第63話 頼られないという選択
朝の広場は、少しだけざわついていた。昨日の話が尾を引いている。商人が去ったこと、資材が入らなかったこと。誰も声高には語らないが、空気のほうがそれを覚えていた。
「……どうする?」
倉庫の前で、数人が立ち尽くしている。いつもなら、視線は自然とレオンへ向かう。だが今日は違った。
レオンは少し離れた場所にいて、誰にも囲まれていない。珍しい光景だ。それでも、誰もすぐには声をかけなかった。
「……あの人に聞けば」
誰かが小さく言いかける。その言葉に、別の声が被さった。
「昨日のこともあるしな」
言いかけた言葉は、途中で止まる。私はその様子を、少し離れたところから見ていた。そして、何もしない。視線も向けず、助言もしない。自分の気配を、できるだけ薄くしておく。
「……俺が決めるか」
そう言ったのは、倉庫番の男だった。これまで判断役に回ったことのない人物だ。皆が一斉に、彼のほうを見る。
「資材は足りない。だから、今日はできるところまでで止める」
簡単な判断だった。完璧ではない。
「いいと思う」
「それで、やろう」
意外なほど早く、同意が集まった。動きが生まれ、人が散り、作業が始まる。誰も、レオンのほうを見ていない。
私は指先の力を抜き、聞こえない程度に息を吐いた。できる。この町は、誰か一人がいなくても動ける。
昼。倉庫番の男は、何度も確認を受けていた。
「これで大丈夫か」
「後で問題にならないか」
その声は、どれも不安そうだ。
「問題になったら、直せばいい」
誰かが、そう言った。珍しい言葉だと思った。それは、レオンのものでも、私のものでもなかった。
午後。作業は完璧ではなかった。無駄も出たし、効率も悪い。だが、止まらなかった。
私は誰にも声をかけず、意見も評価も口にしなかった。それが、今日の選択だった。
夕方。倉庫番の男が、一人で肩を回していた。
「……疲れたな」
誰にともなく呟く。だが、その横顔は少し誇らしげに見えた。
「ありがとう」
誰かが言う。小さな言葉だったが、確かに彼へ向けられた感謝だ。
レオンは、少し離れた場所でそれを見ていた。その表情は複雑で、安堵と焦りと、置いていかれたような色が入り混じっている。
彼が、こちらを見た。ほんの一瞬だけ。私は視線を返さなかった。今日、私が前に出る理由はない。
夜。焚き火の周りで、人々は今日の作業を話題にしていた。
「大変だったな」
「でも、何とかなった」
その言い方は、率直だった。私は少し離れた場所で、それを聞いている。
この町は、まだ不完全だ。判断も迷いも多い。だが、判断を分散できる兆しが、初めて見えた気がした。
頼られないという選択。それは、無責任ではない。世界が誰か一人に寄りかからないための、必要な空白だ。
レオンは、その夜、誰にも呼ばれなかった。彼にとっては、久しぶりのことだったはずだ。呼ばれる側から外れた彼が、明日この輪へどう入り直すのか――その答えは、たぶん彼自身もまだ持っていない。
今日のアルテミシアは、口を出したい気持ちをぐっとこらえて、ただ気配を消していました。
書いてる私まで「言っちゃえば早いのに」とうずうず。
でも彼女は動かない。
倉庫番さんが小さく誇らしげにしていた横顔、私はけっこう好きです。
何もしないって、実はいちばん強情な選択かもしれません。




