第二話
「ショージくん。本当に幽霊と話すの? 幽霊よ、幽霊。怖いよ。大丈夫?」
待て幽霊。
メアリーさんを連れ、さゆりさんの家に戻ってきた。
「というわけで、メアリーさんも一緒なんですが……大丈夫でしょうか」
「私は構わないが、そこに、いるのか」
じっと、ぼくの指し示した場所を凝視するさゆりさん。
「声も聞こえない、ですよね」
耳を澄ませるさゆりさん。
ごめんなさい。
今メアリーさんが完全に沈黙してます。
「メアリーさん。ちょっと喋ってください」
「わたしとショージくんの身体の相性はバッチリだよ!」
「何言っとるかアホ!」
こほんと咳払いをされた。
いきなりぼくが怒鳴っただけにみえたらしい。
「あー。すまないが、今メアリーさんとやらが何と言ったのか解説してくれ」
「無理です」
さゆりさんは、一瞬考え込み、それから確認を取るように口を開いた。
「言うのが憚られるようなことを?」
重い沈黙が、ぼくたちのあいだに降りかかった。
「メアリーさんのせいですよ」
「これくらい、場を和ませるための美少女幽霊ジョークじゃない」
「アメリカンジョークみたいに言うな」
さゆりさんが困惑気味に苦笑している。
「彼女が出て来るのはあと二時間くらい先だな。私の部屋に行くぞ」
「はい。……はい?」
「時間まで私の部屋で遊ぼう、と言っている。メアリーさんはどうする」
「あ、わたしの方が年下だから、さん付けじゃなくていいですよ!」
メアリーさんの言葉をそのまま伝えた。
ふと気になった。幽霊の年齢とは、いったいどの段階が適用されるのだろうか。
「ならメアリーと。メアリー……どこかで聞いた名前だが」
「本人は名字を田中と名乗ってますが」
思案し、さゆりさんは確信を持って首を横に振った。
「田中メアリーか。……その名前に覚えはない。私の勘違いだったようだ」
◆◇◆
さゆりさんの自室は、二階に上がってすぐだった。
ピンク色を基調とした可愛らしいベッドがあり、こぢんまりとした机があった。
参考書の類がその上に立ち並んでいる。
「恥ずかしいから、あんまりじろじろ見るんじゃない。……飲み物を持ってくる。椅子もいるな。とりあえずベッドに座っていてくれ」
「ショージくん、嬉しそうだね。わたしがそういうことを言っても意識しないくせに」
「幽霊と人間とには踏み越えられない溝があるってことだよ。メアリーさんだって分かってるでしょ。お互いに触れない、キスも出来ない。それでどうしろと」
「そうだけど。そうだけどさ! ……ロマンがないよね、ロマンが。プラトニックな関係だって良いじゃない」
「ははは、健全な男子高校生に何を言ってるかな」
はあ、とため息ひとつ。
それからメアリーさんは目つき鋭く聞いてきた。
「さゆりさんと付き合いたいの?」
「綺麗な女性と仲良くなりたい。そう思うのは、男なら当然のことだし」
「昨日会ったばかりで……確かに顔は良くて、体つきも良い感じだけど、まだよく知らない相手だよ。わたしより彼女の方を選ぶの? わたしのこと、捨てるの……?」
「捨てるも何も……ぼくとメアリーさんは元々そういう関係じゃないですし」
「いいの。わたし、都合の良い女だもん。すごく可愛いし顔が好みだから、あの部屋にいてもいいって、ショージくんがそう言ってくれたから……だからっ」
本気で言い合っているわけではないが、いつになく面倒くさいやり取りだった。
「まったく。この部屋で愁嘆場なぞやらないでもらいたいものね」
黒髪の美女がすうっと現れて、冷たい空気が流れ込んできた感じがした。
同じ幽霊でも制服姿のメアリーさんとは趣が異なり、彼女が身につけているのはいかにもな淡い青の着物だった。
長い前髪から覗く黒い瞳が、こちらを見透かすように煌めく。
日本人形を思わせる美女だ。
濡れた唇。
艶めかしい仕草。
所作の端々から香り立つような色気がある。
病的なまでに青ざめた肌は、しかし白磁のごとき滑らかさも感じさせる。
「お分かり? ここはさゆりの部屋なのよ。騒々しいそこの坊や。そう、貴方よ。たまさか縁ある幽霊が見えるようになっただけで、本来ならわたくしの姿を目に映すことなどありえないと理解することね。それとも調子に乗って幽霊退治にでも来たのかしら」
「ゆ、幽霊だーっ!」
「幽霊、幽霊がっ。本物が出た、出たあっ」
「待ちなさい。分かっていて来たのでしょうに、なぜ驚くのです。それに、そこな金髪の娘、ふむ、同じと思いきや貴方は……いや、だから待ちなさい。どうして逃げるのです」
ぼくたちは部屋を飛び出した。
一気に階段を駆け下り、急いで逃げ出した。
ちょうど歩いてきたさゆりさんとぶつかりそうになった。
「で、出ました! 幽霊が!」
「ああ。それで、話は」
顔を見合わせて、おそるおそる部屋に戻った。
メアリーさん以外の幽霊を見たのは初めてだったが、とにかく驚いた。
温かさがまるで見当たらない。
雰囲気があまりにも違った。
「わたくしの何がいけなかったのかしら……」
引き返してドアを開けると、美人の幽霊が黄昏れていた。
部屋の窓から外を眺めて、ひどく切なげな表情でため息を吐いている姿があった。
こちらに気づくと、美女は何事も無かったかのように微笑んだ。
しかし存在感はあれど、その怜悧な顔に生気は感じられなかった。
「戻ってきたのね、坊や。それで、さゆりとはどういう関係なのかしら」
「あ、化粧が剥がれてますよ」
「どこがかしら?」
「冗談です」
「おほほ、……呪うわよ」
「ごめんなさい」
必死に謝った。笑って誤魔化せる空気ではなかったのだ。
「ショージくんは美女とか美少女を見ると、からかわずにはいられない性格なんです。本人にはどうしようもない性癖なんですっ。だから許してあげてくださいっ」
「いや、そんなことはない」
せっかくのフォローだったが、きっぱり否定した。
「ショージくん。どーして黙ってられないかなー?」
「変なイメージが付くことを許容しろというのか! ぼくはダメ人間じゃない! ぼくはハードボイルドな男なんだ!」
「誰しも自分のことは理解出来ないって、言うよね」
「しみじみ言うな。メアリーさんはぼくに恨みでもあるんですか! ぼくとこちらの美女がお近づきになれる可能性が減るでしょうがっ」
眼前の幽霊美女は、なんとも言えない表情でぼくを許してくれた。
ちなみに傍目にはぼくが一人芝居で言い争っているように見えただろう。
ひとり、スポーティなポニーテールが所在なさげに揺れていた。
◆◇◆
一人部屋なので四人もいると窮屈な感じがする。
幽霊はものに触れないが椅子には座れるし床の上にも立てる。
つまりホラーやシュールにならないためには、普通の人間と同じだけの場所を取る。
椅子とベッドに腰掛けて四人で話すことにしたが、ここで問題が発生した。通訳がぼくしかいない。
さゆりさんに質問をまとめてもらい、ぼくが答えを聞くことになった。
「いいですかさゆりさん。ぼくらはインペリアルクロスという陣形で話し合います」
「陣形?」
「メインである美女の幽霊さんは椅子、両脇をぼくとメアリーさんで固めます。さゆりさんが正面です。さゆりさんのポジションがツッコミです。安心してツッコんでください」
「ショージくーん。あんまりふざけてると明日からひどいよー」
「……冗談です」
一定の効果はあったようで、さゆりさんは小さく笑った。
美女の幽霊に向き直り、インタビュアー風に名前を尋ねることから始めた。
「わたくしのことは、アカネとでも呼んでちょうだい」
「次に、どうしてさゆりさんの部屋にいらっしゃるのかを」
「彼女のことが気に入ってしまったの。そして思ったのよ。磨かなければならないと」
意味が分からず、話の続きを促した。
「オシャレを好まず、長い髪を縛るのは面倒と口走る有様……これではいけないわ。花の乙女が、この体たらくで良いはずがない。いざ恋に落ちたとき、いかがします。ひとは先ず外見から物事を判断するものなのよ。中身を知るのはそのあとのこと」
ぼくは、はあ、以外に言いようがなかった。
「化粧のひとつも手解きすれば去りましょう。どうやらわたくしの存在は、さゆりの母御には疎まれているようですからね。それで、他に何か質問はあるかしら」
「ではアカネさんの好みのタイプを」
「さゆりの質問には無かったと思うのだけれど」
「アカネさんの人となりを知りたい、そんなさゆりさんの気持ちが分かりませんか! ぼくには分かります! 言わなくても、きっとそう思ってます!」
「息をするように嘘を吐かないのっ」
アカネさんは面白げに眼を細めた。
「わたくし、嘘を吐かない方が好みだわ」
「ぼくのことですね?」
「うふふ。冗談が上手ね」
空々しい言葉が飛び交っているが、さゆりさんが話に加わってきた。
「タイプ云々はさておき、アカネさんについては確かに私も知りたい」
「なら良いでしょう。そうね……わたくしは、馬鹿な女よ」
アカネさんが嘆息した。
「やりたいことをやりたいと素直に言えず、そのまま死んでしまった。だからこうして未練たらしく幽霊となっているの。……わたくしに似たところのあるさゆりには、せめて幸せになって欲しいと思ったから、わたくしはここにいるわ。それだけなのよ」
さゆりさんに伝えると、真剣な顔で聞き入っていた。
アカネさんは微笑んだ。
「やっぱり嘘はお嫌いですか」
「そうね。好きでは、ないわ」
「方便とも言いますが」
「貴方、優しいのね。坊やなんて呼んではいけなかったかしら」
「美しい方が悲しい顔をするのが嫌いなだけです」
くすくすと、アカネさんは声を挙げて笑った。
「嘘つき、と言いたいところだけれど……案外、貴方は正直過ぎるだけみたいね」
横を見ると、メアリーさんがほっぺたを膨らませていた。
アカネさんは腕を伸ばし、ぼくの頬をそっと撫でようとした。
当たり前のように手はすり抜けた。
そうだったわね、と小さく呟き、どこか寂しげに目を伏せた。
◆◇◆
オシャレの手解き。
言葉にすると簡単だが、実際にやると案外時間が掛かる。窓の外はすっかり暗くなってしまった。
化粧ひとつ取っても、服の着替えや組み合わせも、髪型も、どれひとつ一筋縄ではいかなかった。
指示するのはアカネさんだが、伝えるのはぼくだ。
これも大変だった。
最終的に、さゆりさんはタンスの奥にしまってあったワンピースを選んだ。
夏と呼ぶには早い季節ではあるが、涼やかな、薄い水色のワンピースで着かざったさゆりさんは、どこか表情も爽やかで、仕草ひとつ取っても少女っぽさを感じさせる。
さゆりさんはポニーテールを解いた。水のようにさらさらと、長い髪が肩に流れた。
清明な笑顔には華やかさがある。
眼差しはやわらかく、しっかりぼくを見つめている。
「小林君。どうした。こういう風にするのは初めてでな。何かおかしいか」
すっかり印象の変わったさゆりさんに見惚れていると、なんだか不思議そうに目を覗き込まれた。
さゆりさんは顔付きも和らいでいて、瞳は吸い込まれそうな深さだった。
「本当に大丈夫か? 顔が赤いな」
部屋でのやり取りだ。
メアリーさんもアカネさんも黙って、ぼくとさゆりさんのやり取りを見守っている。
もとい、メアリーさんがすごく何か言いたげにしているのを、アカネさんがさりげなく牽制している。
「何か変だったらちゃんと言ってくれ。アカネさんの要望に応えたいんだ。話を聞く限り、これでお別れになるかもしれないだろう。なら」
間近から聞こえるさゆりさんの声で、耳がくすぐったかった。
「アカネさん。どうですか」
「おおむね満足しました。ですが……少々足りませんね」
「足らないって、何がです」
「ええ。そろそろです」
問いの答えになっていない。
さゆりさんも眉をひそめた。
メアリーさんだけが何かに気づいたように、はあ、とため息を吐いた。
何か予感を覚えて、部屋にあった時計を見た。
もうすぐ夜の十二時になる。
シンデレラなら魔法が解けて慌てて帰る時間だ。
すっかり長居してしまった。
お暇しようと、ぼくが口を開いた瞬間だった。
階下で音がした。
さゆりさんに顔を向けると、難しい顔をしていた。さっきの音は玄関のドアだろう。
続いて聞こえるのは激しい足音だった。
ノックなどない。力一杯、ドアノブが捻られる音。
そして。
「さゆり! あの靴はどういうこと……ッ!」
飛び込んできた女性は、容姿に限ればさゆりさんにそっくりだった。
迫力もすごく、大きく違うのはまとっている雰囲気くらいだ。
見るからに一方は戸惑い、もう一方は激怒している。
「あなた、こんな時間に娘の部屋にいるなんて! うちのさゆりとどういう関係?」
「母さん……帰ってくるのは明日だったんじゃ」
「私だけ先に帰ってきたのよ。それよりも説明してくれるんでしょうね。さゆり、あなた、化粧まで。それにその服……わたしが買ってあげたのに、一度も着ようとしなかったワンピースじゃない。何よ、どうしたって言うのよ……」
さゆりさんは困惑している。
客観的に見れば、ぼくは家に入り込んで、彼女の部屋でふしだらな行為に及ぼうとしている悪い男だった。
事情を知らず、この場面を見れば、ぼくだってそう思う。
「いや、彼とはそういう関係じゃなくて」
「じゃあどういう関係なのよ。というか彼ですって? まさかただのお友達をこんな時間に部屋に呼んだりはしないでしょう!」
ぼくは黙っていた。
余計なことを言うことの愚は理解していた。
「もう! 何なのよ……幽霊の次は、悪い男だなんて……」
深夜にも関わらず叫んでいた彼女は、言葉を失うと、いきなり泣き出した。
さゆりさんは説明に窮していた。
この状況ではぼくに相談も出来ないし、適当な嘘を吐ける器用な性格でもない。
誰か何とかしてくれ。
ぼくの声なき懇願に応えるようにして、楽しげに笑みを浮かべたアカネさんが、耳元にそっと語りかけてきた。
「これもひとつの愛の形よ。すれ違っているだけの、ね」
言いたいことは分かった。
それをぼくに告げた理由もだ。
どうすれば良いのか、思いついてしまった。
元凶にツッコミたくなるのをこらえて、意を決し、タイミングを計り、ぼくなりに言葉を紡ごうとした。
「お母さん、さゆりさんとぼくは――」
前に進み出ると、さゆりさんの母は俯いていた顔をきっと上げた。
肩を掴まれて、がったがったと前後に激しく揺らされた。
「お、お母さんですって! ふざけるんじゃないわ! どこの馬の骨とも知れないあんたにそう呼ばれる筋合いはないし、うちの大事なさゆりを渡すもんですか! 失せなさい! さっさと消えて! あっち行け! あんたは出てけ! 私たちの家からすぐ出て行きなさい!」
「……そうします」
言われるままに、すごすごとさゆりさんの部屋を出た。
「すまん、小林君」
背中にかかった声は、ひどく申し訳なさそうなものだった。
◆◇◆
さゆりさんは追いかけてきたりはしなかった。母親をなだめるのに必死だ。
落ち着いたら、きっと誤解を解いてくれるに違いない。
この手の家族の問題に横から口を挟んでも事態の悪化を招くだけだ。
そもそもぼくは部外者だった。
「では、これで失礼します」
さゆりさんの家を出て、背中を丸めて寂しげに帰る。
アカネさんの姿は見えなくなっていた。
成仏したのか、姿を隠したのか。
黙って事態を見守っていたメアリーさんだけが、ぼくの隣にいて、慰めるように気遣わしげな視線を投げかけてくれた。
「ショージくん。お疲れさま」
どこかの歌みたいに、上を向いて歩いた。
星の輝きはぼんやりにじんでいた。
月灯りはどことなく寂しげだった。
わりと長い道のりの家路を、ぼくらは二人、ゆっくりしっかり帰るのだった。




