110、リュックのココロ
所長は、ソファから立ち上がり、応接室の外にいる所員に声をかけた。
「ちょっと機密事項の話をするから、音の結界を張るよ。請求書は、結界を解除してから持ってきてください」
彼は応接室の扉を閉めた。すると、フヮンと何かが作動したような音が聞こえた。さらに彼は何かをした。
「扉を閉めたときのは魔道具の音結界、今のは俺の認識阻害の結界。誰かが突然、入ってくるかもしれないからな」
そう言うと、彼は眼鏡を外した。黒髪がさっと銀髪に変わった。やはり所長は架空の人物なのだと、私は落胆せずにはいられなかった。
「なぜ、眼鏡を外すのよ」
「ふっ、疲れるんだよなー。無理して良い子を演じ続けてると、頭痛くなってくるじゃねーか」
「じゃあ、その姿で、仕事すればいいじゃない」
「はぁ? 眼鏡は必須だろーが。この姿だと信用ねーんだよ。それに、魔道具で変装すれば、オレだとは見抜かれねーからな」
「信用ないのは自業自得なんじゃないのかしら。そんなんだから、素性を隠すはめになるのよ」
「ちげーよ。さっき、変な女に会っただろ? あーゆーのが、ウロウロしてんだよ」
「下級神って言っていた女性?」
「あぁ、特にオレは狙われてんだよな。モテて困るぜ」
私は思わず、カバンを睨みつけていた。なんなの? 自慢? 意味不明だわ。
すると、カバンは、ニヤッと笑った。
「なに笑ってるのよ」
「ふっ、ローズがかわいいなーと思って。なんで百面相してんだ?」
「は? バカにしているの? それに、私に嫌われるのが怖いからって、会わないように避けていたんでしょ? なぜ、出てくるのよ」
私がそう言うと、彼からニヤニヤした笑顔が消えた。
「タイガから、聞いたんだろ? オレがウジウジしてるって。それ、昨日で終わりだからな。もー、これ以上ないってくらい落ちてるから、あとは上がるだけだって〜」
「あの人がそんなこと言ったの?」
「いや、タイガは、スライムの真似して楽しいんか? って笑ってたぜ。あのおっさん、基本ひでーからな。ライトが、もう今はどん底だから、これ以上嫌われることもないって教えてくれたんだ」
「マスターが……」
「それに、おまえもオレのこと、たくさん考えてるだろ? おまえがオレのことを信用してねーから、オレの言葉が届かねーってことがわかったから」
「ちょっと! 私の思考を勝手に覗き見しないでよ!」
「あ? マリーが言ってたんだぜ? オレは覗いてねー。そんなこと、怖くてできねー。オレのこと、とんでもなく嫌ってたらって考えると……」
(何? 小心者なの?)
カバンは、私の顔をジッと見ている。その目は、まっすぐに私を見ている。私には、嘘などついていない正直な目に見えた。
でも、それも彼の能力なのかもしれないわね。正直に見せかけて、腹の中では笑っているかもしれないわ。
「オレ、ミッションで来てる子が、おまえの子供の頃を知っているとわかって……殺意がわいた」
「は? 何言ってるのよ。殺意? そんなことで? バカじゃないの」
「オレ、殺意って、知らなかったんだ。誰かがうらやましくて殺したくなるってことなんだな」
「えっ? ちょっと……」
「おまえは一体なんなんだよ。なぜ、オレをこんなにおかしくさせるんだ。こんなことを話したいわけじゃないのに」
「そんなの、知らないわよ」
「はぁ……くそっ!」
カバンは、私の向かいのソファにどかっと座り、頭を抱えている。なんだか、ワナワナと震えている?
沈黙の時間が流れた。
そして、彼は、うつむいたまま、小さな声で呟いた。
「オレは、どーすれば、おまえの心を手に入れることができるんだ? ローズ、教えてくれよ。もうオレには、全くわからねー」
そう言うとカバンは、ゆっくりと顔を上げた。
私は、どう返事すればいいかわからなかった。目の前にいるカバンは、あまりにもいつもとは様子が違う。なんだか叱られた子供のように、力なくしょんぼりとしていた。
(そんなの、私にだってわからないわよ)
「なぁ、オレを信用できねーのは、どこが悪いんだ? 何を直せば信用してくれるんだ? どーすれば、オレを頼ってくれる?」
彼の瞳は揺れていた。まさかカバンが、こんな懇願するような言葉を口にするなんて、私は思ってもみなかったことだ。
あーこれか。中年男が不安定だと言っていたのは……。
今の彼には、突き放すと壊れてしまいそうな危うさがある。
(はぁ、ほんとにもう!)
「じゃあ、逆に聞くけど、いつから、私の何が、気に入っているわけ?」
「ん? 最初に見たときから、イラついてた」
「は?」
「気になったのかもしれねー。たぶん、あの頃のオレは、モヤモヤの意味がわからなかった。見ただけでイラつく女なんて、女神しかいねーからな」
「イラついたのに、キスしたの?」
「あれは、なんだか、おまえに吸い寄せられたんだよ」
「は?」
「なぁ、おまえ。その、は? ってのやめろよ。女神みてーじゃねーか。イラつく」
「そんなの知らないわよ。呆れるようなことばかり言うからでしょ。それに、私のことを気に入っているわけでもなさそうじゃない」
「ちげーよ。最初はイラついたけど、その後もずっとモヤモヤしてたんだよ。だから、学校に行ったんだろーが」
「学校に? 何をしに行ったわけ?」
「はぁ? おまえ、忘れたのかよ。模擬剣で、手合わせしたじゃねーか。そしたら、おまえが楽しそうで、オレも楽しくなってきて……それで、モヤモヤが、ふわふわ楽しい気分に変わったんだ」
「それは、所長のリュウさんでしょ」
「眼鏡は、あってもなくても、オレはオレなんだよ。見た目と、言葉遣いが変わるだけで、中身は何も変わらねーんだからな」
「そう」
「あの後から、姿を変えているのがなんだか、おまえを騙しているよーな気になってきたんだ。だから、言おうとしたけど、おまえは思念がだだ漏れだから、他の奴らにもバレるかと考えると言えなかった。眼鏡をかけてるときは、魔人だと騒がれねーから……身内にしか言ってなかったし」
「そう」
「でも、狩りの授業の手伝いに行ったときから、オレ、怖くなってきたんだ。おまえが探偵のリュウは好きだけど、オレを嫌っているってわかったし。探偵がオレだとバレると、おまえは、笑顔を向けてくれなくなる……」
「えっ? お菓子の家で、抱きついてきたじゃないの」
「あのとき、おまえの頭の中を覗いたんだ。探偵のリュウじゃなくて、オレに目を向けさせようとしたのに、何をやっても、おまえはオレを見てくれない」
「いつも、失礼な言動ばかりだからでしょ」
「それがオレなんだ。飾りたくねー。あのとき、探偵はオレだと言っていれば、こんなことにならなかったかもしれねー。買い物もすげー楽しかったし、おまえと毎日あんな風に過ごせたら最高だと思って……」
「買い物? 所長と買い物なんてしたかしら。他の女と間違えてるんじゃないの?」
「あっ! あぁ……。はぁ……」
すると、彼はまた、頭を抱えて、うつむいた。
(もう! なんなのよ。ウジウジして)
「なぁ、アマゾネスの防衛の話、どーするんだよ」
「まだ考えていないわよ」
「そんなに時間はねーぞ。魔導兵器は、コピーされて量産されてるんだ。国境にズラリと並べられたら、降伏するしかなくなるぜ」
「えっ!? 量産……」
「オレに任せろよ」
「なんで、あんたに任せなきゃならないのよ」
「オレを伴侶にしたいんじゃねーのか? 伴侶に選べば、オレにはアマゾネスを防衛する理由ができるぜ」
「私はそんな利用するような目的で、伴侶選びなんてしないわ。あれは、お母様の考えよ」
すると、彼は、ハッと何かに気づいたような顔をした。そして、ニヤッと笑った。
「何よ、何がおかしいのよ」
「わかったぜ。オレがどーして、おまえのことを気に入ってるのか……さっきのおまえの質問の答えがわかったんだぜ」
そう言うと、彼は自慢げな顔をしている。
(なんなのよ、コロコロと機嫌が変わりすぎでしょ)




