第31話 ただいつも通りに戻るだけ
最近は学校に来るのが少し楽になったと感じている。それはきっと、私を囲うようにいる三人の存在が大きかった。
球技祭での出来事。私を庇ってくれた二人と、そのために行動する彼。どこか余裕があるようで、でも必死になって競い合ったり、誰かのために本気で怒れる人。他の男性とは違って彼からは一切邪な視線を感じない。いや、それは彼の隣にいるあの二人もそうか。
けど、彼らは素敵な彼女がいるらしい。そんな中でもどこか彼は特別なような気がした。理由は分からないけれど、彼の友人二人はどこか特別視しているのが分かる。
「いつか……連って呼ぶ日がくるのかな?」
なんて、呟いている自分に驚いた。周囲を見渡すけれどいつも通り人の姿はない。図書委員を務めている女子と先生のみが遠くに見えて、それに安心する。
少しだけ頬が熱くなり誤魔化すように、ふと視界を上げる。視界に映る空は赤く染まっており、私は帰宅準備を始める。
(そういえば、教室に普段使っているシャーペンを忘れてたっけ?)
そんなことに気付いて教室に戻って行く。ふと開いた携帯には千夏たちの連絡があって、ふと笑ってしまう自分がいた。久しぶりだった。友人と楽しく話せることが。もしもまた友人に裏切られたとしても千夏たちになら、しかたないって思えるのかな?
昔の友人との出来事を思い出しながら、ふとそんな事を考える。ううん。きっと千夏たちはずっと一緒にいてくれるような気がする。また友人に対して信頼する気持ちが湧いてきたことに自分でも驚いていた。
その足取りは自分で思っているよりも軽かった。それは最近の学校が楽しいからに他ならない。自分でももう一度、友人と呼べるような人が出来るとは思っていなかった。
中学でのあの出来事以来、信頼しようと思える人なんていなかったから。そんな中で千夏と雫だけは私のことを庇ってくれた。ずっと嫌な態度を取っていた私に対して、臆病になって突き放すことしか選択しなかった私に、歩み寄ってくれた。庇ってくれた。それと、鏡君も……。
普段の彼は穏やかで、どこか自信なさげで、かと思えば、急に大胆な宣言して凄みが増す。胸を張って告げる彼は自信に満ち溢れていた。それはきっと彼が友人のことを心から信頼しているからだった。
どうして、彼はそこまで有明君や西園寺君のことを。そして出会ったばかりの千夏や雫のことを信頼しているのだろうか?私はそれが気になった。思い出すのは優し気に見つめる彼の表情で、それは敵対したはずの相手にすら向けている。
全ての人を信頼してるってことなのかな?なんて思いつつ、向かう教室への道は少しずつ暗くなっており、緊張感が走る。でたりしないよね?なんて思いつつ、気付かれないように足音を立てないように教室に近付く。すると微かに声が聞こえた。
(もしかして、お化け?)
思わず唾を飲み込みながら、中を様子を探るように、すぐに逃げれるように足先だけは階段の方を向きながら、半身で迫っていく。近づいてくると誰かが会話をしている声だった。男子と女子の声、これって
(有明くんと、それに……誰?)
何気ない会話のトーンじゃない。少しだけ、張りつめた空気を帯びている。まさか──告白? そう思って、その場を離れようとして足を止めてしまう。耳に飛び込んできた言葉が私をその場に留める。
「……有明君から見てさ、連と夢咲さんはつり合いが取れてると思う?」
私の話題……というかつり合いってどういう事?噂になってるの?なんて思いつつ、少し緊張しながら続きを聞く。
「その前提でいうなら僕は、連くんとつり合いが取れる人物を二人しか知りません。当然、夢咲さんでは、連には釣り合わない」
その声は少し冷たく、思わず身を縮こまらせてしまう。そんなことは自分が分かっていると。勉強以外に何の取り柄も無い私が、彼のように周囲の目を惹く人と釣り合うとは思っていない。もし、かわいさが私にあるとしても、彼はそれに興味がない。
「ならさ、有明くんは現状に満足しているの?彼女のせいで連は評判が落ちているよ」
「知ってますよ。夢咲さんと唯一楽し気に話しているせいで、先輩から嫉妬買っていることも。あなた達みたいに連に惚れている人が沢山いて、そのせいで松崎さんが困っていることも」
「なに、脅し?」
「いえ、連君はそんなこと気にしないってことです。自分の進むべき道を全て正しい道へと変えるのが彼ですから」
「有明君は、連のことを評価してるんだね」
「えぇ、僕の中で彼は英雄ですから!」
「そう」
二人の会話はどこか白熱していた。どうしてこんな風になっているのかもわからない。それでも分かることは有明君にとって私は邪魔な存在ってことだろう。
「それじゃあ、僕はこれで失礼していいですか?」
「うん、いいよ」
「ありがとね」
足音がこちらへと近づいてくる。私は慌ててその場を離れ、廊下の角に身を隠した。近づいてくる彼の存在から、身を潜めるようにして息を殺す。足音が一つ、こちらへと向かってくる。反射的に背を壁につけ、物音一つ立てぬよう気を張った。
(……有明君)
今一番顔を合わせたくない彼の姿を確認する。彼はこちらに気づくこともなく、廊下にいる気配が遠のいていく。
(……はぁ~)
少し息を吐きつつ、彼が通った道を見送る。その後、私はすぐには動けなかった。胸の奥で何かがざわついて、冷たい汗が背中を伝っていた。
やがて、鼓動も正常に戻り、いつもの静寂が戻る。それから10分くらい私はそこから動けなかった。緊張しているのが分かる。
にしても釣り合っていない……か。それと足を引っ張っているとも言われた。確かに私って今一緒にいてくれる三人に何を返せているんだろう?そんなことを考えて気分が落ち込んだ。
ううん。一緒にいてくれている三人に感謝を伝えればいい。はやくシャーペンを持って帰ろう。そう思って立ち上がった。
この時に私はきっと、そのまま帰っていればよかったんだ。そうしたら彼女たちの会話を聞かずに済んだはずなんだ……。
「にしても松崎さん達も大変だよね。夢咲さんのせいで、女子から嫌われているし、直接嫌味を言われたりしている。それに気付いていないんだもん」
「ほんと、そう。一人だけお姫様って感じ」
「ね。可愛いだけで構ってもらえてるって、自覚あるのかな」
「今回だってさ、松崎さんに庇ってもらって、連にまでフォローされて」
「あれで『迷惑かけてる』って微塵も思ってなさそうじゃん? あんな態度取れるのって、ほんと図太いよね」
笑い混じりの声。ささやくように吐き出された言葉が、私の心に鋭く突き刺さる。
(……そんなつもり、ない……)
喉がきゅっと締めつけられた。何か言い返したかった。でも、何を言い返せば分からない。そもそも彼女たちに私の何が分かるというの?そんな気持ちをぶつけたくても言い返す勇気はなかった。
「ぶっちゃけさ。あの子がいるから、変に気を遣う空気になったよね」
「ほんとそれ!なにより、松崎さんも大変だよね~。あの子がいるから一番割を食ってる」
「中野さんだっけ、彼女ももしかしてあっち側なのかな」
「なら、少し脅してみない?」
「いいかも、それ!」
なんて楽し気な声で語る。その言葉が、とどめだった。自分と同じように、どこか周囲を窺うような彼女にまで迷惑をかけてしまうことが、私にとっては耐えられなかった。同時に松崎さんの悲し気な表情も思い出してします。もしもあそこで連が現れなかったら、彼女は押しつぶされていたんじゃないだろうか。
——ガタッ
足がもつれて、私はドアにぶつかってしまう。
「……誰?」
問い詰めるような声に、私は反射的に逃げ出していた。呼吸が荒くなる。逃げるように現実から目をそらすように逃げた。今、このまま帰ったら見られるよね。どうしよう?
そんなことを気にした私は、裏門から帰ることにする。いつもよりも時間をかけて、一年校舎から見えない道で帰っていく。少し遠回りをする帰り道。人の気配がしない中で歩いていると、不思議と涙がこぼれてくる。
(迷惑……かけてたんだ)
心のどこかでは分かっていたのかもしれない。あの時、千夏が庇ってくれた優しさも、私の言葉を待って、寄り添って一緒にいてくれる雫も、笑って何事でもないように手を差し伸べてくれた彼も。全員が特別優しかったことに。
でも、その優しさを独り占めすることがどれほど罪深いかはわかっていなかった。今まで他の人の感情を無下にしてきたつけが回ってきたのだと自然と分かった。私が、特別なわけじゃない。彼らならきっと、私と同じような人に手を差し伸べるだろう。
——なら。私はいつも通りに戻ればいいだけ。優しくされることに慣れて、甘えていた私はもういらない。思い返すとここ3週間は楽しかった気がする。先生に押し付けられた作業も、千夏と雫と話していたら一瞬だった。三人と食べる昼食は空虚じゃなくて、どこか温かかった。そんな楽しい思いを少しでも味わえたことに感謝しよう。
何も特別なことはない、いつもの日常が続くだけだ。夕焼けが、校舎の端に沈んでいく。西の空が、赤く染まるその下を、私はただ黙って歩き続けた。歩くたびに胸の奥が軋んで、けれど誰にもその音は届かない。家までの道が、こんなに長く感じたのは、久しぶりだった。




