第47話 名前を呼ばれない正しさ
町の外れに、
即席の市場が立っていた。
常設ではない。
人が集まったから、
自然に生まれただけの場所。
荷を下ろし、
情報を交換し、
また散っていく。
今の世界らしい、
緩い結節点だ。
私は、
人混みの中を歩いていた。
特別な用はない。
呼ばれてもいない。
ただ、
流れを見るために
ここにいる。
「……あの人だ」
誰かの声が、
背後から聞こえた。
「どの?」
「ほら、
あそこ」
指差す先。
人の輪の中心に、
一人の男が立っている。
声は張っていない。
身振りも大きくない。
だが――
人の視線が、
自然に集まっている。
噂の人物。
名前を、
まだ知らない。
彼は、
何かを説明しているわけでもない。
ただ、
問いを受けて、
短く答えている。
「今は、
その形でいい」
「無理に合わせなくていい」
「決めきれないなら、
今日は決めなくていい」
どれも、
強い言葉ではない。
だからこそ、
誰も逆らわない。
私は、
一瞬だけ
彼と目が合った。
視線が交差する。
ほんの、
一呼吸。
彼は、
すぐに視線を外した。
驚きも、
警戒もない。
ただ――
理解があった。
(……知っている)
彼は、
私を知っている。
肩書きも、
役割もない
今の私を。
それでも、
何も言わない。
呼び止めない。
私も、
声をかけなかった。
理由は、
はっきりしている。
今、
話すべきではない。
彼は、
この場の中心だ。
私が言葉を挟めば、
空気が揺れる。
それを、
彼も分かっている。
市場のざわめきの中で、
人々は
安心した顔をしている。
決めてもらえたわけではない。
命じられたわけでもない。
それでも――
方向が見えた。
それが、
どれほど人を
楽にするか。
私は、
知っている。
市場を離れ、
少し高い場所から
町を見下ろす。
彼は、
まだ人に囲まれている。
私がいなくても、
問題なく回っている。
むしろ――
私がいない方が
滑らかだ。
(……置き去りにされたのは、
私ではない)
そう思う。
置き去りにされているのは、
問いだ。
問いを抱えたまま立ち止まる
余白が、
この場にはない。
夕方。
人が散り始める。
彼は、
一人になった。
一瞬、
こちらを見る。
だが、
何も言わない。
私も、
何も言わない。
名前を呼ばない。
呼ぶ必要が、
まだない。
日が傾く。
影が伸びる。
私と彼の影は、
交わらない。
だが、
同じ方向に
伸びている。
それが、
今の距離だ。
私は、
町を出た。
彼は、
町に残る。
どちらも、
選んだ立場だ。
正しさは、
まだ衝突していない。
だが――
すれ違いは、
すでに始まっている。
名前を呼ばれないまま、
正しさだけが
先に歩いている。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




