えた。彼の肩にかかっていた重さが、少しだけ、あちこちへ散らばっている。
夜。町は、いつも通り静かだった。だが、もう中心はない。誰か一人が抜けても、すぐには崩れない形になりつつある。
私は、空を見上げた。勝たない終わり方。物語としては、少しも派手ではない。だが、現実にはずっと近い。
何かを打ち倒したわけではない。何かを完全に解決したわけでもない。ただ――一人に背負わせない、という選択だけが残った。
それで、十分だった。少なくとも、この章では。
町は、まだ未完成だ。人も、迷う。だが、その迷いは、もう誰か一人だけのものではない。
私は、歩き出した。次に必要なのは、正しさでも答えでもない。この不完全な形と、どう並んで生きていくかだ。それが、次の章の問いになる。
派手に勝つ回を書くのは、実は簡単なんです。
でも今日は、誰も勝たず誰も負けない終わり方。
輪の外に黙って立つアルテミシアの背中を書きながら、私はこの地味さがどうしようもなく好きだな、と思いました。
ここまで並んで歩いてくださって、ありがとうございます。




