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ある出会い

 冬の終わり。ウリウスと側近たちが旅支度を整え、和やかに談笑している。馬を何頭も引き連れて、荷物も大量だ。

 屋敷の者たちが総出で見送る中、ウリウスはエミリアの頬にキスをし、シオンの頭をひとなでし、出立して行った。


 帰還するころにはもうすっかり季節は変わっていることだろう。




 その日、僕はアギトと共に街に出かけていた。

  特に用事があった訳じゃない。欲しいものは屋敷に商人を呼べば何でも手に入る。


 街の中心部は活気づいており、通りに沿ってずらりと露天が軒を連ねる。


 いた。


 通りの隅の方にやせこけた一匹の犬。いつも肉の露店前に陣取って、寝そべっている。冬を越せないかと思っていたが、案外にしぶといようだ。


「まだいたのか」


  犬の前にたち、言葉をかける。視線をあげるのも億劫なのか目を閉じたままだ。

「愛想のないやつだ」


 ちいさくつぶやき、露店で売られていた肉を買い、犬の前に差し出すと、目にも止まらない素早さで飛び起きて猛然と肉を食らう。

 欠片も残さずに食べ終えると名残惜しそうに口の回りについた油を何度も舐め、ようやく僕を見上げて、小さく尻尾を1度だけ振る。


 薄汚れた首筋に手を伸ばし、そっと触れる。

 堅くてパサパサの毛並み。


「犬がお好きなんですか」


 後ろに控えていたアギトに聞かれて首をかしげる。

 さて、僕は犬というものが好きなのだろうか。

 目の前で撫でられている犬は見るからにみすぼらしく、貧弱だ。


「どうなのだろうな」

「気にかけておられるようですが、屋敷に連れて帰ってはいかがでしょう?」

「この犬を?」


 街に出て目につくと、この犬に肉片を与えているのを見て、アギトは自分がこの犬を好きだと勘違いしているのか。

 そういえば僕は愛玩動物を飼ったことがない。父について行った貴族の邸宅で、たまに小動物を飼っている人たちを目にしていたが、自分が飼うことを考えたことはなかった。

 父も母も僕が欲しいと言えば飼うことに反対はしないだろう。


「アギトは犬を飼ったことがあるのか?」

「いえ、わたしの家はそこまで裕福ではありませんでした。小金持ちの家の友人が犬を飼っていましたけど、それがとても賢い犬で。かなり羨ましかったです」

「賢い?」

「はい、友人のいうことなら何でも聞き、いつも常に横に控えていました」


 少しだけ興味をひかれる。


「ふうん。犬と言うのは皆そうなのか」

「いえ、多分素質とか躾とかそういったことが影響するのではないか、とは思われますが」


 犬のどんよりと濁った灰色の目を見ると素質など欠片もありそうにもない。

 それにどうせ側にいるならもっと柔らかくていい匂いのする方がいい。


 僕は立ち上がって、歩き出す。

 犬は、後追いをしようともせずにすぐにその場で寝そべった。



 屋敷に帰ってからも、僕はなんとなく犬のいる生活というものを夢想する。ルル にも尋ねてみたが、ルルも犬を飼った経験はなく、よく分からないようだ。

 一緒に寝たりするとベッドが毛だらけになるのではないか。

 しかし寒い冬など、暖かくていいかもしれない。


  そうこうしているうちに朝晩の寒さは和らいでいき、曇天ばかりだった空は明るさを取り戻す。

 暖炉に火がくべられることがなくなり、日中は汗ばむようにもなった頃、父の帰還が知らされる。




 今回はずいぶんと長い旅だった。


  正門から大量の荷物と共に帰る父を見やる。

 使用人たちが荷ほどきを手伝い、父がこちらに向かってくる。側近と共に。


  おや?


 側近の一人、確かトビとか言う一番年若い男の影に隠れるようにちいさな影。


「チルリット」


 父の声に押し出されるように近付くのは、ガリガリにやせた少女。

 父がどこからか連れ帰ってきたようだ。そんな父に少し呆れる。火種になることは分かり切っているのに。


 小声でなじりあう父母を尻目に、僕の視線はその少女の不思議な色彩に惹き付けられるように目が離せなくなっている。

 見たことのない、銀茶色の髪。血の気が全く感じられない白い肌。そして何よりも、赤いその瞳。

 父母のいさかいにおどおどと身を震わせる様は、どうしてだろう、あの貧相な犬を思わせる。


「父上」


 僕の声に今初めて気が付いたかのように僕を見る少女。見つめられて、なぜかイラついた。

 母はこれが気に入らないらしい。父はきっと最終的には母の言いなりだ。つくづく不思議な関係だが、そうなのだ。母は滅多に父に意見をしない。が、口を出すと、父は何だかんだありながらも最終的には母の望むようにする。それは愛とかそういう甘い理由ではないとは思うが。

 母が要らないといえば、父も要らない。

 なら僕がもらおう。


 少女の手首はビックリするくらい細く、頼りなかった。つかんで自室につれていく。

 部屋の扉を閉めて改めて少女と向き合うと、ひどく怯えたように目をそらす。


「で?お前はなんだ?」


 僕の問いかけに、たどたどしく言葉を紡ぐ。たいした話ではなかった。僕が知りたいのはつまらない身の上話ではない。では何が知りたいのかと聞かれればうまく言葉にはできないのだが。


 父が来る。

 僕を諭す。

 人間はものじゃない、とか、ありきたりの正論だ。そしてそれは優しい嘘だ。

 人間はものじゃないのに、世の中にはもののように扱われている人間が多すぎる。持てるものと持たざるものの違い。そして僕は持てるものだ。

 少女に自分の身の振り方を決めさせる。

 手をとり、じっとその瞳を見つめる。

 そう、自分にとって今最善と思える選択をするといい。優しく微笑んで見せる。

 分かってるだろう?選択肢はひとつだ。


 馬鹿な駄犬は要らない。


 そして少女は馬鹿ではなかったらしい。





 僕はこうしていい匂いのする温かくて柔らかいものを手に入れた。

 犬よりも言葉も通じるし躾もしやすいと思っていたのだが、とんでもなかった。いつのまにやら僕の中に入り込み、姿が見えなくなるだけで気もそぞろになる。とんでもなく僕を振り回すが、それが腹立たしいわけでもなく。だって、僕自身が、それを望んでいるのだ。



 最後にひとつだけ、ずっと後悔していたことがある。

 あの日、ルルにいった言葉。

 子供を作る目的以外で女を抱かないといってしまったことだ。

 お陰で彼女が出産可能になるまで、かなりの我慢を強いられてしまった。


 それがたった一つの後悔。





 

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