晩餐会はもうすぐ
その頃マチアルドの部屋からは、うなり声と絶叫とが交互に漏れ聞こえていた。
「さぁさ!力入れてくださいね。締めますよ」
「ちょっと、もう無理だって。もう締まらないよ。これ以上は絶対無理……ぐぇっ!」
カエルが踏みつぶされたようなくぐもった悲鳴と同時に、勢いよく引っ張られる二本の紐。
姿見には、柱に手を付いて身体を支えつつ、コルセットの紐をこれでもかと締められるマチアルドの姿が映し出されている。
美しいドレスはまだ未着用、もちろん髪のセットもまだであるからして、その姿は美とは程遠い。
「もう一声!いきますよ~、姫様。歯を食いしばって、足を踏ん張っててくださいね!」
どこか嬉々として聞こえるターシャの声に、苦しさのあまり顔面を白くしたマチアルドはもはや声にならないうめき声をあげる。
晩餐会やらパーティーのたびにこうだ。
なぜ貴族女性という理由だけでこんなに苦しいものを身に付けねばならぬのかと、その理不尽さと無意味さに腹を立てるマチアルドである。
「さぁ、後はドレスを着て髪をセットして、お化粧して出来上がりです」
「ほぼ未完成じゃないの……。裸にひん剥かれた挙句、ごりごりもみほぐされるマッサージだけでも魂が抜けそうなのに。これ以上重いもの着たくないし、塗りたくられるのも嫌。王子なんて来なくていいのに……」
コルセットでぎゅうぎゅうに絞られたおかげで、しょげるマチアルドを宥めすかしつつ、少しずつ綺麗に整えられていくマチアルド。その後小一時間程度で、申し分のない王女姿へと変身した。
「はい、これで完成です。時間通りですね。とってもおきれいですよ、姫様。これならどんなおきれいな方たちがいらしても、姫様が一番に決まってます」
姿見の中には、波打つ蜂蜜色の豊かな髪をした少女の姿がある。
淡いグリーンを基調に、裾まわりに品の良いレースと小さな色とりどりの小花飾りが散りばめられているドレス。上半身はすっきりと、デコルテが美しく見える絶妙なカット具合にデザインされている。それに対してスカート部分は、ふんわりと愛らしく広がって。
可憐な中にほんの少し大人びた表情がのぞく、計算されつくしたドレスである。
化粧はもとの肌のきめを生かすようにごく薄く、唇と頬にだけほんわりとピンクを乗せている。とはいえ、ほとんど手を入れていないようでいて、実は計算されつくした化粧ではあるのだが。
髪は一部をゆったりと編み込んで、後頭部にまとめてリボンで飾る以外は、豊かに波打つ髪の輝きを魅せるべく背中に長く下ろしている。
一言で言って、非常に美しい可憐な王女様の出来上がりである。
「相変わらず見事だよね。手を加えていないようでいて、すべてに手を加えているこの感じ。さすがだわ。私であって、もう私じゃない」
「ちゃんと素材を生かしていますってば。もっとご自身に自信を持ってくださいよ、姫様ったら。王妃様に似てとってもおきれいなんですから」
ターシャは小さくため息をついて、鏡に映った自分の姿を胡散臭そうにのぞき込むマチアルドを見やる。
ほっそりとしながらも、健康的にはりのある体つき。その豊かな輝く髪とはつらつとしたアンバーの瞳は、見た者をはっとさせる鮮烈な印象を残す。顔立ちも幼さは残るとはいえ、すっと通った鼻筋と、小さいがふっくらとした形の良い唇はとても愛らしい。
これほどの外見を持ちながら、なぜ自身にこれほど興味がないのかと首を傾げるターシャである。
――まぁ、それがまだ子どもらしいかわいさとも言えるけれど。恋のひとつでもしたら、そのうち変わるかしら。
こっそりと傍らのターシャがそんなことを考えているとは知らず、ふうふう虫の息でソファに浅く腰を下ろす。
「果実水でもお飲みになりますか?」
言葉なく首を振るマチアルド。おそらくは果実水すら飲める気がしないのだろうと、ターシャもほんの少し気の毒に思う。
コルセットというものは、見た目以上に過酷なものである。
正直息をするのも苦しいし、自然と動きも機械仕掛けのようにぎこちなくなる。殿方によるエスコートは、コルセットを着けた女性の介助のために存在するのではないかと思えるほどだ。あんなものを付けて食事など、到底できるものではない。
その上優雅にダンスなど、なんの嫌がらせかと思えるほどだ。同じものを着けて男たちもくるくる回されてみろ、と時折毒を吐くマチアルドの気持ちは十分に理解できる。
とはいえ、ドレスにはコルセットは必需品である。腰がきゅっと美しくくびれるだけではなく、胸元を美しく見せるためにも効果的だし、やはり見映えがするのだ。
美の追求は忍耐と隣り合わせ、とはよく言ったものである。
それになんといっても、今夜はマチアルドの将来の伴侶にとのお声も高い、リスデール国の第三王子がいらっしゃるのだ。
非常に見目麗しい王子様だとの噂だし、剣の腕も見事なものだという。兄君二人はすでに婚約済みで、まだお相手の決まっていないラルフィル王子はリスデール国内のみならず、周辺国でも伴侶にとのお声が高いのだ。
我が姫様ならば、そんな貴公子と並んでもお似合いに違いない。なんといっても、すでに次期女王様としての凛とした気高さと美しさとをお持ちなのだから。
側仕えする身として、ラルフィル王子とのご縁を結ぶお手伝いができるのならば、これほど嬉しいことはない。
そう思えばこそ、コルセットを締め上げる腕に力がこもってしまうのも無理はない。まぁ、今日はちょっぴり締めすぎた感はあるが。
自分が仕上げたマチアルドの美しい姿に対する満足感と同情とが入り混じった表情で、すでにすべてが終了したような抜け殻と化した主人を見守るターシャであった。




