第一話
「背が高いのね」と、彼女は言った。「僕のせいじゃない」
レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』
騒がしい教室に入ると、クラスメイトの視線が一斉に向いた。
「お、おはようございます?」
「小林くーん。ねえ……何したのよ」
大谷さんがジト目で見てきた。
手のひらで誘導されて、横に首を動かす。
ジャージ姿のさゆりさん。
ずずずっと顔が寄ってくる。
近い。
近すぎる。
「時間を決めてなかったことを思い出してな。昼休みと放課後、どちらなら空いているか教えてほしい」
「じゃあ、放課後で」
「分かった。ではまたな」
颯爽と去っていった。
大谷さんが、ギロリと視線向けてきた。
「八木先輩とどういう関係?」
大谷さんの瞳はパッチリと大きめで、髪はセミロング。
丸顔なのに、表情のおかげか、きりっとした顔立ち。
同じ高さから向けられた視線、目力の強さに圧倒された。
「さゆりさんとは――」
大谷さんが頓狂な声を挙げた。
なんだろう。
このドツボに嵌る感覚。
「八木先輩のこと、さゆりさんって呼んでるの? え? 小林くんがいつの間にか大人の階段を登っちゃったの? 君はまだシンデレラなの? 宇宙の法則が乱れる……?」
首をひねっていると、相沢さんが解説をしてくれた。
「八木先輩は有名人ですからね。教師陣からの信頼も厚いですし。さなかちゃんはね、そんな先輩のことが大好きなんです。一言に好きっていっても同性愛的なことではなくて、部活で活躍してる姿を見てからずっと憧れているとか。誤解しないであげてくださいね」
さなかちゃんとは大谷さんのことだ。
フルネームは大谷さなかさん。
相沢さんによる優しいフォローに、しっかり頷いた。
「そういうことにしておくよ」
「生暖かい視線はやめて!」
復活した大谷さんは、ぼくにびしっと人差し指を突きつけ叫んだ。
「デートするのね。あたしの八木先輩とデートしてしまうのね。そして予約したディナーのあと夜景の綺麗なホテルの最上階で二人は愛を確かめ合っちゃうのね?」
大谷さんが面倒くさい。
誰か助けて。
「さなかちゃん!」
「な、なによ。よしみちゃん」
よしみちゃんは相沢さんのことだ。
二人は名前で呼び合っている。
「人を指さすのはいけないことです!」
「う、うん」
ぼくに突きつけた人差し指をどけたところ、満足そうに頷かれた。
え、それだけ?
「我がクラスではツッコミは常に人材不足。常時募集中」
「そうですね」
クラスメイトの誰かがぼやいて、それに頷いた。なんだこれ。
◆◇◆
クラス副委員長の取りなしで教室内の騒ぎは収まった。
「会ったのも名前を知ったのも、昨日が初めてだし」
「ふむふむ。運命的だね」
ぼくの説明に、和田くんは髪を手で梳きながら、首をかすかに捻る。
「あの八木先輩の目に停まったなら君は何かを持っているんだろう。僕にはそれが何か分からないけれど、きっと凄いことさ。退かず! 媚びず! 省みず! 八木先輩と対等に付き合ってくるがいい……! さあ、今こそ男になってくるんだ! 行け、小林君!」
悪い人間ではないのだろうが、言っている意味が分からない。
「これからホームルームなんだけど」
「分かってる。戦士には休息も必要さ……! 今はそれでいい。けれど!」
誰だよこいつ副委員長に推薦したやつ。
声に出していたらしい。
近くにいた女子から、ぼそりと一声あった。
「和田君は自薦。ボケはもうたくさん。取り急ぎ、ツッコミ不足解消されたし」
「まさかとは思うけど、ぼくもボケのグループだったりする?」
「小林君は筆頭。……ハードボイルドコントは魔王と並んで鉄板ネタ」
テンションの低い声でなされた新事実に、愕然とした。
「なんてことだ。ぼくほどハードボイルドが似合う男なんてそういないのに」
「急募。ツッコミ即戦力。この際ボケ兼任でも可。……嗚呼!」
呟く声は、どこか面白げではあったが、哀愁に満ちていた。
◆◇◆
今日までが定められたテスト期間だった。
大谷さんも教科書とノートとにらめっこしている。
委員長は自信ありげに笑いながら教科書をパラパラめくり、和田君はぶつぶつと何かを呟きながら手のひらを眺めていた。
明るい口調が遠くの席から聞こえてくる。
「最後まで勉強せなあかん。うちには後が無いんや! 勝たなあかん!」
「そんなこと言って……テスト勉強に勝ち負けなんか無いでしょ」
「負けはあるでー!」
「へー。聞かせて聞かせて」
「うちはこう言うねん。――あ、勝てん」
あかてん。つまり赤点か。
なるほど。上手い……って。
「お前ら余裕あるな!」
男子の一人が感心した様子で口にした。
言われた二人の女子は微笑んだ。
「ちゃうよ。とっくに諦めたんよ。なー?」
「ねー!」
見事な死屍累々であった。
◆◇◆
全テストが終わった。
教室を見回すと生気の抜けた顔が半分。
残り二割が死んでいる。
もう二割がほっとした顔をして、残りの一割がそれらに当てはまらない表情だった。
あっという間に放課後だ。
時間を決めたが、待ち合わせ場所を決めていなかったことを思い出した。
案外さゆりさんも抜けているのかも。
「小林君。来たぞ。時間はあるな?」
「は、はい」
なぜ、来て早々、さゆりさんはぼくの手を握りしめるのでしょうか。
「ぐぬぬ」
大谷さんが言葉で表現してはならない表情でぼくを見ている。
さよなら乙女! こんにちは魔王!
「大谷さん、だったかな。すまないな。小林君は借りていく」
さゆりさんが頭を下げた。
そのとき大谷さんの顔に電流が走る。
「あ、あたしじゃダメなんですかっ」
「すまない。彼でなければならない理由があるんだ。さあ、行こうか小林君」
大谷さんは床に崩れ落ちた。
肩を落とし、この世の終わりのような顔をした。
一方、教室内にいたクラスメイトからは、大きな歓声と悲痛な叫びが聞こえてきた。
「あの、さゆりさん」
「聞き忘れていたが……朝帰りになっても大丈夫か」
ぼくは震えた。
ぼく以外も戦慄していた。
「おいおい、おいおいおいおい! 小林のヤツやりやがったぞ!」
「彼なら出来ると昔から気づいていたよ……! おめでとう……おめでとう……!」
さらに騒がしくなる我がクラス。大谷さんの顔がますます大魔王に近づいてゆく。
嘆息し、さゆりさんに返答した。
「それはちょっと」
「そうか。……とりあえず二人で話そう。よし、うちに来てくれ」
「え」
「不躾だったか。男性を家に呼んだことがなくてな。誘い方も分からないんだ」
阿鼻叫喚の大騒ぎと、耳をつんざく大歓声が同時に沸き上がった。
ぼくたちは振り返らず出て行った。
うちのクラスではよくあることです。
◆◇◆
並んで歩くこと三十分。
さゆりさんの家は学校から近く、閑静な住宅街の一角にあった。
二階建ての立派な一軒家だ。
靴を脱ぎ、学校鞄を持ったまま、さゆりさんの後ろを、よそ見せず大人しく着いていく。
「また屋上でも良かったが、君は嫌だろう? 今日は家には私一人だ。母は仕事で、明日まで帰って来ない」
「え、それってまさか……!」
「先に言っておくが、あまり不埒なことは考えないように」
一瞬で希望は砕かれた。
ぼくは薦められるままに居間に足を踏み入れた。
「さて、すぐに本題に入ろう。……この家に幽霊が出るんだが」
「帰ります」
ぼくは颯爽と立ち上がり、居間から逃げる体勢を取った。
「待て待て待て。せめて最後まで聞いていってくれ」
「ぼくは霊能力者とかじゃないんです。ただメアリーさんが見えるだけです。喧嘩も弱いし、逃げ足も遅いし、口だって上手くないし、顔は多少見れたもんですけど、頭もそんなに悪くない自信はありますけど、それだけしか取り柄がないんですよ!」
「わりと心臓が強いと見えるが」
「気のせいです! だいたい幽霊って怖いんですよ。スプラッタ苦手ですし。落ち武者とか出て来たら気絶しますよ。……美少女とかならともかく」
「美少女ではないが……美女だな」
「話を聞かせてください」
「君のことが分からなくなってきたぞ?」
そのまま腰を下ろした。
さゆりさんは額に汗を浮かべている。
「……話は単純でな。夜になると見目麗しい女性の幽霊が現れる。容姿の良い女性が枕元に立つだけなら目の保養になるし、耳元で囁くわけでもない。私たちは、それなりに良い同居人としてこれまで過ごしていた」
お行儀の良い幽霊らしい。
変わって欲しいとは思わないけれど。
「状況が変わったんだ。先日、母が幽霊を目撃してしまった。母はちょっと極端なところがあってな。拝み屋を呼んだり、自称霊能力者を呼んだり、色々とやり出したんだ」
分からなくはないが。
なぜ、そこにぼくが必要となる要素があるのか。
「私は彼女と会話することが出来なかった。もし君に彼女が見えて話も出来るのなら……何を求めて我が家に来るのか、どうか聞き出してくれないだろうか」
話を聞く限り、その幽霊に味方しているような言い方だ。
「そちらの幽霊さんとはどれくらいのお付き合いで」
「半年ほどだな」
さゆりさんは真面目だが、どこかずれている。
ただいるだけの幽霊を半年もそのまま放置して気にしなかったとか、どれだけ肝が据わっているのか。
「私のこと、図太いと思っているだろう」
即座に否定する言葉は出なかった。
さゆりさんは自嘲した。
「自分でも分かってるんだ。可愛げが無いと言われるしな。そのせいか、母ともそりが合わなくて……ずっと無関心な風だったが、幽霊が見つかってからは口喧嘩も絶えない。昔はそんなことはなかったんだが」
はあ、と頷くだけだった。
「すまない。無理を言っていることは分かっているんだ。興味が無いだろう家庭の事情まで聞かせてしまったしな。その上で、頼む」
深々と頭を下げられてしまった。そのとき彼女の目の隈に気づいた。
テストと幽霊と家族のこと。
色々重なって、偶然見つけたぼくに白羽の矢を立てた。
気持ちは分かる。
「とりあえず帰ります」
「やはり……難しいか」
「まずは一緒に住んでるメアリーさんに伝えないといけないので。何も言わずにぼくの帰りが遅くなると、心配させちゃいますし」
さゆりさんは厳しかった顔を、安堵したように和らげた。
「ありがとう」
「お礼は……まあ、やることやってからでお願いします」
さゆりさんのポニーテールがぴょこんと揺れた。
メアリーさん以外の幽霊との接し方なんて分からない。
行き当たりばったりで、やるだけやってみるしかない。
そこまで考えて、ぼくの顔には自然と笑みが浮かんだ。
いつも通りじゃないか、と。




