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壁に耳有り、ショージにメアリー  作者: 三澤いづみ
第五章

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第二話


  

 救急車で搬送された、と思う。

 気がついたら、目の前にさなかさんがいた。


「小林くん!」

「お兄ちゃん……っ」


 すぐそばに可南子ちゃんもいた。

 二人からしがみつかれた。

 おいおい、ぼくの身体はひとつだけなんだぜ、とキザな台詞を吐く暇も与えられなかった。


「良かった……無事で、本当に良かった……っ」

「うぅ……」


 二人の感触を肌に受けながら、ぼんやりと向こう側を見る。


 真っ白な壁だった。

 天井から降り注ぐ白い光によって、視界は明るい。

 清潔な空気の流れを感じる。わずかに焦げ臭いのは気のせいだろうか。


 窓は向こうは暗かった。

 星も見えない、真っ暗な夜空だった。


 誰か説明を。

 願いが通じたのか、ひょっこりと大家さんが顔を出してくれた。


「小林君。話は聞いたよ。まったく……無理をするなあ。ああ、海外のご両親には一応だけど電話をしておいたから。後で自分でも連絡を取るようにするんだよ?」

「……ご心配をおかけしました」

「そこが分かってるならいいんだ。……その様子なら大丈夫そうだね」


 頭を下げると、優しい表情で頷かれた。


「倒れたって聞いたけど、煙をほとんど吸わなかったようだね。手当てをしてくれたお医者さんも驚いていたよ。検査だけして……結果が良ければ明日には退院しても良いそうだ」


 あのあとどうなったかを尋ねた。

 複数の消防車が到着してから間もなく無事に鎮火したらしかった。

 その後、店内の捜索が始まった。他に避難できなかった客はおらず、めでたいことに死者も出なかったようだ。


 原因についてはエレベーター付近から火が出た、なんて証言があったらしいが、真相が明らかになるのは先のことだろう。


「ああ、小林君。……君は最初からあの百貨店に残っていて逃げ遅れた、ということになっているからそのつもりで」

「あー。はい。分かりました」


 後始末についての話も一段落すると、大家さんは病室から出て行った。

 入れ違いに親子連れが訪ねてきた。さなかさんが助けようとした子だった。


「ありがとうございます。うちの子を助けてくれて、ありがとうございます……」


 さなかさんと目が合い、頷かれた。

 どうやら同じようにお礼を言われたらしかった。

 隣にいた父親も疲れた様子だったが、顔を真っ赤にして、感謝の言葉を口にしてきた。


「ほら、良太」


 母親に促され、良太くんは口を開いた。


「う、うん。……たすけてくれて、ありがとうございました!」

「どういたしまして」

「おれ、にーちゃんみたいにカッコ良くなりたい! はーどぼいるどな男になるには、どうしたらいいのか教えてほしいんだ!」


 ご両親は彼とぼくを交互に見て、目を丸くしていた。

 ぼくは笑った。


「誰かのために頑張るのさ。みっともなくても、格好悪くても、最後まで諦めないで。ほら、これくらいなら出来そうだろう?」


 さなかさんと可南子ちゃんは何も言わなかったが、目が笑っていた。


「おっと、これも忘れちゃいけない。……女の子には優しくするんだ。これが出来たなら、そのとき君は立派にハードボイルドな男さ」

「……うん!」

 真剣に頷く良太くんを見て、病室内に明るい笑顔が溢れた。



◆◇◆



 翌日の昼過ぎ、ぼくは退院した。

 話を聞いたさゆりさんや相沢さんが朝早くからお見舞いに来てくれた。


 もう退院するんだけど。

 それを伝えると、知っていると返された。それでもわざわざ足を運んでくれたらしかった。


 家に帰る道すがら、メアリーさんのことを考えた。

 無事ならば、彼女は戻っているはずだ。

 ぼくたちの部屋に。



 メアリーさんは聞いていた。

 猶予のことも、自分の身体、本体とも言える存在がまだ死んでいないことも、放っておけば死ぬであろうことも知っていた。


 ぼくには言いたいことが山ほどあった。

 メアリーさんだって、ぼくに言いたいことがいっぱいあるはずだ。


 部屋に帰り着いた。まずは大家さんに一声かけるのが礼儀だろう。

 申し訳ないがそれは後回しだ。

 これからぼくは、火の中に飛び込んだのと同じくらい、あるいはもっと勇気の要ることをするのだから。



 静かに玄関のドアを開いた。

 いつかのように、メアリーさんは部屋の真ん中で待っていた。


「ただいま、メアリーさん」

「うん。おかえり」

「アカネさんの話は聞いていたそうなので、そこは省きますが――」


 お互い、居住まいを正した。

 ぼくも正面に座って、視線を合わせた。


「メアリーさんの身体の在処。見つけました」

「……そっか」

「自分の本当の名前と、状態。それについては、知ってましたか」


 メアリーさんはぼくの顔を静かに見つめ、やがて泣きそうな顔をした。


「分からないよ。……わたし、前のことなんて何にも覚えてない」


 声が震えていた。

 だが、涙は流れなかった。


「それは、どういう意味で」

「そのままの意味だよ。ショージくんに会う前のことは分からない。ショージくんに関することだけは、どうしてか覚えてた。だからここに来たんだ。このアパートに」


 要領を得ない話だったが、メアリーさん自身も混乱しているようだった。


「最初にショージくんを見たのは、あの岸月東高校の推薦入試、午後にあった面接試験のときだった。……周りのひとはみんな、笑顔だったり、緊張した表情だったりして、わたしも似たようなものだったと思う」


 一呼吸置いて、メアリーさんはぼくの目を覗き込んだ。


「そこに君がいた。今にも死にそうな顔だった。身動きひとつしないで、入り口から高校を睨んでた。自分で推薦入試を受けに来たとは思えないくらい、何もかも面倒そうに、息をするのも鬱陶しそうで……まるで動く死体みたいだって思った」


 確かに、それはぼくだ。

 高校に入る前の。

 何に対しても諦めていた、一番ひどかったあの頃の。


「次に見たのは、この近所を歩いていたとき。どうしてか見られる顔になってた。以前はこの世の全てを呪ってるみたいだったのに。だから目が離せなくなった。名前を知ったのもそのときだったよ。立ち話なんかしてたから、興味を引かれて……近くで話を聞いてたの」


 メアリーさんは、どことなく嬉しそうに続けた。


「今でも耳に残ってるんだ。ショージくんは、あのとき大家さんにこう言ったよね。小さく笑って……頑張ることにしたんです、って」


 ごく普通の、なんでもない言葉だった。

 けれど、その言葉を口にしたことは、ぼくも鮮明に覚えていた。

 頑張ると、決めたのだ。


「聞こえてきたその一言で胸が詰まった。ああ、このひとは本当に頑張るんだって、わたしにも分かった。きっと、好きになったのはその瞬間なんだ。それから、わたしは……君のことが気になって、気になって、たまらなかった」


 メアリーさんは、嬉しそうに頬を緩めた。


「わたしも推薦で合格してたし、きっとすぐ会えるって思った。まずなんて話しかけようかとか、君は何が好きなんだろうとか、ずっと頭のなかをぐるぐる回ってた。毎日君のことで頭がいっぱいだった。面接の日だって、わたしとショージくんはすれ違っただけだから、きっと覚えてないよね。でも、話しかける切っ掛けにはなるかなって、わくわくしてた」


 でも、とメアリーさんは嘆息した。


「入学式の少し前、事故に遭ったんだと思う。さっぱり覚えてないけどね。だから記憶にあるのは見事なくらいショージくんについてだけ。せっかく恋したのに。ショージくんといっぱい話したかったのに、って。ちゃんと話して、わたしのことを知ってもらって、素敵な高校生活を一緒に過ごせたら……。だけど全部、もう、どうしようもなかった」


 ぼくは口を挟めない。

 メアリーさんの表情は切なげで、ひどく寂しそうだった。


「気づいたとき、事故現場らしき場所にぼんやり立ってた。近くにはお供えみたいな花束もあったし、ああ、ここでわたしは死んじゃったんだって思った。ショージくんみたいに頑張ろうと思ったのに、何もできないまま死んで、あっけなく幽霊になっちゃったんだって」


 浮かべた微笑は、自嘲なのか、それともただ笑うしかなかったからか。


「一応、メアリーって名前だけは分かったけど、あとからあとから浮かんでくるのはショージくんについての記憶ばっかり。自分のことすら思い出せなくて混乱したままなのに、自然とあのアパートに向かってた。そこなら、そこに行けば、君に会えると思ったから。業者さんが引っ越しの荷物を運び入れてるところだったから、わたしもそのまま部屋にお邪魔して、あとはショージくんの知ってる通り」


 メアリーさんの独白は終わった。ぼくたちは見つめ合った。

 ぼくは言った。


「生きられるのなら、そうすべきです」

「イヤよ」

「……なんで、ですか」


「ショージくんのことを忘れるから。アカネさんが言ってたでしょ。記憶を失うって。そんなの……わたしはイヤ。昔の自分がどうだったかなんて知らない。どうだっていい。今のままで良い。ううん、今のままが良いの」

「どうして」


 メアリーさんは言った。


「分かってるくせに。ショージくんが好きと言ってくれたのは――幽霊で、色んなことを一緒にやってきて、ずっと一緒に過ごした、今のわたしだもの。これまでのことを全部忘れて、生きていて、でも君のことを何も知らない……昔のわたしなんかじゃないっ!」


 ぼくは聞いた。

 涙が流れないだけで、ずっと泣いている悲痛な声を。


「だから、いいの。今のままが。わたしは……失いたくないよ」


 ぼくはその場に立った。メアリーさんが、ぼんやりと見上げてくる。


「ショージ、くん?」

「ここで、メアリーさんが嫌いだからさっさと身体に戻れ! とか言えたら、ぼくもこんなに苦労してないんでしょうが……今更ですね。とりあえずメアリーさん。今の状況が時間制限があるってことは理解してますよね」


 長々とため息を吐き出してから、ぼくは淡々と告げた。


「え?」

「メアリーさんもぼくも永遠にこうしていられるわけじゃない。本体が意識不明のまま、いつまでもこんな生活が出来ると思いますか。全部正しいとは限りませんが、あのアカネさんの助言ですし、身体に戻る方法は信憑性が高い。ほっとくと死ぬと明言されましたし。だったら問題がない現状の早いうちに対処すべきですよね」

「え、っと。それは、まあ、そうかな?」


 早口で畳みかけた。

 今のメアリーさんに否定をさせてはいけない。


「メアリーさんは幽霊だからスキンシップは不可能だったわけです。一方、ぼくは健全な男子高校生。つまりこの関係が続いても、続けても、そのうち無理が出ていたことは自明です。人間と生き霊だと関係が頭打ちですが、人間と人間ならその先が充分に考えられます。ここまでに否定できる部分はありませんね」


 一気に言い切ると、メアリーさんが小さく頷いた。


「何度でも、ぼくを惚れさせる。……それくらいの気概はないんですか」


 固まったメアリーさんに、もう一声追加。


「ぼくのこと、また、好きになってもいいんですよ」


 どんな自信家だよ、ぼくは。

 前に似たことを口にしたメアリーさんの方だったけれど。


 メアリーさんはしばらく黙って、そっと俯いた。

 小さく肩を震わせた。

 泣いているのかとも思ったが、見ていれば違うと分かる。


 メアリーさんは、とても嬉しそうに顔を上げ、まっすぐに見つめてきた。


「頑張ったんだ、ショージくん」

「はい。頑張りましたよ。だから、次はメアリーさんの番です」

「……うん。わたしも、頑張る」


 メアリーさんから向けられたのは、一発で惚れてしまいそうな笑顔だった。

 

 

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