第27話 それでも、世界は続いていく
数年後。
かつて「辺境」と呼ばれていた土地は、今ではそう呼ばれなくなっていた。王都を中心とした一極集中は解かれ、各地はそれぞれの規模で循環し、互いに支え合う形で成り立っている。
奇跡はない。だが、壊れない。誰か一人に負荷を押しつける仕組みではなく、小さな不完全さを分け合う構造――それが、連合の選んだ形だった。
小さな町の外れに、看板も名を示す印もない、質素な建物が一つ建っている。それでも、必要な人間は自然とここへ辿り着いた。
「この数値ですが……」
若い技術者が、机の上に図面を広げて差し出す。
「循環量が、わずかに偏っています」
資料に目を落とすと、答えはすぐに見えた。私は頷く。
「ええ。このままでは、三年後に歪みが出ますね」
「修正案は……」
「こちらです」
やり取りは、それで終わる。誰も私の肩書きを問わないし、私を“英雄”だとも思っていない。図面をたたんで、技術者は次の作業へ戻っていった。
それでいい。私は決断する人間ではあっても、支配する人間ではないのだから。
昼休み。窓の外では、子どもたちが声を上げて走り回っていた。魔力灯の光は控えめだが、ちらつくことなく灯り続けている。豪奢ではない。だが、止まらない。それで十分だと、口には出さずに思った。
かつて私は、完璧であることを求められていた。感情を抑え、正しさを貫き、誰かの代わりに嫌われる役目を負い――そして、断罪された。
だが今なら、はっきりと言える。あの時の私が、間違っていたわけではない。ただ、あの世界が、正しさを扱える構造ではなかった。それだけのことだ。
夕方。作業を終えて外に出ると、空がゆっくりと赤く染まっていた。
「アルテミシア」
背後から、聞き覚えのある声がした。振り返ると、エリナが立っている。もう聖女の衣は着ていない。今の彼女は医療と教育の補助に携わり、必要な時だけ、力を使う。
「今日、南の領から相談が来ました」
「……また?」
私は小さく息を吐いた。
「はい。循環網を“もっと効率化したい”そうです」
効率化。その言葉が、舌の上にかすかな苦味を残す。
「人を減らせば、回るようになると?」
エリナは、困ったように小さく頷いた。
「似た発想を、どこかで見た気がします」
「ええ」
空を見上げると、赤みはもう半分ほど藍に沈んでいた。
「正しさは、いつも少しずつ形を変えて、同じ場所に戻ろうとします。だから――終わらないんです。この仕事も、この世界も」
「行きましょうか」
私が言うと、エリナは微笑んだ。
「はい」
夜。机に向かい、新しい地図を広げる。赤く示された歪みと、青い補正案。完璧な答えはない。だが、壊さない選択なら、ある。私はペンを取り、静かに線を引いた。
かつて悪役令嬢と呼ばれた女は、もう物語の中心にはいない。それでも、世界が続く限り、判断は続いていく。
完璧であることをやめた日から、私は、自分の人生を生きている。世界もまた、迷いながら歩き続けている。
ペン先が紙の上で一度止まり、また動きだす。物語は終わった。けれど、世界はまだ、終わっていない。
数年後の静かな景色を書きながら、私まで肩の力が抜けました。
誰も彼女を英雄扱いしない――この距離感が、アルテミシアには一番似合うんです。
「効率化」の一言に苦い顔をする彼女、相変わらずだなあと苦笑してしまいました。
ここまで並んで歩いてくださって、ありがとう。




