第13話:実家からの徴税役がやってきた
第13話:実家からの徴税役がやってきた
新田への用水路が開通し、引き込まれた清流が秋の陽射しを浴びて水鏡のように輝き始めた頃。
カタトコ、カタトコ。
街道の先から、数頭の馬と十数名の足軽を引き連れた一団が、砂埃を上げて鳴神の境界へ乗り込んできた。
「――若殿。客人にござる」
外周を見張っていた源蔵が、静かに告げた。木の上では、足の傷が癒えつつある篝が、音もなく身を潜めて相手の陣容を観察している。
馬に乗ってやってきたのは、豪奢な絹の羽織をまとった肥満体の男――実家・橘家の領内を回る徴税役人、茂蔵だった。
(追手からの報告を聞いて、早速嗅ぎつけてきたか……)
一馬は泥のついた作務衣の袖をまくり、作業の手を止めて出迎えた。
茂蔵は馬上で傲慢に顎をしゃくり、冷笑を浮かべて一馬を見下ろした。
「へっ……野垂れ死んだかと思えば、泥まみれで生き恥を晒しておったか、一馬様。本家の殿も宗馬様も、無能の厄介払いが済んで胸を撫で下ろしておられるぞ」
同行の足軽たちが下品に笑う。だが、茂蔵の目は笑っていなかった。彼の視線は、一馬の背後に広がる光景に釘付けになっていた。
「……な、なんじゃ、あれは……?」
底なし沼だったはずの場所に広がる、整然と区画された約一町歩もの黒土の畑。サラサラと清流が流れる美しい用水路。小屋の軒先にずらりと吊るされた大量の燻製肉と、香ばしい蕎麦の匂い。鍛冶小屋から響く力強い槌音と、岩山から立ち上る白い温泉の湯気。死の魔境にいるはずの人間たちが、全員血色の良い顔で、生き生きと働いている。
「ま、まあよい! いかに荒れ地を弄ぼうと、ここは橘の領土の端!」
茂蔵は動揺を振り払うように咳払いをし、懐から一枚の巻物を取り出した。
「本家よりの命である! この鳴神の開拓地に対し、年貢を課す! 通常の年貢に加え、今年は開拓地の収穫が予想以上に多かったため、特別徴収として七割を即刻差し出せ!!」
「「なっ……!?」」
背後に控えていた十兵衛と源助が息を呑んだ。七割。それは開拓初年度の寒村からむしり取れば、冬の間に住民全員が確実に餓死する狂気の暴挙だった。
だが、一馬は怒鳴るでもなく、首を傾げた。
「えっと……税金? 収穫の七割?」
「左様! 文句はあるまい! 実家の温情でこの地を使わせてやっているのだからな!」
「うーん……ちょっと待ってね」
一馬は腰から開拓記録の帳面と炭を取り出し、地面にしゃがみ込んで数字をサラサラと書き殴り始めた。
「茂蔵さん。算術の話をしようか」
「な、なんじゃと……?」
「うちの現在の食料備蓄は、蕎麦が約十石。七割取ると七石だよね。残りは三石。……ここには今六人住んでるんだけど、冬を越すには最低でも八〜九石程度を食料として残したい。種蕎麦も、新田に植える種籾も必要だ。七割持っていかれたら、俺たちは真冬に確実に足りなくて餓死する。それだけじゃない。来春に蒔く種もゼロになる」
一馬は帳面を茂蔵の目の前に突きつけた。
「さらに言えば、水路の補修に必要な木材も、農具を打ち直すための木炭も買えなくなるから、来年の生産力は完全にゼロになるよ。……税って、今年あるものを全部持っていけばいいって話じゃないよ。種を残して、農具を直して、水路を維持して、働く人間が冬を越せるようにする。そうやって来年の生産を維持して初めて、毎年税が取れるんだ。元本を食い潰す徴税は、徴税じゃなくて土地の破壊だよ。……つまり、今年無理やり七割取ったら、来年以降ここから取れる税は永久にゼロになるんだけど、橘家はそういう損な商売をする家だっけ?」
「ぐっ……そ、それは……!」
「さらに言えば、水路の補修に必要な木材も、農具を打ち直すための木炭も買えなくなるから、来年の生産力は完全にゼロになるよ。……つまり、今年無理やり七割取ったら、来年以降ここから取れる税は永久にゼロになるんだけど、橘家はそういう損な商売をする家だっけ?」
「な、何をごちゃごちゃと小賢しい屁理屈を……!」
茂蔵が言葉に詰まる。そこへ、鍛冶小屋から大槌を肩に担いだ鉄心がドカドカと歩み寄ってきた。
「へっ! つまりてめぇらは、今年の税を取るために、来年から山ほど取れるはずの税まで全部ドブに捨てろって言ってんのか? ずいぶん頭の悪ぃ役人様だなァ!」
「き、貴様、下民の分際で無礼なッ! 私は命を受けて参っただけだ! 私個人の判断ではない!」
顔を真っ赤にした茂蔵が、カッとなって腰の刀に手をかけた。
「ええい、無能の戯言など聞く耳持たん! 逆らうならば武力をもって――」
――その瞬間。
スッ……。
源蔵が一歩前へ出た。ただ刀の柄に手を添えただけ。それだけで、周囲の気温が数度下がったかのような凄まじい殺気配が場を支配した。
さらに――。
「…………」
茂蔵の真上、馬のすぐ真上の木の枝に、いつの間にか黒装束の篝が音もなくしゃがみ込んでいた。冷たい瞳で茂蔵の首筋を見下ろし、指先で光る苦無を弄んでいる。
「ヒッ……!?」
茂蔵の乗る馬が恐怖で後ずさり、足軽たちがガチガチと歯を鳴らして足を止めた。一刀流の達人と、気配すら察知できなかった本物の忍び。この開拓地が、ただの落ちぶれ集団ではないことを本能で理解してしまったのだ。
「あ、待って待って、源蔵さん、篝ちゃん」
張り詰めた空気を破ったのは、一馬の呑気な声だった。
「話し合いで済むなら、その方がいいよ。武器なんて物騒なもの出さないで」
「……御意」
「……はい」
二人がスッと殺気配を引くと、茂蔵は安堵のあまり鞍から落ちそうになった。
「茂蔵さん。俺は税を払いたくないわけじゃないよ。むしろ、ちゃんと払える土地にしたい。だから、収穫量を記録して、必要な種籾と食料を残して、残った分から一定割合を納める。それが普通の税というものだろ。うん。でも、それを数字で確認できるようにしたい。来年、誰が来ても同じ数字になるようにね。……今年は、収穫がまだ安定していない。だから今年の納税については、正式な査定をしてもらおう。こちらも帳簿を出す。来年からは、収穫量に応じた一定割合を納める。その代わり、開拓投資分については控除してもらう」
「ぐ、ぬ……っ!」
茂蔵は完全に気圧され、額から滝のような冷汗を流しながら馬の手綱を引いた。
「お、覚えておれ……! このことは本家へ報告するからな!」
捨て台詞を残し、役人たちは逃げるように荒野の街道を駆け戻っていった。
「ふう……びっくりした」
一馬は息を吐き、帳面をパタンと閉じた。
「若殿……本当にこれで良かったのでござるか?」
源助が心配そうに尋ねてくる。
「うん。だって、払えないものは払えないしね。……でもさ、税金をちゃんと払えるくらい豊かな土地になるのは、領地として当たり前のことだよ」
一馬は広大な水田の予定地と、湯気の立つ温泉を見渡して笑った。
「だったらさ、もっともっと米を作って、もっと農地を広げて、誰が見ても文句のつけようがないくらい豊かな場所にしようよ!」
「「ははーーっ!!」」
源助、十兵衛、鉄心、源蔵、そして篝の五人が、力強く声を揃えた。
茂蔵たちの姿が街道の向こうへ消えてから、一馬はしばらく黙っていた。やがて、地面に広げた帳面を見つめる。
「……やっぱり、ちゃんとしないとな」
「何をでござる?」
「税金」
源助が目を瞬いた。
「俺たちがこれから大きくなるなら、毎年『今年は何石穫れました』『これだけ使いました』『これだけ残りました』って、誰が見ても分かるようにしておきたい」
鉄心が腕を組む。
「役人に見せるためか?」
「それもある。でも、それだけじゃない」
一馬は帳面の余白に、新しい項目を書き始めた。人口。食料。種籾。農地。水路。農具。木炭。
「俺たち自身が、どれだけ作って、どれだけ使って、どれだけ残したのかを知らないと、いつか必ず困るからね」
篝が静かに尋ねる。
「……それが、貴方の言う『国』なのですか?」
「国?」
一馬は少し考え、笑った。
「ううん。まだ村にもなってないよ」
そして帳面の一番上に、新しい文字を書いた。
『鳴神開拓収支帳』
「でも、いつか大きくなった時に困らないように、今から始めておこう」
源蔵がその文字を眺め、静かに微笑んだ。
「……なるほど。若殿は、城を建てる前に国を作っておられる」
「え?」
「何でもござらん」
一馬は知らなかった。逃げ帰った茂蔵が、本家への報告で「一馬様は化け物じみた神童となり、死の魔境にあり得ぬ富を築き始めている」と恐れ慄いて報告したことを。そして、この出来事をきっかけに――鳴神という土地の噂が、商隊や旅人たちの間で一気に広がり始めることを。
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【鳴神開拓記録:七十日目】
・開拓人口:6人(健康状態:全員良好)
・居住区:仮設小屋(排煙竈・炭砂ろ過井戸 稼働中)
・施設:鳴神温泉・第一号湯(湯小屋・稼働中)
・産業基盤:鳴神鍛冶場(規格農具の量産体制確立)
・農地:開墾済 約1町歩(新田の通水試験完了・来春の田植え準備へ)
・食料備蓄:蕎麦粉、猪肉(燻製)、川魚(干物)
・対外状況:橘本家より初の徴税要求。収穫・備蓄・来季種子の不足を説明し、今年の徴収を見送りとする。正式な税率協議を要求
・警戒:本家が鳴神の生産力を認識した可能性あり
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【本日の反省:鳴神の生産量・備蓄量・種子量を正確に記録し、対外説明可能な帳簿を整備すること】
【現在の目標:来春の新田開発を完了させ、外部との『交易』の道を模索せよ】
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