第四話
翌日、眩しさを感じるとほぼ同時に、メアリーさんの元気な声に起こされた。
「ショージくんおはよー!」
「あ、はい。おはようございます。体調は大丈夫ですか」
身体を起こすと、メアリーさんもそれに倣って起き上がってきた。
「問題無いって! もぉー、ショージくん心配しすぎだって。どーしたの昨日から」
「そりゃ心配くらいしますよ」
「……う、うん」
間近でメアリーさんの照れた顔を観察した。
頬も耳も赤らんでいる。確かに回復したようで見た目にも血色が戻っていた。
今日も休むことを考えたが、素直に登校した方が目的に近道かもしれない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
満面の笑みのメアリーさんから見送られて、ぼくは学校へと急いだ。
◆◇◆
普段より早く着いた。
登校してすぐ、駆け寄ってきた大谷さんに挨拶した。
「あ、小林くん。おはよう。その……体調は大丈夫?」
あの告白の後にいきなり休んでしまったのだ。
申し訳ないことをした。
それでも大谷さんの言葉は心配から始まった。
「それは大丈夫。心配してくれてありがとう」
「そっか。なら、いいんだけど」
探り合いのような、甘酸っぱいような、微妙な雰囲気だった。
「大谷さん。昨日休んだのは、実は――」
顔をわずかに近づけて内緒話の体勢を取った。
大谷さんは困惑しつつ、しかし何かを期待する眼差しだった。
メアリーさんが体調を崩したこと、そのための仮病だったことを明かすと、大谷さんの表情は何とも言えないものに変わった。
「分かった。そっか。そうだよね。小林くんだし。……ちょっと残念なような、小林くんらしくて嬉しいような……複雑な気持ちなんだけど」
だんだんと大谷さんの声が大きくなった。
「なんだけど! こう、ね! あたしにもなけなしの乙女心があるわけで!」
「ごめん」
「小林くん。それは、何について謝ってるの?」
ため息ひとつ、大谷さんの目は厳しかった。
「……無駄な心配をかけたこと、かな」
「無駄じゃないわよ。メアリーさんが体調を崩してたんでしょ。なら、方角そのものがズレていたけど、心配自体が間違ってたわけじゃないし」
分かってはいたが、大谷さんは、良い子だ。
「な、なによ。そんな目で見られても」
「あと、好意自体は嬉しいんだけど、すぐには答えられないことについて」
「ばっ」
大谷さんは叫びそうになって、それを飲み込んだ。
「そんなの、ついでみたいに言わないでよ」
「気にしてたんじゃないかと思って」
「気遣いしてくれるのはありがたいけど、そこじゃないでしょ。そこじゃ」
視線で促された。
大谷さんが席を立ち、ぼくも一緒に教室から出ていく。
廊下の先、人目の少ない場所まで進んでから話を続けた。
「で。あたしはそういう対象にならない、ってこと?」
「違うよ?」
ぼくと大谷さんは顔を見合わせた。
「理由は聞かせてもらえるのよね」
「言い訳になるけど……ぼくって、メアリーさんのこと、わりと好きなんですよ」
「わりと?」
「もし幽霊じゃなかったら、素直に付き合ってくださいって言ってたかも」
大谷さんが、すごい顔をした。
乙女のして良い表情ではなかった。
「でも可南子ちゃんは可愛いし、大谷さんだって結構好きです」
「結構?」
「ええ、まあ、結構」
「そ、そっか。あたしのこと、結構好きなんだ。そっか。結構かー」
怒られる覚悟で告げた言葉だったが、大谷さんはにへら、っと笑った。
「ぼくは……今の状態が続けばって。そう思ってたんです」
「そう思ってたってことは、今は、違うの?」
「メアリーさんはまだ、本当に死んではいないそうです」
意味を飲み込んで唖然とした大谷さんに、簡潔に説明を試みた。
アカネさんという幽霊についてと、彼女から教えられた内容に関して。
「そんなっ! 八木先輩にも幽霊が!?」
「今の話のメインはそこじゃないです。あと、その件は解決済みなので」
「メアリーさんのことがあるからすぐには決めるられない。そういう理解で良いの?」
「言い訳でしかないけど」
大谷さんは肩をすくめた。
「良いんじゃないかしら。だって……今すぐ結論を出せ、なんて誰も言ってないでしょ? 急かされて適当な答えを見つけて、それにぱっと飛びついて、そのまま後悔して何もかも無駄にすることに比べれば……まったく悪いことじゃないわ」
半ば呆然と、大谷さんの正論を聞いていた。
「……待たされる側にしてみれば不安だったり心細かったり色々あるけど、仕方ないわ。まだまだ時間はたっぷりあるんだし。あたしは急がないわよ。……あ、でも可南子ちゃんみたいな良い子に不誠実な真似したら、容赦無く、切るわよ」
ねじ切るような手首のスナップだった。
そして、どういうわけか可南子ちゃんとは随分と仲良くなったらしい。
ぼくの疑問顔を見て、大谷さんは言った。
「休みになったら一緒に買い物に行く予定なのよ」
「いつの間に」
「あのとき、さっと電話番号を交換したのよ。それでお話を色々とね。ほら、共通の話題もあるし……。可南子ちゃんみたいな子を小林くんの毒牙から守らなきゃいけないし」
「毒牙扱い!?」
「あのねえ。いくら好かれても中学生に手を出したらマズイでしょ」
そのつもりはないと即座に否定したが、大谷さんはどうだか、と目を細めた。
「潤んだ瞳とあの声で『今日は、うちに誰もいなくて……ねえ、お兄ちゃん。一緒に寝てくれる?』とか言われてみなさいよ。我慢できるの?」
「ノーコメントで。あと、その物まね全く似てませんから」
「どうせあたしは可南子ちゃんみたいに可憐じゃないわよ」
怒っている風ではなく、やれやれと肩をすくめるだけだった。
◆◇◆
時間を確かめてから、大谷さんが話を戻した。
「それで、あたしにメアリーさんの秘密を教えてくれた理由は?」
「……説明する義務があると思ったから。それだけだよ」
「あのねえ。メアリーさんの本体っていうか、身体の在処。探すんでしょ?」
「そのつもり、だけど」
調べるためのヒントが無いわけではない。
たとえばメアリーさんは、なぜ岸月東高校の制服を着ているのか。
なぜ、最初からぼくのことを知っていたのか。ぼくの借りた部屋に現れたのは偶然ではないはずだ。
ただ、本人に聞いてもはぐらかされるだけだったけれど。
大谷さんに問われるままに、そうした情報と推察を答えた。
「あたしも素直になれないほうだけど、小林くんも相当よね。こんなの聞いて放っておけないじゃない。それともなに? 好きな相手のことだから自分だけの力でやりたいとか?」
責める口調は、大谷さんなりの優しさだった。ぼくは頭を下げた。
「手伝ってもらえるかな、大谷さん」
「さなか」
漢字で書くと最中。彼女の名前は大谷最中という。
最中は「もなか」とも読める。だから漢字では書きたくないと以前言っていた。
「さなかよ。知ってるでしょ」
「いや、でも」
「メアリーさんも可南子ちゃんも八木先輩も名前で呼んでるのに……本当に乙女心が分かってないわね」
ぼくは照れを飲み込み、彼女の名前を呼んだ。
ずっと名字で呼んでいた友達の呼び方を変えることは、思っていた以上に勇気がいった。
「……さなか、さん」
「もっと大きな声で!」
「さなかさん!」
「愛を込めて!」
「さなかさーんッ! カムバーック!」
大谷さん。もとい、さなかさんが顔を真っ赤にしていた。
「よしみちゃん、何してるの」
途中から、さりげなく委員長が混じっていた。
「たまたま通りがかっただけです。内緒話を盗み聞くほど野暮じゃないので」
ぼくが止める暇も無く、さなかさんが口を開いた。
「よしみちゃん。新入生の予定にメアリーって名前があったか、知ってる?」
直球だった。相沢さんは理由も聞かず、真面目に思い出そうとしてくれた。
「私たちの同級生に、ってことですよね。転校生とかじゃなく」
メアリーさんは幽霊になる前の記憶は曖昧だと言っていた。
田中という名字も適当に付けたようだし、あまり期待するべきではない。
「個人情報云々で、先生に聞いても教えてくれるかどうか。入学の予定だけなら、休学扱いにすらなっていない可能性もあります」
相沢さんは眉間に皺を寄せて、あごに手を当てて、うーんと唸った。
「新入生の名前……。それらしい話を聞いたような気がしますが」
「あ、待って。そういえばあたしも何か引っかかってる」
二人は鼻をつき合わせて、ああでもないこうでもないと言い合っている。
「さなかちゃんが気にしてたってことは……八木先輩の関連でしょうか」
「それよ! 八木先輩、新入生歓迎のために、名簿作りの手伝いをしてたはず!」
有益な情報だった。ぼくは二人にお礼を言った。
◆◇◆
放課後にさゆりさんを訪ねる事情を伝えると、すぐに思い出してくれた。
「田中じゃなかったのか。……なら、中谷メアリーだ。今年の入学生でメアリーという名前を持つ生徒は、その娘しかいない」
中谷メアリー。
さゆりさんは姓名を正確に記憶しており、結果として田中メアリーという名と整合が取れずにいた。
今更な話ではあるが、田中が適当に付けた名字だと伝えるか、さゆりさんがメアリーの名だけ知っていれば早い段階で結びついていたかもしれない。
「さゆりさん、ありがとうございます」
「入学式の前に事故に遭ったと聞いている。まず間違いないだろう。住所についてはさすがに分からないが」
「これだけでも充分です。助かりました」
ここまで情報が揃ったなら、あとは地道に探すだけだ。
まずは教師を尋ねて回る。
それで駄目なら市内の病院巡りだ。
市外まで捜索範囲が広がると時間との戦いになるが、諦めるつもりはない。
ぼくがこれからの予定を組み立てていると、さゆりさんに肩を叩かれた。
「小林君。これから入院先を調べるんだろう? なら私に任せてほしい」
◆◇◆
貰った紙片を、手の中に握りしめた。
さゆりさんが方々に頼み込んで聞き出してくれたのだ。
ぼくでは聞いても教えてもらえなかったか、相当に時間がかかったであろうことは想像に難くない。
深々と頭を下げたが、さゆりさんは頭を上げてくれと言って微笑んだ。
「私は以前の借りを返しただけだ。それに」
「……それに?」
「友人の力になれるなら、これくらいおやすいご用さ」
紙片には、メアリーさんの入院先の名前と住所、病室の番号が記されている。
さて、どう切り出すべきか。
すっかり顔色が良くなって、体調も安定しているメアリーさんの顔を見るたび、心が揺らいだ。
休日になり、ぼくは決心した。
朝起きて、メアリーさんと挨拶をして、ゆっくりと朝食を食べて。
しっかり落ち着いてから、口を開いた。
「大事な話があります」
「……うん」
ここ一週間、ぼくの様子がおかしかったことには気がついていたらしい。
伝えるべきことを伝え、やるべきことをやる。
それだけだ。
深呼吸して、話を切り出した。
「実は――」
軽快なメロディが流れ、ぼくの言葉を明るい音で遮った。
床に放り出していた携帯電話の着信音だった。
拍子抜けした様子のメアリーさんと、わずかに腹を立てたぼく。
これでくだらない用件だったら……
まったく、かけて来たのは誰だ!
かなり乱暴に画面を開いた。
可南子ちゃんだ。
尖っていた気分をなんとか落ち着かせ、通話ボタンを押した。
「可南子ちゃん、どうし――」
「――お兄ちゃん! お願い、助けて……っ!」
聞こえてきた声は、あまりに切実だった。




