109、探偵事務所にいたミューの隣人
私は、そのまま眠ってしまったらしい。ベッドで突っ伏し、泣きはらした顔はひどかった。でも、泣くと元気になるものだ。
窓から外を見ると、黄色い太陽は沈み、赤い太陽が昇ろうとしていた。もう夕方だわ。
私は熱いシャワーを浴びた。生まれて今までで一番泣いたかもしれない。そもそも、アマゾネスにいた頃は、泣きたくなるなんてことはなかった。いや、あの夢をみるようになってからは、涙が流れるようになったのだったかしら。
(美優の記憶が、私の心を弱くしたわね)
思い出さない方がよかったのかもしれない。でも、封印を解いていなかったら、私は女王の地位を継承する前に、寿命が尽きてしまったのだろう。
(これも、私の運命か)
そういえば、アマゾネスの周辺国や旧帝都の調査をしてくれている年配の探偵は、もうしばらくしたら調査報告ができると言っていた。
でも、もうだいたいの状況はわかった。国としての公式の依頼でもない。わざわざ、報告書にまとめてもらう労力は不要だわ。
(よし! 残金の精算をしてもらおう)
私は、身支度を整えると、探偵事務所に向かった。
所長と鉢合わせるのではないかと、一瞬不安が頭をよぎったが、おそらく彼は察知して、私を避けるだろう。
私は、依頼したままのこの状況に、キチンとケリをつけたかった。すべてを過去の出来事として清算したかった。
その上で、今のアマゾネスの危機を考えよう。冷静な判断ができなければ、取り返しのつかないことにもなりかねない。
(私がしっかりしなければ)
探偵事務所のある建物の一階に来て、ふと営業時間が気になった。さっき、虹色ガス灯は水色だった。夕方だから、役所なら閉まる時間だわ。
ギルドなら時間に関係なくずっと開いている。でも、探偵事務所は、どうなのかしら。日によって違うのかもしれないけど……今日は、夕方もやっているのかしら。
私が二階への外階段で悩んでいると、事務所から依頼者らしき人が出てきた。すれ違いのできない階段だから、私は下りてくる人に譲った。
(この時間も、営業しているのね)
下りてきたのは、暗い表情の女性だった。私は軽く頭を会釈をして、階段を上ろうとすると、その女性に呼び止められた。
「貴女も、恋人の調査依頼?」
「えっ? いえ、私は故郷のことで……」
「なんだ、そうなの。私、ここじゃなくて占いの館に行けと言われてしまったわ」
「そう、なんですか」
「わかってはいるのよ。魔人に心がないことぐらい」
「えっ? 魔人、ですか」
「あら、知らないの? この街には女神様の魔力から生まれた魔人が6人も出入りしているのよ。私は魔人の子が欲しいのよ。魔人と知り合える場所を探してもらおうと、わざわざ地底から、こっそり抜け出して来たのに……」
「魔族なんですか」
「魔族? ふっ、私は神よ。と言っても下級神だけどね。貴女は、なんだか妙な人族ね。後天的な神族?」
「いえ、私は、ただの人族です。失礼しますわ」
私は階段を上がった。彼女は、しばらく私を見ていたが、フッとその場から消えた。
(話がよくわからなかったわ)
魔人に心がないと知っているけど、魔人と知り合える場所を探している? 魔人のひとりと別れたから、次の魔人を探したいということなのかしら?
地底の下級神といえば、地上でいう精霊のような存在だったはずだわ。そんな人が、魔人の子が欲しいなんて……。
(魔人の能力を受け継いだ子供が欲しいだけ?)
下級神の考えは、私にはわからない。子供って愛の結晶じゃないの? いや、違うわ……ダメね。私の感覚は、完全に前世の美優に引きずられているわ。
アマゾネスの女性も、王族でなくても、より良い条件の男を伴侶にしたがる。そこに恋愛感情なんてものはない。
(私は、このままではアマゾネス失格ね)
ミューが昨日言っていたように、恋だのなんだのという感情は、アマゾネスの女性は、そもそも持たない感情だ。無駄だから、そのような感情は退化したのだろう。
私は封印を解いて、前世の記憶が戻ってから、少し浮かれすぎていた。情けないことだ。
(そろそろ、切り替えなければいけないわ)
私は、気分を切り替えて、探偵事務所の扉を開けた。
「いらっしゃいませ。えっ? ローズ、さま?」
事務所の入り口付近にいた男に、私はなぜか、様呼びされた。私と同じくらいの、どこかで見たことのあるような顔だった。気の弱そうな細身の魔導ローブを着た男だ。
「ええ。どこかで会ったかしら? 見たことあるような気がするけど」
すると、その男は嬉しそうに笑った。見たことあると言っただけで、そんなに喜ぶなんて、まるでアマゾネスの男ね。
「はい! マルトです。ミューさんの向かいの家の……」
(あー、チラチラ覗く、気の弱い子か)
「アマゾネスを出たの?」
「はい、先月成人の16歳になりまして、この街に来ました。母に、ローズ様の近くにといるようにと命じられまして……」
「そう、同い年なのね。あなたのお婆さんが、確か、あなたは魔導士だと言っていたわね」
「は、はい!」
マルトは、私が自分のことを知っていることに感激したらしく、目をうるませていた。
「マルト、お客様にご用件を伺ったのかな」
(えっ!?)
事務所の奥から、所長が顔を出した。そして、彼は私に、やわらかな笑みを浮かべた。
ドキッ!
私の胸は、私の意に反して、ドキドキしていた。スゥーっと深呼吸をして、私はうるさい音を静めた。
(どうして、そんな平気な顔をしているのよ!)
やはり、私は、騙されているのね。カバンは、私のことなんて、何とも思っていない。さっきの女性も、魔人には心がないって言っていたもの。
(もう、忘れよう)
「あ、ローズさま、あの、ご用件は……。あの……」
マルトが私に何度も話しかけていたようだ。
「以前依頼していた調査の件で来たのよ」
「ローズさまが、探偵に依頼ですか!?」
「マルト、あなたはなぜここに居るの?」
「は、はい。冒険者ミッションで、アマゾネス周辺の調査を受注したときに、探偵って面白いなと思ったので、昨日から探偵補助のミッションで来ました」
「アマゾネスの周辺の調査をしたの?」
「えっ? あ、はい。あの、隣国の調査に……」
「そう。その件で来たのよ。その依頼主は、私だから」
「ええっ? な、なぜ?」
「それは、あなたが知る必要はないわ」
「申し訳ありません。立ち入ったことを……」
私の言い方がキツかったのか、マルトは、手が震えていた。そんなに怖がらなくてもいいじゃないの。
奥から、所長がこちらへとゆっくりと歩いてきた。
「ローズさん、こんばんは。マルトとはお知り合いなんですね」
「所長さん、こんばんは。ええ、子供の頃から知っているわ。こんなに話したのは初めてだけどね」
「幼馴染ですか。なんだか、嫉妬してしまいますねぇ」
(何を言っているのよ)
所長は、私を奥の応接室へと案内した。マルトは、他の所員に呼ばれていった。
応接室には、前に私に経過報告をしてくれた年配の男も、私のすぐ後から入ってきた。そして、年配の男が口を開いた。
「ローズさん、だいたい調査は完了しました。明日から報告書の作成に取り掛かりますので、数日後にはご連絡させてもらう予定だったんですよ」
「その件だけど、所長さんからも報告は聞いたから、だいたいのことはわかったわ。わざわざ報告書にまとめる労力は不要だと言いに来たのよ。依頼料の不足分があれば、今、精算してもらいたいの」
「書類にする必要はないということでしょうか」
「ええ。それに、その書類が他人に見つけられても困るし。追加報告も口頭だけで構わないわ」
「かしこまりました。こちらの資料は、厳重に保管しますので、ご安心ください。ただいま、依頼料の計算をしてきますので、少しお待ちください」
「わかったわ」
年配の男が応接室を出て行った。所長と二人きりになってしまった。なぜか、彼は、やわらかな笑みを崩さない。
(何よ、何か企んでいるの?)