第三話
昼休み終了を知らせるチャイムが鳴った。
教師が来るまでには若干のタイムラグがあるが、今はテスト期間中だ。
「急いで戻らないと。……あっ!?」
屋上から出て、教室まで急ぎ足で歩く最中のことだった。
「ど、どうしたのショージくん。そんな絶望的な声を出して」
「お昼食べられなかった」
屋上に駆け込んで、最初はメアリーさんに、途中からさゆりさんに、最後は思い出話に気を取られて、昼食を取るのをすっかり忘れてた。空腹がいきなり自己主張を始めた。
「あー……」
分かるよ、と言いたげな声を発したメアリーさんだったが、何か食べている場面を見たことがない。
一応、空腹の辛さについては共感してくれたらしいのだが。
「ダイエット中とか、食べないとずっと辛いよね」
うんうんと頷きながら、メアリーさんが発した言葉を、ぼくは切り捨てた。
「一緒にしないでください」
「あれ?」
「ダイエットによる空腹は自己責任。ぼくの現状は不可抗力です」
「えー」
非難がましい目で見られた。
話の途中だったが、メアリーさんが廊下の先を指さした。
「誰か来るよ」
委員長の相沢さんが、誰もいない静かな廊下を、すたすたと歩いてきた。
「小林君!」
◆◇◆
三つ編みのお下げに黒縁眼鏡、律儀そうな佇まいと物腰の丁寧さ、ひとを見るときにはまっすぐ視線を合わせ、スカートの丈の長さは規則通りのひざ下三センチ。
昼休みが終わってからも廊下に出ているのは、委員長にしては珍しかった。
「なかなか戻ってこないから呼びに来たんです。もう先生が来てるので急いでください。少しだけなら待ってくれると言ってましたから」
「そりゃありがとう」
さすが委員長だ。
普段からクラスメイトの面倒見も良い。
「でも、どうして委員長がわざわざ?」
「姿が見えなかったので……小林君のことですし、また何かトラブルに首を突っ込んだんじゃないかと思いまして」
笑って誤魔化した。またって。
確かに高校入学を境に、ぼくは色々な出来事に遭遇している。
衝撃の自己紹介事件、可南子ちゃんの件といい、相沢さんにはあれこれ随分と助けてもらった借りがある。
「流石は委員長オブ委員長、よくぞ見抜いた!」
「ふっ。我が魔眼の前にはつまらぬ誤魔化しなど……って、馬鹿なことを言ってないでさっさと戻りましょう。小林君の様子がおかしいって、さなかちゃんも心配してましたし」
廊下を歩きつつ小声で会話を続けた。
「人助けもいいですけど、無理はしちゃいけません。分かりましたか」
委員長らしい、優しく諭してくれる穏やかな語調だった。
「はい、委員長。でも仕方ないんだ」
「何がでしょう」
「可愛い女の子が困っていたら助ける。ハードボイルドな男たるぼくとしては、ここは譲れない一線でね」
チャンドラーの小説ですか、と委員長はかすかに笑った。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない?」
急に照れくさくなって、ぼくは視線を逸らした。
「フィリップ・マーロウに見えるかな?」
「いいえ、まったく、これっぽっちも」
優しい口調での情け容赦のない感想に、ぼくは落ち込んだ。
でも、と委員長はまっすぐぼくを見て微笑んだ。
「小林君の格好良いところは、ちゃんと知ってます。……本当に無理しないように」
何か言葉を返そうとしたが、お腹が鳴った。
相沢さんはぷっ、と吹き出した。
お昼を食べ損なった理由について問い質すことはせず、どうぞ、と制服のポケットから小さな包みを差し出されたのは、のど飴だった。
「誤魔化しくらいにはなるでしょう?」
「ありがとう、相沢さん」
感謝して受け取ると、上機嫌な様子で、相沢さんが頷いた。
「今日のテストも、あと二教科です。頑張りましょう小林君」
「了解」
ぼくらは二人揃って教室に入った。
「ごめんなさい。遅れました」
「遅い! 単語が頭から抜け落ちる!」
「よくやった小林! これで赤点を免れるぜ!」
同時に二種類の声。
机の上に何も無いクラスメイトが前者、ギリギリまでテスト勉強をしていた連中が後者だ。
席に着くと、問題用紙を配り始めた教師が、にやりと笑った。
「時間の延長は無いからな。残り三十五分で解答用紙を回収する」
「もしかして、救済措置があるんですか!」
「ははは。あるわけないだろ」
教室内に悲鳴が上がった。
◆◇◆
テスト中、ずっと黙り込んでいたメアリーさんが、素っ頓狂な声を挙げた。
「あああああっ! ショージくんショージくんショージくん!」
騒がしすぎる。
経験上、スルー推奨だと聞き流す。
「ショージくんってば! ねえ聞いてよ! 分かっちゃった! あのエレベーターに閉じ込められてた女の子って、もしかしてもしかして、もしかしなくてももしかして!」
そっと問題用紙を裏返し、大きな文字でこう書いた。
うるさい!
耳元であれだけ叫ばれたら、テストに集中出来ない。
興奮しているメアリーさんに紙の上を見るよう誘導する。
メアリーさんは、拗ねたようにほっぺたを膨らませた。
「いいもん。せっかく分かったけど、ショージくんには教えてあげない! でもそっかー。そういうことだったかー。うーん。でも気持ちは分かるし……うう、けっこう多いというか、急に増えているというか、困ったなぁ」
メアリーさんによる妨害はずっと続いた。
言葉の意味を捉えないよう努力した。
何か気になることを話しているのは分かった。
だが、それについて考えるとテストどころではなくなってしまう気がしたのだ。
テストが終わったあと、メアリーさんに話の内容を尋ねた。
「あ、えと、わたしの勘違いだったみたい。忘れてね?」
嘘の付けない幽霊だな、と思いつつ、それとなく水を向けた。
「で、何が増えてるんです?」
「わたしみたいな女の子」
絶句せざるを得ない。
メアリーさんはあ、と慌てて口を押さえた。
「あ、いや、違うの。違うんだよ?」
恐るべき回答であった。
メアリーさんだけでも持てあましているのに、これ以上その手の相手が増えてしまったら。
何とも言えない不安とも期待ともつかぬ震えが、ぼくの胸のあたりに沸き上がった。
渇いた笑いを浮かべた。
「あ、そうですか。今のは聞かなかったことにしますから」
「……あれ?」
ぼくの反応は、メアリーさんの予期したそれと違ったらしかった。
「わたしみたいって、どういう意味だと思ってるの、かな?」
「幽霊」
「ああ……えええっ!?」
納得して、それから驚いた。
どこに驚く余地があったのか分からないが。
「ショージくんってさ。ショージくんってさあ!」
すごくもどかしそうに、しかし言葉にするのを懸命にこらえている。
そんなよく分からない反応をして頭を抱えるメアリーさんを、ぼくは笑って遠巻きに眺めるのだった。




