表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/25

第10話:泥濘の浄化(見えない敵との戦い)

 僕は塹壕の隅で、泥水が溜まった小さな窪みをじっと見つめている。

 その横には、ガリクに頼んで集めてもらった、数種類の「色の違う泥」を詰めた瓶が並んでいる。


「……やっぱり、この色はアウトだな。マナの腐敗じゃなくて、単なる有機汚濁(ゆうきおだく)……要するに、汚れすぎだ」


 僕は右目にパチリと自作の測量用モノクル(フィールド・ギア)を嵌め、窪みの中の「水の流れ」をスキャンする。モノクル越しには、停滞した水の中で増殖する細菌の予兆が、どろりとした負の応力分布(アラート)として重なって見える。


『おい、ドルト。1週間前は山を一つ丸ごと崩したかと思えば、今日は水たまりの観察か?』

 いつもの歩兵が、顔をしかめながらそう声をかけてくると思ったんだけど……。


「……遊びじゃないですよ。これ、魔導砲より恐ろしい『見えない敵』を排除するための、環境解析(シミュレーション)なんですから……」

 僕は独り力なく呟く……。


 王国軍のキャンプ地は今、危機に瀕していた。連日の雨と泥沼化により排水が完全に機能停止し、至る所に排泄物混じりの汚水が溜まっている。その結果、腹を下して動けなくなる兵士が続出し、野戦病院はパンク寸前だ。

 

「ドルト! ルミエもゼノ曹長も寝込みやがった! 敵の呪い魔法が陣地に蔓延してるって、みんなパニックだ!」

 資材担当のガリクが、鼻を突き刺すような悪臭を振り払いながら駆け寄ってくる。


(……呪いならまだいいですよ。ただの衛生管理不足(ずさんなげんば)で疫病が広まったら、戦う前にこの軍は全滅(倒産)するんだからな)


「呪いなわけないでしょ、ガリクさん。ただの下水道不足(インフラの欠陥)です。飲み水(上水)汚水(下水)を同じ高さで混ぜたら、どうなるかくらい子供でもわかりますよ。」


「それよりもアレの手配はどうですか?」


「アレ……? ああ!あれか!騎士隊の魔導技師様に頼んでおいたぞ!5日あれば用意できるという話しだから今日中にも用意できるはずだ」


 僕は右目に自作の測量用モノクルをパチリと嵌める。

 ()の脳内にある「現場監督」のスイッチが、カチリと音を立てて切り替わる。


――――西暦50年頃、古代ローマ時代。ポン・デュ・ガール。

 南仏で建設された古代ローマの水道橋だ。全長約50kmの導水路の一部で、約1/3000(1kmで約35cm)という極めて精密な勾配管理により一日約2万トンの水を運搬した歴史的建造建造物。3層の美しいアーチ構造は、接着剤を使わず石の自重と精密な加工のみで成り立っており、古代の「インフラ整備」と「導水設計」の極致を示す土木工学の歴史的傑作だ――――


「ガリクさん!できてる分だけで良いのでアレを受け取ってきてください」


「ああ!わかった」

 返事もかくやと言う間にガリクが騎士隊の陣幕の方へと走り出す。


「それからセメントに使った石灰岩も用意できてますよね!?」


「問題ないぜ!指定された場所に集めてある」

 こちらへ振り返ることもなく右手を挙げてガリクが走りながら応えた。





「シギュン様、このキャンプ全体の高低差をミリ単位で削ります。魔照機改良版(アレ)の放つ光がそのガイドになります。シギュン様はこの光に沿って風魔法で(みぞ)を作ってください!」


「ドルト。溝を掘るだけで、この『呪い』が晴れるというのか?」

 シギュン様が、いつもの「獲物を定める」ような鋭い眼差しで()を見る。


「土木は人を守るための器作りですよ、シギュン様。正しい『勾配計算(スロープ・デザイン)』で汚水をキャンプの外へ叩き出し、ルミエさんの残した石灰岩を焼いて『石灰消毒(殺菌)』を施す。これが最強の除霊(クリーニング)なんです!」


「そしてバルカさんは、別に用意した光がギリギリ通るように溝を深く掘り下げてください!深さ30センチ、勾配は2パーセントの想定です!」「おうよ、監督! 穴掘りなら任せとけ!」


 ()はモノクルを弾き、キャンプ全体の排水系統(パイプ・ライン)を再設計する。 キャンプを貫くV字型の本管を設計し、重力を利用して全ての汚水を沈殿池(ごみため)へ流し込む。


理論(イメージ)じゃ水は流れない? バカ言え。現場の清潔は、一パーセントの勾配(けいしゃ)を信じる執念で決まるんだよ!」


 バルカが唸り、シギュン様の風が地表を正確に削る。 ()は仕上げに、自身の微々たるマナを石灰の粉に流し込み、土壌のpH値を調整(ケミカル・クリーン)して病原菌を根絶やしにする。


 ()の指示通りにバルカが掘り抜いた溝に、真っ白な粉が撒かれていく。

 完璧に計算された2パーセントの勾配。それは、水が滞留せず、かつ土を削りすぎない、重力を利用した自然排水の最適な傾斜だ。


「導線設計、完了。一斉排水、開始!」


 滞っていた淀んだ泥水が、()が描いた「道」を通って、スルスルと滑るように流れ始める。キャンプ内を巡るV字の溝を通り、居住区から遠く離れた陣地外の沈殿池へと汚濁が速やかに排出されていく。

 不快な臭気とジメジメとした湿気が、魔法のように一掃されていくのがわかる。


 数時間後、停滞していたドス黒い泥水が、()が描いた「道」を通ってキャンプ外へと一気に流れ出した。 滞留していた悪臭が消え、じわりと乾燥した地面が顔を出す。


 徹底した給排水管理により、その日のうちに新たな病人の発生はぴたりと止まる。石灰で消毒された土壌は乾きを取り戻し、兵士たちは清潔な環境で久しぶりの深い休息を得ることができた。




「……な、なんだ? 今日は気分が良いぞ。呪いが消えたのか?」


 数日後、驚愕する兵士たちに対し、()は石灰で白くなった軍服を払いながら答える。


「魔法はきっかけですよ。環境工学(かんきょうこうがく)に基づいた正しい器を作れば、大自然が勝手に掃除してくれるんです。呪いを探す暇があったら、溝の掃除をしてください」


 ゼノ曹長も、泥が引いた自分のブーツを見つめ、「……お前は、敵を倒すだけでなく、死神の鎌(疫病)さえもシャベル一本で跳ね返すか」と、戦慄混じりの安堵を漏らす。


 その様子を、シギュン様が温まった壁に背を預けながら、いつにも増して深い眼差しで見つめていた。

 「ドルト。貴公はまた、私の予想を遥かに超える『現場』を救ったな。……貴公という資源は、王都全体のインフラ整備(くにづくり)という、より巨大な『現場』においてこそ、真の輝きを放つと思わないか?」


 「王都の工事ですか? いやぁ、規模が大きすぎて僕には荷が重いですよ。僕は早く実家をフカフカにする仕事に……」


 「なるほど、規模が大きいと難しいか。ふふ、まあ今は焦ることはあるまい。貴公の任期はまだたっぷりあるからな。その間に、じっくりと『盤石な地固め』を済ませるのも良いかもしれないな」


 シギュン様は、優雅に微笑んで立ち去った。だがその微笑みは、僕がモノクルで覗いたどんな地層よりも、強固で逃げ場のない「長期的な包囲」を感じさせるものだった。


 空を見上げれば相変わらずの雨だが、僕たちが整えた排水システム(インフラ)は、昨日よりも清潔に、僕たちの工期(いのち)を明日へと繋ぎ止めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ