呪いのワルツ
目の前の光景に、息をのむラルフィルとシュタルト。
マチアルドはその激しい衝撃に、思わず膝をつく。ぐわんぐわん、と脳天に響くくぐもった金属音とその痛みとで、目がちかちかする。
だが先ほどの鍋がヘルメットの役割を果たしてくれたようで、なんとか流血の事態は免れたようだ。
いまだふらつく足取りで、よろよろと立ち上がる。
「生きてる?マチアルド!こっちに来いっ」
「どっかその辺に隠れてろ!おい!こっちを狙え。ほら、こっちに飛んできてみろ。俺が相手だ」
本の気を引くように、剣をひらひらさせて挑発するラルフィルと、マチアルドを避難させるシュタルトの連携プレーである。
シュタルトの誘導で、木製の大きな戸棚の中に二人で入り込む。残念ながらラルフィルが入れるようなサイズではない。あとは任せたとばかりに棚の扉を内から閉めて、本からの体当たり攻撃から身を守ろうとするシュタルトとマチアルド。
いい作戦だと思われた。次の瞬間までは。
がたんがたんっ!ごとごとごとっ!
ものすごい大きな音を立てながら、突然戸棚が震えだしたのである。そして二人が閉めたはずの扉がばたんばたん!と開いたり閉まったりを繰り返し始めた。目の前で扉が勢いよく開閉する様子に、パニックを起こして雄たけびをあげる。
「いやあぁぁぁっ!なんで扉が勝手に開くの?!」
「俺、思いっきり舌噛んだんだけど!頭痛いし、もうなんなんだよ!出るぞっ、マチアルド」
なんとか暴れまわる戸棚から這い出して、空中をいまだ飛び続ける本の攻撃をすれすれでかわす。ラルフィルもなんとか本を叩き落とそうと試みているようだが、ひらりひらりとその分厚さのわりに身軽な動きに、翻弄されているようだ。
相変わらず戸棚はばたんばたんと動き回りながら、扉を開閉している。
目の前のありえない光景に、マチアルドの中で何かがぷつん、と音を立てて切れた。
腰に手をあて、頭をぐっと持ち上げ、仁王立ちになるマチアルド。
「っもう!いい加減に静かにしなさぁいっ!!!」
マチアルドのうなるような低い怒号が、ダンジョン内に響き渡った。
ダンジョン内にこだまのように反響して、少しずつ小さく消えていく。すると驚いたことに、戸棚と本がぴたりと動きを止めてスイッチが切れたように突然静かになったのである。
突然の停止に困惑する三人。
どうやら戸棚も本も、もう動き出す気配はないようである。怒鳴り声が効いたのか、はたまた何か動きを止めるような何かが起きたのか。よくはわからないが、なんとか事態は収拾がついたようである。
「……王女の一喝が効いたのかな?確かにドスは効いてたけど、うん」
「そうかしら?……よく分からないけど、やったわ!私」
「剣なんかなんの役にも立たないじゃないか。こんな奇怪なもん相手に、どう戦えっていうんだ!」
思わずへなへなとその場に身を寄せ合って座り込む。ぐったりと疲れ切ったマチアルドたちは、心身の安定もかねて貴重な残りの飴を口に放り込む。
一体ここは何なんだろうか。ここが神殿だろうが異世界であろうが、そんなことはどうだっていい。とにかくどうすればここから脱出できるのか。もはやその一念である。
こんな恐ろしいガラクタの化け物が徘徊する場所を、一刻も早く抜け出したい。でないと命がいくつあっても足りなそうだ、と真剣に思う。
「とにかくマチアルドもシュタルトも、けががなくて良かった。……先に進もう」
頼もしいラルフィルに先導されて、のろのろと立ち上がるマチアルドとシュタルトである。
その前方に、何かきらめくものを感じた。
「あれ?向こうに何かある。ほら、あそこ」
マチアルドが指さした方向に、わずかだが光らしきものが見える。まさか外から差し込む光だろうか。三人は一縷の願いを込めて、飴玉から得た糖分をフルに使って進んでいく。
――気のせいだろうか。その光を背に、何かが動いているように見えるのは。
そう感じたのはマチアルドだけではないようで、隣を歩くラルフィルはため息をひとつついて、静かに剣を引き抜く。
シュタルトもまたマチアルドの手を握って、いつでも逃げ出せるように構える。またなのか、と背中を嫌な汗が伝う。
カシン……。カタカタカタ。
――音がする。何か動いてる。今度は何だ。
マチアルドが恐怖と戦いながら足を一歩踏み出した、その時だった。それが鳴り出したのは――。
暗い鬱蒼とした謎のダンジョンに響き渡る、金属音。……いや、それは軽やかなメロディー。
たらりらりら、たらりらりら、たららったたーん。
たらりらりら、たらりらりら、たららったたーん。
たらりらりら、たらりらりら、たららったたーん。
「これ、……ワルツ、よね」
「ワルツ、だな」
「ワルツってこんなんだっけ?」
聞いたことのあるおなじみのメロディーだ。舞踏会などで序盤にかかる、定番のワルツである。足さばきもこれといって難しくなく、たとえば社交界デビューの際に初心者が躍るのにぴったりな定番曲である。
いや、そんなことはどうでもいい。問題はなぜ今、こんな場所で、このタイミングでこのワルツが流れ出したかということだ。
「おい、何かくるぞ。構えろ!」
ラルフィルの鋭い声に、マチアルドは鉄鍋を、シュタルトは鉄パイプを握りなおす。
「もういやぁ~!次から次へと何なのよ~っ」
ダンジョンに、マチアルドの悲鳴が響いた。




