↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪された公爵令嬢は、完璧であることをやめました  作者: 月影 すずり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/128

第28話 正しさは、静かに歪む

 連合の朝は、忙しい。


 王都のように鐘で始まるわけではない。誰かの号令が響くわけでもない。それぞれの土地が、それぞれの都合で動き出す。その雑音めいた始まりこそ、この場所が健やかである証だった。


「……南部第三領から、正式な照会です」


 マリアンヌが書類を差し出し、表紙の一行を指先で示した。


「“循環効率向上計画”について」


 私は受け取り、頁をめくる。内容は想像の通りだった。供給量の再配分、人員の整理、補助役の削減。行儀よく整った数字が並んでいる。


「効率は、上がりますね」


 マリアンヌの眉が、わずかに寄った。


「……ですが」


「ええ」


 私は書類を閉じ、机の上を指の背で軽く叩いた。


「必ず、どこかに無理が出ます」


 数値上は正しい。論理としても間違っていない。だからこそ厄介だった。


「王都の時と、何が違うのでしょう」


 マリアンヌの問いは率直だった。


「中心を作らない、という点では、同じ轍を踏まないはずですが」


 私は少し考えてから答えた。


「“中心がない”だけでは、足りません」


 人は、必ず別の中心を作る。効率。正しさ。善意。名前を替えるだけで、中身は同じものだ。


 昼過ぎ、南部第三領の代表が拠点を訪れた。


 若い男だった。自信を湛えた目に、焦りの色はない。


「我々は、誰かを犠牲にするつもりはありません」


 椅子に浅く腰かけ、彼ははっきりと言った。


「ただ、合理的に回したいだけです」


 その言葉に嘘はなかった。嘘がないからこそ、聞き覚えがある。


「結果として、誰かが外れる可能性については?」


 問い返すと、彼は間を置かなかった。


「それは、全体の利益のためです」


 部屋が静まった。窓の外で、遠くの荷車が石畳を鳴らして通り過ぎていく。聖女の部屋で聞いた、あの声とよく似ている。喉の奥が、ざらりとした。


「……分かりました」


 私は立ち上がった。男の表情が、ぱっと明るくなる。


「では、承認を?」


「いいえ」


 首を横に振ると、彼の笑みが止まった。


「判断は、こちらではしません」


 男が戸惑いに口を開きかけたところで、私は机の抽斗から薄い冊子を取り、彼の前に置いた。


「連合の設計思想を、もう一度お渡しします。これを読んだ上で、再設計してください」


 指先を冊子から離し、続ける。


「それでも同じ結論になるなら、我々は止めません」


 男は目を見開いた。


「……止めない、のですか」


「はい」


 私は声を落として答えた。


「止める権利を握った瞬間、私は――別の王都になります」


 男は、返す言葉を探しあぐねていた。


 夕方。応接室を出ていく彼の背中を、私は廊下の窓辺からしばらく見送った。


「……放っておいて、大丈夫でしょうか」


 マリアンヌの声が、細く、不安げに揺れる。


「大丈夫ではありません」


 私は即答した。


「ですが、経験しなければ分からない歪みもあります」


 連合は、正解を配る場所ではない。間違える自由を、残しておく場所だ。


 夜。机に向かい、報告書をまとめる。赤い印をつけた箇所が、頁の上で少しずつ増えていった。


(……始まったな)


 派手な崩壊から始まるのではない。もっと静かに、もっと善意に満ちた形で、歪みは芽を出す。正しさは、いつも声を荒げない。だから、見逃されやすい。


 ペンを置き、窓の外へ目をやる。灯りは今日も安定していた。けれど、安定は保証ではない。


 完璧であることをやめた私は、今日もまた「答えを出さない」という判断を選んだ。それが世界を壊さないための次の試練だと、承知の上で。


 あの若い男は、冊子を抱えて南部へ帰っていった。同じ結論を携えて戻ってくるのか、それとも――報告書の赤い印は、答えが出るまで増え続けるだろう。

「全体の利益のため」――正しい言葉ほど、書いていて背筋がひやりとします。


ここでアルテミシアが選んだのは、承認でも却下でもなく「決めない」こと。

止める権利を握った瞬間に別の王都になる、と言い切る彼女に、私はまた惚れ直しました。


答えを配らない優しさに付き合ってくださって、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。