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壁に耳有り、ショージにメアリー  作者: 三澤いづみ
第一章

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第二話

 

 

 見えそうで見えない角度にスカートのすそを弄びながら、ぼくをよく困らせてくれるメアリーさんは、どこか懐かしげに語った。


「一緒に生活し始めてから、色々なことがあったね」


 まるで深い仲になった相手を見るような目線でしみじみと語られた。


「そりゃ色々ありましたけど」

「ショージくんが一人じゃダメなんだと、わたしを情熱的に求めてくれたことも……」

「力を借りたことは事実ですが、メアリーさん。嘘は良くない」


 メアリーさんはひとさし指をつんつん合わせ、いじけた。


「ショージくん。そこはもう少し引っ張ろうよ」


 力を何度か借りた。ものに触れられないメアリーさんだが、ぼくにしか見えず声が聞こえないことと、壁抜けが出来ることは便利ではあった。


 二週間ほど前にも、ちょっとした出来事があったのだ。



◆◇◆



 ぼくの住んでいるここ岸月市には名所も名物もなく、都会とは言い難い。

 しかし駅の近くには一際大きな建造物がある。

 その名も岸月百貨店。


 クリーム色の外壁はぼろぼろ、建物も老朽化している。

 耐久年数の問題で来年取り壊しが決定しているが、地元民としては、そんなおんぼろ百貨店でも案外重宝している。


「これってデートだよね」

「メアリーさん」

「は、ハイ」


 振り返ったぼくの表情を見た瞬間、メアリーさんが畏まった。


「一緒に出歩くだけじゃデートなんて呼ぶのは烏滸がましい。そうは思いませんか」

「男女の組み合わせだし、本人たちの気持ちがそうならデートだ、よ?」

「男女でも、老人と孫なら?」


 メアリーさんは困った顔をした。


「父と娘ってパターンもありますね」

「う。で、でもっ、それだってデートと呼んでも良いとわたしは思うわけです! だからショージくん、これってデートだよね!」

「兄と妹」

「デート! それはきっとデート! 有り! 有りだから! だってほら、健全な年齢の男女の組み合わせだし!」

「両方がデートと認識していたらデートかもね。そうじゃないなら違います」

「そんなことないよ! お似合いのカップルだったら、本人たちがどう思ってもデートに決まってるよ!」


「じゃあ、人間と幽霊だったら」


 メアリーさんは言葉に窮した。

 ううう、と涙目になったが、これをひっくり返す反論は出てこなかった。


「いじめるつもりじゃなかったんだけど」


 涙目のメアリーさんもわりと可愛い。

 口をとがらせ、上目遣いになっている。


「ウソだあっ。これでわたしが何か言ったら、猫と飼い主とか、宇宙人と地球人とか、メイドロボと人間だとか、そう言い返してくるつもりだった! 絶対そうだ! ほら、目が笑ってるし! それくらい分かってるよ!」

「この世には宇宙人もメイドロボもいませんし」


「でも、幽霊はいるよ。ここに」


 即座に切り返されてしまい、それはそうだなと納得する。


「メアリーさんは幽霊が犬猫と同じくくりなのは気にならないと?」

「ちょっと待ってね。いま、落ち着くから。……ショージくん、そういう趣味だった、の? 首輪とか付けたい、みたいな。う、ううん。いま、わたしの中でものすごいパラダイムシフトが起きてる。ショージくんの愛。愛のかたちはそれぞれ」


 メアリーさんの中で、ぼくの性癖がすごいことになってしまった。


「良し!」

「何が良しだ」

「いつでもウエルカムだよショージくん! 二人っきりのときに、首輪までなら! でも痛くしないでね?」


「……うわ」

「あ、あれ?」

「そういう趣味は無いんで。あ、近寄らないでくれますか」

「ひどいっ。ひどすぎるよっ。なんとか自分の中で折り合いを付けたのにっ。しかも物理的にも精神的にも距離が遠ざかってるし!」


「譲れない一線って、ありますよね。じゃあ田中さん、そういうことで」

「ああ、そこはかとなく距離感が!」


 結局、百貨店近くに通行人がいっぱいいたため、この話題は封印された。



◆◇◆



「お兄ちゃん?」

「可南子ちゃんこんにちは。買い物帰りかな」

「う、うん。お兄ちゃんは」

「これから行くとこ」


 大家さんの娘である可南子ちゃんが、百貨店から出て来るところだった。

 隣の幽霊とまるで方向性が違うが、こちらも目の醒めるような美少女だった。

 メアリーさんの持つのが明るい可愛さなら、こちらには儚げな可憐さがある。


 長い髪に、白磁の肌。

 黒と白のコントラストが眩しく、人形めいて整った容姿はどこか透明だ。

 やたらとフリルの付いた服を着ているが、細い手足にこそ袖口のレースが映えるので問題ない。

 そんな可南子ちゃんが笑顔を向けてくれている。


「今日も良い日になりそうだ」

「え?」

「いや、こっちの話」


 眼福眼福。

 隣にいるメアリーさんがむー、と羨ましそうに目を細める。

 メアリーさんの物欲しげな表情を見なかったことにして、可南子ちゃんと談笑した。


「何買ってきたの?」

 可南子ちゃんは顔を赤くした。恥ずかしそうに口ごもっている。

「ぼくには何を買ったのか全然さっぱり分からないけど、良いのは見つかった?」

「う、うん。……その、可愛いのが」

「それは良かった」


 可南子ちゃんはまだ中学生だ。

 ご両親に頼んだり、一緒に来るのではなく、自分だけで買いたいものもあるだろう。

 ぼくにも覚えがある。


「お、お兄ちゃん。今度……わたしが使うの、選んでくれる? その、たとえば学校で使うノートとか、手帳とか、小物類なんだけど」

「いいよ。ぼくはあんまりセンスに自信が無いけど、それでも良ければ」


 可南子ちゃんはぱあっと顔を輝かせた。


「ありがと、お兄ちゃんっ……じゃあ、またね」


 可南子ちゃんは小さく手を振って、去っていった。

 姿が見えなくなってしばらくして、メアリーさんが不思議そうに呟いた。


「あれ? 一緒に来て、ショージくんに選んでもらえば良かったんじゃ」

「他に予定があったのか……本当は、雑貨や小物の話じゃなかったのかもね」

「そっか、下着だ!」


 ため息しか出ない。


「……メアリーさん。それを思っても口に出さない慎みが欲しいです」

「確かに、その方がショージくんには受けがよさそうだけど……いや、でも、そうなると可南子ちゃんの発言が恐ろしいことに……!」

「そりゃ意識的にやったらあざといけど、可南子ちゃんは素だし」

「恐ろしい子……!」


「いや、下着云々はメアリーさんの勝手な想像だからね」


 思案に耽るメアリーさんを尻目に百貨店へと入った。

 ワンテンポ遅れて開くドアと、地元民しかいない店内を眺めつつ、目的の階へと歩を進めるのだった。


 目的の六階、書店スペースに到着し、買う予定だったそれを手に取った。


「ねー。ショージくーん。何か反応してよー! ねえってばー ううう、なんだかショージくんが慣れちゃって、昔みたいに驚いたり怒ったりツッコんだりしてくれない。寂しいよう。寂しいよう」


 他の客の目があったから、しばらく返事しなかっただけでこれだ。

 ようやく人目がなくなったので、小声で言い返す。


「いや、昔っていっても一ヶ月も経ってないし。いまさらメアリーさんが純真ぶっても手遅れっていうか、日頃の発言が下ネタ多すぎて引く、っていうか」

「あれはスキンシップだってば! 健全な高校生男子の興味を引くためにわたしなりに頑張ってみたの! いくらショージくん相手でも恥ずかしいに決まってるでしょ! でもそれくらいしないと太刀打ちできないんだもの! せめて、その努力は分かってくれるよね?」


 上目遣いだ。先ほどの可南子ちゃんの真似と思われた。


「無駄な努力お疲れさまです」

「返答も冷たいよっ」


 やれやれ、と肩をすくめた。


「ショージくんさ、もう少し手心があっても良いんじゃないかな?」

「してますよ?」

「それで!?」


 頭を抱えたメアリーさんを放置して、海外小説の棚を眺める。

 慌てて横に並んだメアリーさんが、ぼくの抜き出した本を不思議そうに見た。

 レイモンド・チャンドラーの小説だ。


「ショージくんのハードボイルドかぶれってそういう……。あれ? 同じの持ってたよね」

「予備です。何度も読み込んでるうちに、ぼろぼろになっちゃったので」

「そんなに好きなの?」

「挫けそうになったとき、この主人公を見てると元気が出ます。ああ、メアリーさんにも貸しましょうか?」

「そこまで言われると内容が気になるけど、わたしはページをめくれないし……」

「じゃあ、機会があったらということで」


 レジを済ませたあと、エレベーター前には人だかりが出来ていた。


「おっかしいなぁ」

「六階にランプは付いてるのにねえ」


 エレベーターのかごは到着しているのに、何故かドアが開かないらしかった。


「建物と同じくらいぼろいしな。とうとうぶっ壊れたのかね、こりゃ」

「面倒だけどエスカレーター使うかぁ。おーい、向こうから行くぞ」


 音もなく、それまで六階に留まっていたランプの光が消えた。


「ありゃりゃ……これは本格的に故障かね」


 エレベーター待ちの客が一斉にいなくなった。

 来年には取り壊す建物だからか、誰もが当然といった顔をした。

 ぼくとメアリーさんだけがその場に留まっていた。


「階段で下りる?」

「わたしは、どっちでも構わないけど……」


 歯切れが悪い。話の先を促した。


「そのエレベーターの中、誰か乗ってたりしないのかな?」



◆◇◆



 近くの店員に声をかけた。


「エレベーターが故障っぽいんですが」

「あー、ホントね。どう見ても故障みたい。……ごめんなさいね! 主任さーん! ちょっと来てくださーい! ほら、エレベーターがおかしいみたいですー」

「こりゃ大変だ。お客様。ご不便をおかけしますが、下の階に降りるのは逆側にあるエスカレーターをお使いください」

「それは別に構わないんですが……あの、中にひと乗ってたりしません?」


 店員が笑みを浮かべた。


「それは大丈夫よ! 中途半端な場所で急停止したり、ドアが開かない場合にはメンテナンス会社に直接連絡出来るようになってるから。連絡のための操作も簡単で、ボタンを押すだけで繋がるはずだもの。その場合、外にも表示が出るはずだし」


 しばらく店員二人の様子を眺めた。

 二人ともすぐには動かなかった。


「メアリーさん」

「見て来いってことでしょ。ショージくんたら人遣いが荒いんだから、もう!」

「この場合、幽霊遣いですけどね」

「ああ言えばこー言うし! もー!」


 メアリーさんは閉まったドアに首を突っ込んだ。すぐに戻ってきた。


「見えないね。真っ暗で」


 不思議なことに、メアリーさんでも光がなくては何も見えない。壁抜けは出来るのにそういう部分は人間と大して変わらないのだ。


「……あ!」


 普通は非常灯があるし、エレベーターの中が完全に真っ暗になることはない。しかし、これが電気系統の異常で、運悪く照明がすべて消えていたとしたら、非常用ボタンの位置も分からないかもしれない。


「音は聞こえます?」


 メアリーさんが不自然な体勢になりながらも、音を拾ってきてくれた。


「いた! 少しずれた場所で、高校生くらいの女の子。不安そうな声で泣いてる」


 エレベーターが突然停まって電気が消えて、そのまま閉じ込められる。六階という高さにある不安定な乗り物ではなおさらだ。

 ドアにへばりついて、はいつくばって、隙間から下に向かって大声を出した。


「聞こえますか!」

「お、お客様。何を」


 大声に、店内が一瞬静まりかえった。暗闇の中の箱に耳を澄ましている。


「聞こえたら返事してください! ドアを思いっきり叩くか、大声を挙げてください!」


 顔を床に直接つけ、ドアの隙間に耳を当てた。

 黙って返事を待つ。


 いま何か聞こえた。

 確かに聞こえている。


「携帯電話か何か持っていたらライトを付けて! 非常用のボタンがあるので、なんとか探してください!」


 反応を待っていると、メアリーさんが再び首を突っ込んだ。

 集まってくる買い物客の視線が煩わしい。

 店員は唖然とした顔でぼくを見た。

 止めるでもなく手伝うでもなく、ただ遠巻きに見ている。


 耳を傾けていたメアリーさんが、戻ってきて声を挙げた。


「真っ暗なまま! 携帯電話はバッテリー切れみたいだし、連絡ボタンは何回も押してるけど通じてないみたい! 押したのにって泣いてる!」


 パニック状態らしい。

 一般的にはその手の装置は電気系統が独立しているはずだ。

 しかし非常灯すら点いていない状況である。

 悪い偶然が重なったのかもしれない。


 おろおろする店員二人には、エレベーター内の状況が分かっていない。


「連絡は!」

「え」

「連絡はしたんですか! 早く! 女の子が閉じ込められているんです! さっさと然るべき所に電話なり何なりしてください!」



◆◇◆



 喉がひりひりと痛い。声が涸れてしまった。


「大丈夫? ショージくん」


 作業着の男性が三名。

 周到に安全確認をして、それから手作業でエレベーターのドアを押し開く姿は、長らく待ち望んでいたものだった。


「あそこまで叫ばなくても良かったんじゃないかなー」


 言い返そうとして咳き込んだ。

 技術者が来たのは約一時間後のことだった。

 途中でもう泣いていないとメアリーさんから報告されたが、ぼくが黙ると不安が再燃するかもと考えて、必死に声をかけ続けた。


 メンテナンス会社の関係者が来てからドアの前から離れた。

 閉ざされていた扉が開くと歓声が上がり、拍手が鳴り響いた。事態の推移を眺めていた買い物客によるものだった。


 ようやく開いた扉から彼女が一歩一歩確かめるように歩み出た。

 眼のあたりは赤く腫れぼったくなり、顔色は青ざめ、握りしめた手はわずかに震えていた。


 淡い茶色のデニムパンツに、白のワイシャツ風の服。

 かけている小さなショルダーバッグも青で、背が高くないのにすらっとした印象を受ける。


 通風口もあり酸欠の心配はなかったはずだが、いつの間にか来ていた責任者が、しきりに彼女に体調を尋ねている。彼女は大丈夫ですと答えた。それから視線を彷徨わせた。


 目が合った。そんな気がした。

 彼女には叫んでいた人間を確かめる術は無いはずだった。


「ずっと励ましてくれて……ありがとう」


 疲れきった顔色ながら、それでもはにかんだ笑みを浮かべて、そう告げられた。

 安心と嬉しさの綯い交ぜになった、視線と同じくらいまっすぐな感情。


 少し長い黒髪。

 すっと人を射貫くような、澄んだ瞳。

 どこか優しげな顔立ち。


 もしかしたらどこかで会っただろうか。

 思い当たる人名は記憶になかった。


 向けられた声は掠れていた。

 ぼくも、けほっ、と小さく咳を返すだけだった。


 彼女はもっと何か話したいようだったが、責任者が重々しい声で謝罪を始め、奥の方の従業員用通路へと連れられていった。

 向こうに賓客用の部屋でもあるのだろう。

 まず休ませる必要があるのも事実だった。


 メアリーさんが首をかしげた。


「どこかで見た覚えがあるんだけど」


 ぼくもだ。

 答えようとしたタイミングで、横から声が掛かった。

 スーツ姿の見知らぬおじさんだった。上品な装いの見知らぬおばさまもいた。


「あんちゃん頑張ったな。格好良かったぞ!」

「そうよ。一時間もあの子のためにずっと声を張り上げるなんて、そうそうできることじゃないわ」


 他人の賞賛に悪い気はしないが、それよりあの子の名前を聞きたかった。

 内心を見抜いたように、余人には聞こえないメアリーさんの声が響く。


「下心でもそれだけ頑張れたなら本物だよね」


 言葉に棘があるが、労っているようにも思われた。

 ぼくを笑っているようにも、ぼくに笑いかけているようにも感じられた。


 衆人環視のなか、言葉に応えることは出来ない。

 メアリーさんが正面に回って、ぼくの名をそっと呼んだ。


「お疲れさま、ショージくん」



◆◇◆



 あの状況でそのまま残っていられるほど、ぼくの神経は図太くない。

 さっさと帰ることにした。

 決して中年のおじさんおばさんたちに、これ以上もみくちゃにされることが面倒だったからではない。


「いいの?」


 何が、と目で問い返した。

 かすれた声は出るが、喉が痛い。


「あの子、たぶんすごく律儀な感じがするから……出て来るのを待ってれば、連絡先くらい教えてくれたんじゃないかなーって思うけど」


 ぼくの視線から、器用に内心を読み取ってくれる。


「あれ? そういう魂胆は無かったの?」


 自然な流れで好感を得られるなら、それは嬉しいに決まっている。

 でも、自分は見返り欲しさに助けられた。彼女がそう感じたら、きっと素直に助かったことを喜べないだろう。


 ぼくが得た報酬は、あの笑顔と感謝の言葉で十分だ。

 と、言うようなことを思いつつも、口には出さなかった。


 ひどく喉が痛むのもそうだが、あまりに格好付けすぎていると自覚していた。

 なにしろぼくはハードボイルドな男を目指しているのだ。


「うんうん。それでこそショージくん!」


 そう語るメアリーさんの顔は、誇らしげな笑みで溢れていた。


 

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