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断罪された公爵令嬢は、完璧であることをやめました  作者: 月影 すずり


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第55話 止まるという選択

 その日は朝から曇っていた。重い空気に雨の匂いがまじり、町の動きもどこか鈍い。広場にはいつもの顔ぶれが集まっていたが、いつもの距離を取ったまま、誰も口火を切らなかった。


「……今日は」レオンが静かに口を開いた。「今日は、何も決めないで様子を見よう」


 それだけだった。理由は語らない。それでも反対する者はなく、人々はむしろ安堵したように息をついた。


「そうだな」

「無理しなくていい」


 交わされる言葉はどれも優しい。そして町は、その優しさのなかで確実に止まった。


 午前、炊き出しは始まらなかった。材料も鍋もそろっているのに、竈に火は入らない。「……今日は、やらないのか?」誰かが鍋を覗いて尋ねる。「決めないって言ってたしな」返ってきた一言で、話はそこで途切れた。


 水汲み場では列が伸びていた。昨日より明らかに長い。桶を抱えた男が「……少し、水が足りないな」と呟く。「でも、変えないって」――応じた声は、その先を言わないまま消えた。


 昼、広場の端に一人の男が座り込んでいた。見覚えのある顔だ。荷を運んでいた、あの男だった。


「……どうしましたか」


 声をかけると、彼は苦笑いを浮かべた。


「仕事が、止まりまして」


 責める調子はない。ただ事実を並べているだけだ。「今日は、判断しない日だろ?」彼はそう続けて、濡れかけた地面に目を落とす。「だから、待ってるんです」


 待つ、と彼は言った。命じられたわけではない。彼自身が選んだ行動だった。


 午後になっても、住居の修繕は進まなかった。昨日まで積み上げていた木材が、手つかずのまま残っている。そこへ雨が降り出した。木肌が黒く濡れていく。「……屋根、どうする?」小さな声が上がる。「今日は、決めない日だ」返事はすぐに来た。誰も声を荒らげない。


 レオンは少し離れた場所から、その一部始終を見ていた。表情は穏やかだ。ただ、目の奥だけが揺れている。止まることが誰かを追い詰めている――それを、彼はちゃんとわかっていた。


「……俺が」


 言いかけて、彼は唇を結んだ。ここで決めれば、また判断が自分に集まる。決めなければ、人が困る。どちらも間違ってはいない。


 夕方、雨は本降りになった。補修の遅れた家では、天井から水がしたたり落ちる。「……今日は、仕方ないか」住人はそう言って、床に桶を置いた。責める言葉はひとつもない。


 その光景を前に、私は指先が冷えていくのを感じていた。止まるという選択は、中立ではない。誰かにとっては、はっきりと負担になる。


 夜、焚き火のそばで人々は静かだった。誰も文句を言わず、誰も怒らない。それでも、疲れだけは確実に溜まっていく。頬をこわばらせ、火に手をかざしたまま黙り込む顔が、いくつもあった。


 レオンは炎を見つめていた。


「……間違っていなかったよな」


 誰にともなく漏らした呟きに、答える者はいない。答えそのものが、どこにも存在しないからだ。


 町は今日も壊れなかった。けれど守られたのは“空気”であって、“人”ではなかった。止まるという選択は、誰も責めない。だが、誰も救わないこともある。


 私は雨の中を歩き出した。正しさを手放したこの町で、「何もしない」という判断が、最初の痛みを生んだ。桶に落ちる雨音も、地面に座り込んだ男の背も、明日にはきっと誰かの口から言葉になって溢れ出す。それは失敗ではない。次へ進むために、避けて通れない現実だった。

「何もしない」が、いちばん誰かを追い詰めることもある――竈に火の入らない広場を書きながら、私まで指先が冷えました。


レオン、ぜんぶ抱え込まなくていいんだよと言いたいのに、彼は今日も一人で唇を結ぶ。

この不器用さ、放っておけません。

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