111、自業自得
「うん、やっぱ、おまえしかいないな。オレ、おまえと結婚してやるよ」
「は? ひとりで勝手に納得されても、訳がわからないわ。そもそも私は、あなたを伴侶にするなんて、一度も言っていないわよ」
「あはははっ! いま言ったじゃねーか。オレ、もうこれ以上おまえに嫌われることねーから、気楽にいくぜ」
「は? 何言ってるのよ」
「なぁ、その、は? ってのはやめろよ。女神みてーで、イラつくんだよ。さっきも言っただろーが」
「私に命令しないで。ほんと、失礼ね」
私が怒っても、彼はもう全く動じなかった。逆に、ニヤッと笑っている。さっきの捨てられた子犬のような顔はどこにいったの? それに、理由がわかったと言っておきながら、その理由は言わないのね。
「あはは、ライトが言っていた通りだな。オレ達、もう上がるしかねーだろ」
何が嬉しいのか、彼は笑っていた。不安定よね、さっきはあんなに暗かったのに……。
(訳がわからないわ)
「なぁ、ローズ、オレと付き合うだろ?」
「なぜそうなるの? 私はアナタに怒ってるんだからね」
「オレ、何も怒らせるよーなことしてねーぞ」
「私を怒らせることしかしてないでしょ! 私が好きだった所長が架空の人物だったなんて……。アナタのせいで、彼を失ったような気分だわ」
「ん? 所長ならここにいるぜ? 中身は変わらねーって言っただろーが」
「話し方も雰囲気も、全然違うわよ。喪失感が半端ないわ」
「オレは、ここにいるぜ?」
カバンは、何もわかっていないのか、キョトンとしていた。私の喪失感を理解することなんてできないわね。
「はぁ、もういいわ。精算してもらって帰るから」
「なぁ、オレと付き合うだろ?」
「付き合わないわよ」
「じゃあ、いきなり結婚するのか?」
「伴侶にするなんて言ってないわ」
「うーん、じゃあ、どーするんだよ、オレ達」
「どうもしないわよ!」
私は少し意地になっていたのかもしれない。
彼がまた、叱られた子供のような、いや、捨てられた子犬のような……すがるような顔をしていることに気づいたが、あえて無視した。
「そーか……」
彼は、うつむいていた。その表情はわからない。でも、無言だ。私が突き放してしまった……のよね。
(沈黙が……なんだか辛いわ)
しばらくして彼は顔を上げると、眼鏡をかけた。そして立ち上がり、部屋に張った結界を解除したようだ。
すると、すぐに扉が開き、年配の男が入ってきた。
「ローズさん、追加で、あと銀貨50枚お願いできますか」
「ええ、わかったわ」
私は、不足分の支払いをした。その間、彼は、やわらかな笑みを浮かべていた。だが、いつもとは違う。親しげな笑みではない。目が笑っていない、冷たい笑みだ。
精算を終えた私は、出入り口の扉へ向かった。年配の男は、私にありがとうございましたと声をかけた。
少し離れた場所で作業をしていたマルトは、私が帰るとわかると、私にパッと頭を下げた。
(所長は、何も声をかけてはくれないのね)
チラッと振り返ると、応接室の前から、私を見送っているようだった。やわらかな笑みを相変わらず浮かべている。
私が扉に手をかけると、やっと彼が口を開いた。
「ローズさん、もうお会いすることはないと思います。今回のご依頼の件ではお役に立てず、申し訳ありません。良い方向に進むよう願っております」
「えっ? もう会えないって?」
「もう少しすると街を離れますので。どうか、お元気で」
「そ、そう。いろいろありがとう」
彼は、やわらかな笑みを浮かべていた。私が扉を開けたとき、その口が、さよならと告げたように見えた。
(えっ……嘘)
私は、階段を下り、寮へと向かって歩き出した。階段を下りたところで一度振り返ったが、扉は閉まったままだった。
(もう、会わないつもりなんだ)
彼の能力なら、街を離れる用事があっても、戻る気があれば簡単に戻れるだろう。私に会おうと思えば、いつでも会いに来られるはずだ。
(私が、突き放したんだ……)
私は、いま、本当の意味で所長を失ったのだ。頭をガンと殴られたような衝撃と、そして強い喪失感が押し寄せてきた。
きっとカバンを深く傷つけた。捨てられた子犬のような……あんな懇願するような顔をした彼を、私は突き放したんだ。
(私は……最低ね)
寮の自室に戻ると、ベッドに突っ伏した。だけど、自己嫌悪で、全く眠ることができなかった。
それからしばらくは、普通の学園生活が続いた。
旧帝都の状況は、女神様の軍隊が調査をして、大型の魔導兵器が回収されたのだという噂を聞いた。
アマゾネスからも特に何かの異変を知らせる連絡は来ていない。ミューも、最近はずっとこの街にいるようだ。
学園に臨時入学してきた新入生は、全員武闘系だが、馴染めば、とても友好的な種族だった。
彼らによると、その星の神が赤い太陽系へ移ることを決めたが、中立を望む住人には自由を与えたらしい。もともと、赤い太陽系にいた神だそうだ。神戦争で壊滅的な被害を受けたことで、中立の黄色い太陽系に一時的に避難していたそうだ。
「ローズさん、また手合わせをお願いできますか」
「ええ、いいわよ」
私は、朝の日課として剣術や武術の部活の朝練に混ざっていた。新入生は、みな、どちらかの部活に所属したらしく、朝練の人数はかなり増えていた。
この学園は、魔法学園なのに、最近は武闘系の部活が元気だ。武闘系の大量の新入生効果ね。
私は、あの日以降、新入生によく手合わせを頼まれるようになっていた。そう、クラスメイトが、生意気な新入生の鼻っ柱をへし折った日だ。
新入生は武闘系の種族だからか、入学直後の彼らは、この魔法学園の学生を舐めていたようだ。ずっと中立を保っているイロハカルティア星の住人は、戦えないと思われていたようだ。
それをいさめるために、私達のクラスが利用されたのだ。
「新入生の皆さん、3ヵ月前に入学した皆さんの先輩と、手合わせしてみますかー?」
そんな提案をしたのが、シャインくんの妹ルシアだった。彼女が、この特殊な新入生の担当を任されていた。
「この星の住人なんだろ? 俺達は、もともと赤の星系、武闘系だぜ?」
「そうですよ。この星の若者の能力がわかるんじゃないかしら?」
そして、私達のクラスが呼び出されたのだ。剣術の成績がトップだったルークさんと、武術の成績がトップだったバートンが手合わせをすることになった。
「なんだか緊張するねー」
「ふふ、シャラさん、私達は見学だけよ?」
「なんで、俺まで呼び出されたんだよ」
「ノーマン、ホームルームだと思えばいいじゃないか」
「アルは楽しそうね〜」
「模擬戦だろ? シャラはワクワクしないのか?」
「しなーい」
その結果は、圧倒的だった。ルークさんもバートンも、やはり強い。新入生はみんな度肝を抜かれたようだった。
「特殊な魔族なんだよな。俺達は、平和を愛する一般人なんだけど」
彼らの負け惜しみの一言に、ルシアさんは、じゃあと笑って次の相手として、私とアルフレッドを指定した。
「この二人は、座学がトップだからSクラス入りしたのよー。二人とも、ただの人族よ。この二人にも勝てないなんてことはないわよね」
「人族で、しかも、ひとりは女じゃないか。ルシア先生、俺達をバカにしてない?」
そして、数人と模擬戦をすることになった。アルフレッドは、強かった。ルークさんとほとんど変わらない。
一方で、私は苦戦した。アマゾネスは戦闘民族だけど、やはり、武闘系の種族は身体能力があまりにも違う。
使用が許されている補助魔法を使うことで、なんとか引き分けに持ち込んだ。
この日以降、新入生はガラリと態度を改めた。この星の住人を自分達と対等だと認めたのだろう。
「はぁ、やっぱりローズさんに勝てない」
「補助魔法を使わないと、私が負けるわよ」
「やっぱ、補助魔法が必要か〜」
「そうね、せっかく魔法学園に入学したんだから、魔法の勉強もすればいいんじゃない?」
「そうですね、がんばりますよ」
毎日、充実していた。でも、心の中には、ポッカリと穴が開いているような感覚だった。あれ以来、所長どころかカバンとも、会っていない。カバンの噂はたまに耳にするけど……。
(私の……自業自得ね)