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壁に耳有り、ショージにメアリー  作者: 三澤いづみ
第五章

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第三話

 

 

 行動する時は来た。

 ちゃんとした服装を心がけて、あのあとすぐに家を出た。


 病院に着くと受付で名前を伝え、メアリーさんの病室に向かった。


 エレベーターに乗って、八階で降りる。

 静かで白い世界がそこにはあった。

 やわらかな清潔さに満ちて、現実から切り離されたように真っ白だった。


 何人かの患者とすれ違った。

 病室の名札を、一個ずつ確認しながら進んでいく。


 中谷メアリー。


 一番奥に、その個室はあった。

 丸椅子に腰掛けた中年女性と目が合った。


「……こんにちは」

「こんにちは。あの……病室をお間違えではありませんか?」


 ベッドに横たわっている彼女の顔を確認して、はっきりと答えた。


「いえ。メアリーさんのお見舞いに来ました」

「……そうですか。うちの娘のために。それは……ありがとう」


 一瞬訝しげな顔をされたが、不審に思うのは当然だ。ぼくは名乗った。


「小林正司と言います。娘さんとは……同じ高校になる、予定だったものです。こちらに入院していると最近になって知りまして、慌てて駆けつけた次第です」


 ぼくが制服姿だったことも功を奏し、彼女から警戒の色が薄れた。

 お見舞いの品を手渡した。

 途中で買った、箱入りのお菓子だった。


「それはご丁寧に。それで、その、小林さんは娘とはどのようなご関係で?」

「初めて顔を合わせたのは推薦入試のときですね」


 メアリーさんから聞いた話と合わせて、それらしく語った。


「もっと早く来られれば良かったんですが……遅れまして、申し訳ないです」


 彼女はぼくの顔をまじまじと見て、絶句していた。

 不思議に思っていると、


「ご、ごめんなさいね、驚いてしまって。……いえね、この子、ハーフでしょ。それで……中学時代は、あんまり他の子となじめなかったみたいなの」


 メアリーさんの母はそこまで口にして、途端に相好を崩した。


「だから高校生活はとても楽しみにしていたみたいなんだけど……もしかして小林さんにお会いするのを楽しみにしていたのかしら。ああ、そうね。推薦入試の後……ああ、きっとそうなんだわ! うちの娘、中学生のころも浮いた話のひとつも無かったようだし」

「そこまでは……」


 適当に誤魔化した。

 メアリーさんは顔を赤くして、さっきから黙っている。


「……あ、あらあら、私だけで盛り上がっちゃったわ。ごめんなさいね。あ、ちょっと花瓶の水を替えてこないと。小林さん、私、少し席を外しますね」


 気を回されたらしかった。彼女は十分ほどで帰ってくるだろう。

 病室から遠ざかる足音が充分離れた頃に、口を開いた。


「メアリーさん。どうぞ」

「どうぞ、って。もう少し言い方ってものがあると思うんだけど」

「なら、ロマンチックな言葉でも付けますか」

「やっぱいい。ショージくん、……後は任せるから」


 ぼくの目の前で、二人のメアリーさんが重なろうとする。

 メアリーさんは勢いを付けて、そのまま自分の身体に飛び込んだ。

 メアリーさんは眠っている本体に重なることは重なるけれど、それだけだ。

 戻っていくという感じではない。


 三分ほど経って、ため息を吐いた。


 アカネさんの予想が間違っていたのか。それとも何か足りないのか。

 色々と考えているうち、つい閃いてしまった。縁を繋ぎ合わせる。

 アカネさんの言葉を思い返しながら、その方法に行き着いた。


 触れられない。それが理由だ。


 本体であるメアリーさんは、ただ眠っているようにしか見えない。それに重なって不安そうな瞳がぼくを見つめてくる。

 眠っている顔と、起きている顔。

 そのどちらもがメアリーさんだった。


 そっと唇を合わせた。

 柔らかな感触のあと、メアリーさんは目を丸くした。


「ショージくん、またね」

「……待ってます」


 彼女は目を閉じた。

 言葉にあったのは、嬉しさと寂しさが丁度半分ずつだった。


 優しい光となって、そのまま眠っている彼女に吸い込まれていった。




 やがて光がすっかり収まると、寝ぼけたようなメアリーさんが、あくびをする。


 目をこすり、伸びをして、なんだか眩しそうに目を開ける。

 まだ夢の続きを見ているような、茫洋とした表情だった。


「おはようございます、メアリーさん」

「お、おはよう? あれ? 君って」


 反射的に返事したが、不思議そうに目を瞬かせている。


「しばらく待っていたら、お母さんが戻ってきます。それまで出歩かないように。もしくはナースコールのボタンを押して、看護師さんを呼んでください。身体が弱ってるので、下手に一人で立つと転びます」


 それだけ告げると、制服の内ポケットから一冊の文庫本を取りだして、直接渡さずサイドテーブルに置いた。


「入院中の暇つぶしにでも、どうぞ」

「う、うん」


 お見舞いの品とは別に持ってきたものだ。

 本のタイトルをちらりと見て、メアリーさんは首をかしげたが、突き返してきたりはしなかった。


「ぼくはこれで帰ります。……お大事に」


 返事を待たずに背中を向けて、ぼくはそのまま病室から出た。


「う、うん。え、なんで……いや、そもそもここって? なんか病院みたい。そっか、病院だ。おかしいな。あ、わたし、事故に遭って……でも、あれ? どうして」


 困惑した声が聞こえてきたが、ぼくは足を止めなかった。




 そのまま病院から飛び出すと、強い陽射しが不意に目に入った。

 頭上に広がる空の青はどこまでも鮮やかだった。

 ぼやけた雲の切れ間から、真っ白な光が燦々と降り注いでいた。


 ぼくの目の前は、歩くべき帰り道は、きらきらと輝いていた。

 その途方もない明るさが眩しくて、目に痛いくらい眩しくて、ただ無性に寂しかった。

  

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