十八話 あんこ
「まったく……生き物いるじゃねえか。めちゃくちゃデカくてアグレッシブなのが」
倒壊しかけた便所小屋を出た俺は、床でプニュプニュ揺れている青いスライムを指差し、小春へ恨みがましいジト目を向けた。
「スライムは対象外。どこにでもいるし、人里ならいて当然。和樹だってこういう時に、虫や微生物まで数に入れたりしないはず」
「そ、そりゃそうかもしれないけどさぁ……」
たしかに「この部屋にはダニや細菌が数億匹いますぅ~! だから無人じゃありません~!」なんて屁理屈をこねるのは小学生男子ぐらいのものだろう。
小春の言う通り、あって当然、いて当たり前、しかも本来は害すらない存在なのだとすれば、わざわざ警戒を促す必要も感じなかったのも頷ける。
「……まあ、無事だったから良しとするか」
スライムが狂暴化(?)したのも予想外だったようだし、これ以上文句を言っても仕方ない。
尊厳はまったく無事ではないが、それを口に出したり考えると余計に精神的ダメージが広がるので、俺は深いため息とともに気持ちを切り替えて村の奥へと視線を向けた。
「一番大きなあの屋敷って、たぶん村長の家とかだろ。だとしたら、このあたりの地理や情勢がわかるもの、それに役立ちそうな手記なんかが残ってるかもしれないな」
「ん。行ってみよ」
俺達は(というか俺は)同じ過ちを繰り返さないよう周囲を警戒しながら、一際立派な二階建ての木造屋敷へと足を進めた。
――が、例のスライムも、ズルッ、ズルッ、と地面を擦る音を立てて背後からぴったりついてくる。
「……なぁ、小春」
「なに?」
「なんでこいつ、俺達について来てるんだ?」
偶然同じ方向に用があるのかとしばらく無視していたのだが、俺が立ち止まればピタッと動きを止め、蛇行すればその後を綺麗になぞり、歩き出せば速度を合わせてついてくる。
どう見ても俺達を追従していた。
「もしかして懐かれた?」
「そうだとすれば、まだリュックの中に食料が残ってるのに、襲い掛かってこない理由が説明つかない。あの程度でお腹いっぱいになるわけないし、パンみたいに包装されてない食べ物もあるから匂いも漏れてるのに」
「じゃあなんで……?」
「スライムの考えることなんて私にわかるわけない」
「それを言っちゃおしまいよ!?」
当のスライムはといえば、自分が話題の中心になっていることを理解していないのか、わかった上で高みの見物を決め込んでいるのか、一メートルほど離れて静かに佇んでいる。
いつまた下半身の安全を脅かしてくるかわからない存在に戦々恐々とする俺を他所に、小春はスライムをじーっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……名前、つけないの?」
「名前ぇ!? いやいや、ペットにするつもりはないぞ!? てか小春的にこれはいいのかよ!? 虎の親子を撫でようとした時は、浮気だの変態だの散々騒いでたのに!」
あの時は目から光が消えるほどの激しい嫉妬を見せていたのに、この謎生物に対してはむしろ飼うことに乗り気な雰囲気すら漂っている。
「スライムは便利だから。それにシャワーの水や石鹸の泡に触れたからと怒る人はいない」
「とことん人権がないなスライム……!」
「だからこそ共存が成り立つ。それに虎達の排泄物はどうやって処理するつもり? 今後さらに増え続けるプラスチックゴミをどうやって処分するの?」
「そ、それは……」
グッと言葉が詰まる。
たしかに今まで出たゴミは、自然分解される生ゴミなどは穴を掘って埋め、プラスチックやビニールなどの埋められないゴミはまとめて台所の隅に放置していた。
もし今後も復元機能を頼るのであれば、ゴミ問題は深刻化する一方だ。
そういったゴミを綺麗さっぱり消化してくれるスライムの存在は、正直言って喉から手が出るほど魅力的である。現にさっきも、あんパンが入っていた袋を跡形もなく平らげていた。
「いい名前が思いつかないなら私がつけていい?」
「え、マジで飼う流れ!?」
「……駄目?」
小春が上目遣いで、犬耳を少しシュンとさせながら聞いてくる。
「う、うーん……駄目ってわけじゃないけど……襲われた手前、素直に良いよと言いづらいというか、未知の生物と一緒は怖いというか……」
「ここには和樹にとって未知じゃない生物なんて一匹もいない。それに意思疎通はできてる」
「スライムの考えることわからないって言ったばかりですよね!?」
「考えてることはわからない。でも言葉は通じる。人間と同じ」
「ぐうの音も出ない……ッ!」
他人の脳内のことなんて人間同士であっても誰にもわからない。それでも意思疎通を重ねて社会は成り立ち、信頼が生まれるのだ。
スライム相手にそんな深すぎる人間哲学を突きつけられるとは思わなかった。
俺が言葉を失っていると、小春は足元でぷにぷに揺れるスライムの前にしゃがみ込み、その透明な青い体をじーっと至近距離で見つめた。
「……名前は『あんこ』で」
「もしかしてさっきあんパン食べたから!?」
「そう。呼びやすくていい名前。ね、あんこ」
小春が声を掛けると、スライム改め『あんこ』は、まるで自分の名前を理解したようにプニッと一段と大きく弾けて愛想よく(?)返事をしてみせたのだった。
……まぁいいか。
「あんこ、これだけは言っておく。俺の股間には二度と近付くなよ! 約束な!」
人差し指をビシッと突きつけて警告すると、あんこは「任せろ」とでも言いたげに半透明の体をキュッと引き締め――。
次の瞬間。勢いよく俺の股間に張り付いてきた。
「だからそれをするなって言ってんだよぉぉッ!!」
まったく反省の色がないあんこの謎の愛着と、ズボン越しにも容赦なく伝わってくるひんやり&ヌルヌルとした独特の感触に、俺は廃村の青空の下で情けない悲鳴を響かせるのだった。
「こいつ……もしかして『あそこに張り付けば美味いパンが出てくる』とか思ってんじゃないだろうな……?」
イチゴジャムパンを全身で包み込んでご満悦のあんこを睨みつけながら、歩くこと数分。
俺達は村の中央に位置する屋敷の前へと到着した。
「お邪魔しますよっと」
頑丈そうな扉は鋭い爪のようなもので斜めに深く引き裂かれており、鍵などとっくに意味をなさない状態だったが一応声を掛け、静かに足を踏み入れる。
「うわ、中も結構荒らされてるな……」
玄関ホールは足の踏み場もない惨状だった。
割れた花瓶や高級そうな皿の破片が床一面に散乱し、壁のあちこちには生々しい爪痕と、ドス黒く変色した血痕が痛々しく残されている。長いこと人の出入りがなかったからか、砕けた窓ガラスから差し込む午後の斜光の中で、舞い上がった埃がキラキラと漂っていた。
「単なる獣の襲撃じゃない。オークやゴブリンの足跡も混ざってる」
小春の指摘に、俺は息を呑んだ。
言われてみれば、荒らされ方が尋常ではない。獣が食料を探し回っただけなら、わざわざ壁を叩き割り、棚まで力任せに破壊して中身をまき散らしたりしないはずだ。
爪痕だと思っていたものの中には、棍棒や剣の跡も混じっているのだろう。そんなものとは無縁な世界で生きてきた俺には判別がつかなかったが、小春の目にははっきりと異質な痕跡として映っているらしい。
「つまり、これは群れを成した魔獣による計画的な襲撃ってことか?」
「そこまではわからない。ただ、足跡の重なり具合からして、二足歩行の生き物が後から立ち入ったのは確実」
目的もなく本能の赴くままに暴れ回る怪物も困りものだが、群れを率いて獲物を追い詰めたり、襲撃する建物を分担するほど悪知恵の回る連中なんて、輪をかけて遭遇したくない。
というか敵なんて存在にそもそも絶対出会いたくない。
「……待てよ。そいつ等が村を襲うのだって、要は食料がなくて飢えてるからだろ? なら、地球の作物を大量生産すれば、こんな悲劇は生まれないんじゃないか? 世界が平和になるんじゃないか?」
我が家の前に広がる菜園を思い浮かべながらポツリと呟いた。
あの規格外の成長速度と生産量があれば、村の一つや二つどころか、国中の飢餓すら救えてしまうかもしれない。食糧難さえ解決すれば殺し合う理由だってなくなるはずだ。
――が、俺の淡い理想論に対し、小春は小さく首を横に振った。
「絶対無理。人は欲望が満たされれば新しい欲望が湧いてくる生き物だから。食料が足りれば、次は酒か女か金銀財宝、その次は技術、最後は領土や他人の支配を求め出す」
「あー……」
何も言えなくなってしまう。
理性的と自称する地球人だって争い続けてきたのだ。生きるために何一つ困っていないはずなのに、金が欲しい、地位が欲しい、名誉が欲しい、他人のものが欲しい、と浅ましい欲望のために他者を虐げ、戦争を起こす。それに便利になればなるほど幸福度が下がったり人間関係が薄れるのは有名な話だ。
欲望に際限がない以上、腹が満たされれば世界から争いが消えるなんて夢物語でしかないのだろう。
「ただ暴れたり他人が苦しむのを見るのが好きで、理由もなく壊して傷つけるやつだって世の中にはごまんといる。むしろ力や怒りの矛先があるだけマシかもしれない。これは人に限った話じゃないけど」
淡々とした、しかし経験に裏打ちされた抗いようのない重みを持った小春の言葉が、冷たく俺の胸に突き刺さる。
「あーやめやめ! 面倒くさいこと考えるのやめ! 世界平和だの救世主だの正義だの悪だの、俺のガラじゃないわ!」
何故見ず知らずの異世界人や敵のために悩まなければならないのか。
目の前に困ってる人達がいて、助けを求められて、自分の身の安全が確保できると判断したら手を差し伸べる。俺にできる優しさなんてその程度のものだ。
「それより手分けして役立ちそうなもん探そうぜ」
「ん」
『プルルッ!』
あんこもやる気十分といった様子で全身を大きく揺らしてみせる。
……お前は油断すると貴重な紙類まで片っ端から消化しそうだから、大人しく俺について来い。
玄関ホールから続く階段を上り、2階にある一番広い部屋——おそらく村長執務室兼書斎らしき場所の扉をそっと押し開ける。
「ビンゴ! 宝の山だぜ!」
そこも、道中で見かけた扉のない家や部屋と同様に荒らされてはいたものの、重厚なマホガニー製の大きな机や棚は、その堅牢さゆえか何とか原形を保っていた。
半開きになった引き出しの中や床の上には、羊皮紙の束が無造作に散らばっている。
これなら役立つ情報の一つや二つあるに違いない。高鳴る胸を抑えつつ、俺は床に落ちていた羊皮紙の一枚を拾い上げ、胸を躍らせて目を通した。
「あー……そういう感じね……」
――が、そこに躍っていたのは、幾何学模様とミミズがのたうったような形が組み合わさった、見たこともない文字の羅列だった。
形からして、手書きの簡略化された周辺地図や、日誌らしきものであることはなんとなく察せられる。しかし、肝心のテキストが何一つ解読できないのでは、どれほど貴重な情報が書かれていようとただの落書きと同義だ。
都合の良い自動翻訳チートなんてものは、俺の身には備わっていなかったらしい。
「……あんこ、お前、これなんて書いてあるか読めたりする?」
俺は足元でプニプニと気持ち良さそうに揺れている青い塊を見下ろし、ダメ元で羊皮紙を突きつけてみた。
『……プルン?』
「食べるな食べるな! 食いもんじゃねえよ!!」
羊皮紙の端が溶けていくのを見た瞬間、俺は慌てて紙を引き戻した。危うく大事な手掛かりが、あんこのオヤツとして消滅するところだった。
(差し出されたものを全部ごちそうと誤認される前に、何とかした方が良いな。今度また小春教官に降臨していただくか)
そんなことを考えていると、あんこが床に転がった黒くて四角い物体へと、触手を伸ばしていた。
よく見るとそれは俺のスマホ。さっきの勢いでズボンのポケットから滑り落ちたらしい。
「絶対食わせねえよッ!!」
間一髪、超人的な反応で手を伸ばし、あんこが触れる前にスマホの回収に成功。画面は割れておらず、見慣れたアイコン群が並んでいる。
「……いや、まさかな」
胸を撫で下ろすと同時に、俺の脳裏にバカバカしい考えが閃いた。
いくら何でもそんな上手い話があるはずがない。ネットが繋がるからといって、異世界の言語まで網羅されているわけがないのだ。
……しかし試すだけならタダである。
俺は半信半疑のまま、スマホの画面に並ぶアプリの中から、標準搭載されている翻訳アプリを起動。カメラのレンズを羊皮紙の奇怪なミミズ文字へと向け、スキャンボタンをタップした。
「ハハッ! 未知の言語なんて翻訳できるわけが……」
自嘲気味に呟きながらも、淡い期待を捨てきれず、待つこと数秒。
ピコン、という軽快な電子音とともに、画面に並んでいたミミズ文字の上に、信じられないほど鮮明で完璧な日本語が浮かび上がった。
『148紀、収穫の月。近頃、北の樹海より凶暴化したゴブリンの群れが出没するようになった。どうにか対処しているが、これ以上続くようなら要塞都市【グラザール】への避難も検討――』
「いや、できるんかいッ!!」




