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第27話 同じ場所なのに、土の色が違う理由

エリオットは、鉄箱から見つかった三年前の記録と、セリナから渡された一袋の石豆を携え、レヴィン村から王都へ向けて出発しました。


しかし、彼を呼び戻した正式な帰還命令には目的が書かれておらず、さらに差出人不明の黒い封書には、ヴァルターの指輪とよく似た蔓の紋様が刻まれていました。


そしてエリオットがまだ王都へ到着していない頃、王宮ではすでに誰かが動き始めています。


――殿下が戻ったことを、まだ国王陛下には知らせるな。


もちろんリディアは、そんな王都側の動きをまだ知りません。


彼女が翌朝も見ているのは、昨日と同じ薬草園の土と、ようやく芽吹き始めた小さな植物たちです。


けれど、その何気ない観察の中から、レヴィン村の土地について、これまでとは少し違う手がかりが見つかります。


エリオットが村を離れた翌朝、薄い雲の切れ間から差し込んだ朝日が薬草園の湿った土を淡く照らす中、私はいつもの記録帳を抱えて畑の入口へ向かっていた。


昨日までなら屋敷のどこかから聞こえていた護衛たちの足音も、朝食の席で交わされていたエリオットとカイの低い話し声もなく、村全体が普段より少しだけ広くなったように感じられる。


(いなくなれば静かになって楽だと思っていたのに、実際にいなくなると、少しだけ空気が足りないように感じるのだから不思議なものね)


そんな自分の感想へ心の中で苦笑しながら薬草園へ入ると、銀葉草を播いた区画の前にしゃがみ込んでいるセリナの後ろ姿が目に入った。


彼女は片膝を地面へつかないよう中腰になり、左腕で記録板を抱えたまま、右手の人差し指を空中へ浮かせて何かを一つずつ丁寧に数えている。


「七本目、八本目、それから端にもう一本あるから、やっぱり今朝見えている芽は全部で九本です」


私の足音にも気づかず数えている姿が面白くて、少し離れたところから黙って見ていると、ようやくこちらの影に気づいたセリナが肩を跳ねさせて振り返った。


「リディア様、そんなところで黙って見ていたんですか。せめて声くらい掛けてくれれば、もう少し格好よく数えたのに」


頬を少し赤くして記録板を胸元へ引き寄せた彼女へ、私は笑いを堪えながら銀葉草の区画を指差した。


「九本目まで数え終わるところから見ていたわ。それより、昨日までは何もなかったはずなのに、ずいぶん一気に出たのね」


「昨日の夕方にも確認しましたけど、その時には芽は一つもありませんでした。だから夜から今朝までの間に出た可能性が高いと思います」


セリナが自分からそこまで説明したことに少し驚き、私は彼女の隣へしゃがみながら、朝露を含んで黒っぽく見える土の表面へ目を凝らした。


確かに、播種した浅い溝から細い緑色の茎がいくつも顔を出しており、その先には二枚ずつの小さな子葉が、朝日を受けてゆっくり開き始めている。


「昨日の夕方には出ていなかったなら、発芽した時間帯はかなり絞れそうね。昨夜の気温と今朝の土の湿り具合も一緒に残しておきましょう」


私がそう言うと、セリナは満足そうに何度も頷き、膝の上へ記録板を置いて鉛筆を走らせ始めた。


ところが数文字を書いたところで彼女の手が止まり、さっきまでの嬉しそうな表情が少しずつ真剣なものへ変わっていく。


「でも、リディア様、この一番端の芽だけ、ほかの銀葉草と少し違って見えるんですけど、私の見間違いでしょうか」


そう言いながら、セリナは鉛筆の先で九本の芽のうち一番端に生えている一本をそっと示した。


私はすぐに答えず、彼女が指した芽と、その隣に生えている銀葉草らしい芽を交互に見比べる。


八本は細長い二枚の子葉を左右へ伸ばしているのに対し、その一本だけは子葉がやや丸く、茎の根元にも赤紫色の色味が混じっている。


さらに、銀葉草の種を撒いた溝から指二本分ほど外れた位置に生えており、偶然そこだけ種が転がったと考えるには少し不自然だった。


「私も違って見えるけれど、先にセリナの考えを聞きたいわ。どこを見て、銀葉草ではないかもしれないと思ったの?」


答えを教えずに尋ね返すと、セリナは少し困ったように眉を寄せながら、記録板に残していた銀葉草の芽の簡単な絵を確かめた。


しばらくすると、彼女は唇を軽く噛んだまま例の芽へ顔を近づけ、子葉、茎、土から出ている位置の順番でゆっくり視線を動かした。


「まず葉っぱがほかより丸いですし、茎の根元だけ赤っぽく見えます。それに、種を撒いた列から少し外れているのも気になります」


最後の言葉を口にした時、セリナの表情には、自分で違いを見つけられたことへの小さな自信が浮かんでいた。


「いい観察ね。私も今の三つが気になったから、銀葉草ではない可能性を考えておいた方がよさそうだと思うわ」


私がそう答えると、彼女は一瞬だけ嬉しそうに目を輝かせたものの、すぐに真剣な顔へ戻って小さな芽を見つめた。


「それなら、薬草園の邪魔になる前に抜いてしまった方がいいですか。それとも、何か分かるまでは残しておいた方がいいんでしょうか」


その質問に答える前に、私は自分の手を土へ伸ばしかけて止めた。


正体が分からないから抜くという判断は、畑を守るだけなら間違いではない。


けれど、分からないものをすぐ取り除いてしまえば、それが何だったのかは永遠に分からないままになる。


「今は抜かずに残しましょう。ただし増え方や周囲への影響が分からない以上、何でもそのまま放置していいという意味ではないわ」


私は一本だけ違う芽を指先で示しながら、触れない程度の距離を保った。


「まず正体を知って、それから残すのか、移すのか、抜くのかを決めましょう。分からないものを急いで処分すると、判断材料まで一緒になくしてしまうもの」


セリナはしばらく考えてから記録板へ《不明芽 一株》と書き、その下へ少し迷いながら《抜かず観察》と付け加えた。


私は何も直さなかった。


今のところ、それで十分だった。


◇


しばらくすると、小さな水桶を両手で抱えたノエルが薬草園へ姿を見せ、昨日の失敗を覚えているらしく、入口から走らずに札や播種区を確かめながら慎重に歩いてきた。


「今日は勝手に水をあげないで、ちゃんと聞いてからにします。だから、どこへ水を持っていけばいいか教えてください」


開口一番そう言った少年へ、セリナが呆れたように腰へ手を当てながら眉を上げた。


「昨日よりずいぶん賢くなったけど、その前に朝の挨拶を忘れてるよ。薬草より先に人へ挨拶しなさい」


ノエルは姉の顔と私の顔を交互に見てから、慌てて水桶を地面へ置き、少し照れくさそうに背筋を伸ばした。


「おはようございます。それと、昨日みたいに水をあげすぎないように、今日は土を見てから決めるようにします」


「おはよう。昨日より上手に歩けているし、水より先に土を見ることも覚えたなら、それだけでもかなり進歩しているわよ」


私がそう褒めると、ノエルは鼻の下を指で擦りながら、銀葉草の区画へ興味深そうな視線を向けた。


「芽がいっぱい出てるけど、全部同じ草なんですか。それとも、もう違うのが混じってるって分かったんですか」


「今のところ銀葉草らしいのは八本で、端の一本だけはまだ何か分からないの。だから、勝手に抜かないで観察することにしたよ」


セリナが答えると、ノエルは水桶を置いたまま姉の隣へしゃがみ、九本の芽を一つずつ目で追っていった。


「どれが違うのか教えてくれたら見比べるけど、できれば僕も自分で探してみたいから、先に答えを言わないでほしいな」


その言葉を聞いたセリナは、驚いたように目を瞬いたあと、私の方をちらりと見てから楽しそうに笑った。


「じゃあ、どれだと思うか自分で見てみて。葉っぱと茎と、生えている場所を順番に比べると分かりやすいと思うよ」


私は思わずセリナへ視線を向けた。


昨日まで私が彼女へしていたことを、今日は彼女が弟へ自然にやっている。


ノエルは眉間へ皺を寄せながら一つずつ芽を見比べ、やがて一番端の芽を指差した。


「これだけ葉っぱが丸いし、茎の下が赤い。それに、ほかより列から外れているから、この一本だと思う」


「正解だよ。私も最初は葉っぱだけ見てたけど、茎と場所まで見ると違いが分かりやすかったんだ」


セリナが満面の笑みで弟の肩を軽く叩くと、ノエルも嬉しそうに胸を張った。


私は少し離れた場所から二人を見つめながら、知識というものが人から人へ移る瞬間を見ているような気持ちになった。


薬草園を作った本当の意味は、植物より先に、こちらの方が育ち始めているのかもしれない。


◇


朝の確認を終えた頃、乾燥させた香り草を入れた籠を抱えたマーサ婆さんが薬草園へやって来た。


籠からは少し甘く青い香りが漂い、朝日を受けた乾燥葉が歩くたびにさらさらと小さな音を立てている。


「朝から三人で随分楽しそうに地面を覗いていますね。今度はどんな小さなものを見つけて、村中を巻き込むつもりなんです?」


マーサ婆さんが腰を曲げながら近づくと、ノエルが待っていましたと言わんばかりに不明芽を指差した。


「この一本だけ葉っぱと茎が違うんです。銀葉草じゃないかもしれないから、今は抜かないで観察することにしたんですよ」


自分が発見したように胸を張るノエルを見て、セリナが少し呆れながらも楽しそうに笑っている。


マーサ婆さんは籠を地面へ置き、膝へ両手を当てながらゆっくり腰を落とすと、不明芽を長い間じっと見つめた。


「この形はどこかで見た覚えがありますね。昔、この村の畑の端によく生えていた草に、かなり似ている気がします」


私はすぐに記録帳を開き、彼女の記憶を急がせないよう少し距離を取って待った。


「名前は覚えていますか。正式な呼び名でなくても、昔この村でどう呼んでいたか分かれば十分です」


マーサ婆さんは目を細め、何十年も前の景色を探すように顎へ指を添えた。


「正式な名前なんて知りませんよ。茎が赤かったから、皆で単純に《赤茎》と呼んでいました」


セリナが芽の根元へ視線を落とし、小さく頷いた。


「確かに赤いですね。村の名前って、難しい名前より見たままの方が覚えやすいのかもしれません」


「畑に生えてきたら抜いていた草なので、立派な名前を付けるほど大切にもしていませんでしたからね」


マーサ婆さんが肩をすくめる。


「どうして抜いていたのか覚えていますか。根が広がるのか、作物より大きくなるのか、それとも家畜に害があったのかを知りたいんです」


私がそう尋ねると、マーサ婆さんは乾燥葉の籠へ視線を落とし、一本だけ曲がっていた葉を指先で整えながらゆっくり答えた。


「根が横へ広がって作物の場所を取るので、畑では嫌われていました。それと山羊もあまり食べなかったように覚えています」


「家畜が避けた理由は、毒があるからなのか、苦いだけなのか、それとも匂いが嫌だったのかまでは分からないんですね」


私が確認すると、マーサ婆さんは自信がないことを示すように首を横へ振った。


「そこまでは分かりません。昔の人間は、山羊が食わないなら人間も食べなければいいくらいに考えていましたからね」


私は《家畜が避ける可能性・理由不明・要確認》と書き込み、確かな事実と昔の記憶が混ざらないよう印を付けた。


「赤茎は、村のどの辺りに一番多く生えていたか覚えていますか。場所が分かれば、成長した株を見つけられるかもしれません」


マーサ婆さんはしばらく考えたあと、薬草園の北西に広がる草地の向こうへ視線を向けた。


「古い西畑なら、今でも残っているかもしれません。昔は麦や豆を作っていましたが、長い間使っていない場所です」


「どうして使わなくなったんですか。北畑の異常が強く出るより前から、もう収穫が落ちていたんでしょうか」


私の質問に、マーサ婆さんはすぐには答えず、少し寂しそうな顔で籠の縁を指先でなぞった。


「三年前よりもっと前から、少しずつ採れる量が減っていました。最後には何を植えても弱々しくしか育たなくなって、それで諦めたんです」


三年前より前。


その言葉に、私は握っていた鉛筆を止めた。


北部特別処分区が本格的に使われた時期だけを中心に考えていたが、土地の衰弱がそれ以前から始まっていたとすれば、原因は一つではない可能性が高くなる。


「マーサさん、その西畑まで今日行けますか。赤茎だけじゃなく、土の状態も一緒に見ておきたいんです」


私が記録帳を閉じながら立ち上がると、マーサ婆さんは私の顔を見てから、予想どおりだったというように苦笑した。


「そう言うと思っていましたよ。だから今日は薬草を干したら暇にしておこうと思っていたんです」


◇


村の西側へ続く細い道を歩いていくと、家々の数が少しずつ減り、代わりに腰ほどの高さまで伸びた草と、長い間使われていない石垣が目立つようになった。


秋へ向かい始めた風が草の穂を一斉に傾けるたび、緑と薄茶色の波が丘の斜面をゆっくり流れていくように見える。


先頭を歩くマーサ婆さんは杖代わりの木の棒で草を避けながら進み、その後ろを私とセリナ、そしてどうしても来ると言って聞かなかったノエルが続いていた。


「この辺りまで来ると、家がほとんどないんですね。昔は畑がもっとたくさんあったって聞いたけど、全部この草の下にあるんですか」


セリナが周囲を見回しながら尋ねると、マーサ婆さんは立ち止まらず、草の向こうへ木の棒を大きく動かした。


「昔はこの丘の向こうまで畑が続いていましたよ。今見えている草原の半分くらいは、人が耕さなくなった畑です」


「畑って、使わなくなると本当に草原へ戻るんですね。道も畝も、言われなかったら全然分からないです」


ノエルが半分土へ埋もれた石を蹴らないよう避けながら驚いた顔をする。


「だから記録がなくなると、昔どこで何を作っていたかまで分からなくなるのよ。土地は残っていても、人の記憶だけ先に消えることがあるもの」


私がそう答えると、マーサ婆さんが少しだけ振り返り、どこか寂しそうに笑った。


「そういう意味では、あなたの書きたがりも役に立つんでしょうね。昔のわしたちは、覚えていれば十分だと思っていましたから」


しばらく歩いたところで、マーサ婆さんが低い石垣の前に立ち止まり、その向こうに広がる草地を木の棒で示した。


「ここが西畑です。あの大きな木の辺りまで、昔は全部作物を植えていました」


言われなければ、畑だったとは気づけない。


崩れかけた低い石垣と、半分土へ埋まった古い杭、そして草の間に残るわずかな畝の起伏だけが、かつてここに人の手が入っていたことを示している。


私はその場へしゃがみ、草の間から表面の土を少しだけ掘り出した。


薬草園より白く、乾いていて、指先で押しても簡単には崩れない。


「今の北畑ほどではないけれど、かなり硬いですね。表面だけじゃなく、その下も確認した方がよさそうです」


そう言って少し深い部分を見ようとした時、数歩離れた場所からノエルの声が飛んできた。


「リディア様、こっちだけ土の色が全然違うんですけど、これも見た方がいいですか」


振り返ると、ノエルは草を踏み荒らさないようその場へしゃがみ込み、両手を使わず指だけで地面を示している。


「触らずに待っていてくれたなら助かるわ。今そっちへ行くから、そのまま場所だけ覚えておいて」


私が近づくと、確かに周囲の白っぽく乾いた土とは明らかに違う場所が、人が両腕を広げた程度の範囲だけ残っていた。


そこだけ土の色が黒く、周囲より背の高い草が密に生え、指を入れると表面から数センチ下まで柔らかさとわずかな湿り気が残っている。


セリナも私の横へしゃがみ、左右の土を少量ずつ別の手に取って見比べた。


「同じ畑なのに、こっちの黒い土だけ柔らかいです。握ると少し固まるけど、白い方はすぐ崩れてしまいます」


「いい比較ね。見た目だけじゃなく、触った時のまとまり方にも差があることを記録しておきましょう」


私がそう言うと、セリナは汚れた指先を気にせず、記録板へすぐに書き始めた。


「マーサさん、この場所だけ昔何かしていた記憶はありますか。畑全体ではなく、この狭い一角だけ土が違う理由を探したいんです」


私が尋ねると、マーサ婆さんは黒い場所を見つめたまま長い間黙り込み、やがて何かを思い出したように目を細めた。


「ここは昔、小さな堆肥置き場だったかもしれません。家畜小屋から出た藁や糞を、畑へ撒く前に積んでいた場所が何か所かありましたから」


「最後に使っていたのは、どのくらい前か覚えていますか。三年前の処分区よりもっと前なら、比較する価値がありそうです」


「十五年くらい前までは使っていたと思います。その後は家畜も減って、堆肥そのものを作る量が少なくなりましたね」


セリナは黒い土を見ながら、少し不思議そうに首を傾げた。


「十五年前の堆肥がそのまま残っているわけじゃないですよね。それなのに、どうして今でも土が違うんですか」


「堆肥そのものが残っているというより、長い間有機物が入ったことで土の構造や、そこに住む小さな生き物の状態が変わった可能性があるわ」


私は黒い土を指先でほぐしながら、周囲に混じる細かな枯れ草の欠片や、分解しかけた根を観察した。


「土は砂や石だけでできているわけじゃないの。枯れた植物、根、虫、目に見えない微生物、それらが長い時間をかけて混ざっているものなのよ」


ノエルは自分の足元を見下ろし、少し困ったような顔をした。


「目に見えない生き物がそんなにいるなら、僕たちずっと踏んでることになりますけど、それは大丈夫なんですか」


「そこまで気にしたら歩けなくなるから、普通に歩いて大丈夫よ。ただ、土の中にも生き物がいるって覚えておけば十分だわ」


私が笑うと、ノエルも少し安心したように足元から視線を上げた。


◇


私は鞄から小さな布袋を四枚取り出し、黒い場所の中央、黒と白の境界、外側の白い土、そしてさらに離れた白い場所から、それぞれ混ざらないよう慎重に土を採取した。


セリナは採取するたびに場所と土の色を記録し、ノエルは後から同じ場所を確認できるよう小石を並べ、マーサ婆さんは昔の畑の姿を思い出すように周囲を見渡している。


「帰ったら何を比べるつもりなんですか。土の色だけなら、もうここでも違うことは分かりますよね」


セリナが袋へ番号を書きながら尋ねた。


「色以外も比べたいの。水の染み込み方、乾き方、握った時のまとまり方、それから同じ種を植えた時の育ち方まで見れば、違いがもっとはっきりするかもしれないわ」


「それなら、四つの土へ同じ数の種を植えて、同じ量の水をあげれば比べられますよね」


セリナが少し前のめりになって提案すると、私は思わず彼女の顔を見た。


「いい考えね。ただ、石豆はまだ貴重だから、最初はもっと数がある草の種を使って、小さく試す方がよさそうだわ」


「失敗しても困らないようにするんですか。それとも、次の試験を続けられるだけ種を残しておくためですか」


「後者ね。失敗してもいいわけじゃなくて、失敗しても次を試せる余裕を残すことが大事なの」


セリナはその言葉を一度頭の中で反芻するように小さく頷き、自分の記録板へ短く書き留めた。


◇


土を採り終えたあとも私は黒い場所の周囲を歩き、そこに生えている植物を一種類ずつ確認していった。


すると、薬草園で今朝見つけたものとよく似た赤い茎を持つ植物が、黒い土と白い土の境界付近へ集中して生えていることに気づいた。


「マーサさん、この草を見てもらえますか。薬草園に出た芽と特徴がかなり似ている気がします」


私が一株の前へしゃがみ、葉の形を確認してから手招きすると、マーサ婆さんは腰へ片手を当てながらゆっくり近づいた。


「ええ、これが赤茎で間違いないと思います。大きくなると、こんなふうに茎が赤紫色になって葉が横へ広がるんですよ」


薬草園の小さな芽とは違い、こちらは私の膝ほどまで伸び、赤紫色の茎から丸みを帯びた葉を何枚も広げている。


私は木片を使って葉の裏側を持ち上げ、虫食いや斑点、葉裏の毛などを一つずつ確認した。


「食べられた跡がほとんどないですね。これだけ周りに虫がいるのに葉がきれいなら、何か避けられる理由があるのかもしれません」


「山羊も食べなかった記憶があるなら、匂いや苦味、あるいは別の成分が関係している可能性もありますよね」


セリナが少し距離を取ったまま、慎重に葉を観察している。


「そうね。ただし毒と決めるのはまだ早いわ。食べられない理由が一つとは限らないから、今は触れたあとの手を口へ持っていかない程度で十分よ」


私は赤茎の根元へ視線を移し、その周囲だけ土がわずかに黒っぽいことに気づいた。


「セリナ、この株の周りと、少し離れた場所の土を見比べてみてくれる?」


彼女はすぐにしゃがみ込み、二か所の土を触らず目だけで確認してから、慎重に答えた。


「赤茎のすぐ周りだけ、少し黒いように見えます。でも、この草が土を黒くしたのか、黒い土だからここに生えたのかは分かりません」


私は思わず笑った。


「その通り。原因と結果を反対にしないことが大切なの」


セリナは少し誇らしそうに頬を緩めながら、記録板へ《赤茎・旧堆肥置き場周辺に多い・土壌色との関連は未確認》と書いた。


さらに少し考えたあと、彼女は自分から一行を追加した。


《見つけた順番と、起きた順番は同じとは限らない》


私はその一文を見て、思わず彼女の肩を軽く叩いた。


「とてもいい言い方ね。そのまま残しておきましょう」


◇


帰り道では、四つの土袋を私とセリナで半分ずつ持ち、ノエルは目印用に拾った小石をなぜか十個も両腕へ抱えていた。


「そんなに石を持ち帰って何に使うつもりなの。次の調査で必要になっても、その辺りにいくらでもあるでしょう」


セリナが呆れたように尋ねると、ノエルは落とさないよう顎まで使って石を押さえながら真剣な顔で答えた。


「今日どの石を使ったか分かる方がいいと思ったんだ。それに次も目印が必要なら、同じ石を使った方が分かりやすいかもしれないでしょ」


私は思わず笑った。


「その考え方なら持って帰っていいわ。ただし、自分で最後まで運びなさいよ」


「リディア様まで甘やかしたら、そのうち部屋が石だらけになりますよ」


セリナが困ったように肩をすくめる。


「研究者は使うかもしれない物を拾ってしまうものだから、ノエルの気持ちは少し分かるのよ」


そう答えながら、私は自分の研究室が物で埋まっていた前世の記憶を思い出し、そこだけは黙っておいた。


丘を下る前に一度振り返ると、古い西畑の白い土の中に、一か所だけ植物が濃く育つ黒い小さな範囲がはっきり見えた。


もしあの違いが、昔入れられた有機物や微生物、あるいは土そのものの構造によって今まで残っているのだとしたら、この村の土地は完全に死んだわけではない。


全部の土を入れ替えるのではなく、残っている良い状態を手がかりにして、土そのものを育て直す方法があるかもしれない。


胸の奥に期待が膨らみかけたところで、私は意識してそれを押さえた。


まだ一か所見ただけ。


今あるのは答えではなく、仮説の種だ。


「リディア様、さっきから西畑を見てますけど、何か分かったんですか」


セリナが振り返る。


「分かったというより、確かめたいことが増えたの。帰ったら四つの土を使って、同じ条件で比べてみましょう」


私がそう答えると、セリナは楽しそうに頷き、再び土袋を抱え直して村へ続く道を歩き始めた。


◇


午後になると、薬草園の端へ同じ大きさの木箱を四つ並べ、採取してきた土を同じ深さになるよう慎重に入れていった。


セリナが土の量を揃え、ノエルが札を書き、私は水の量を量るための器を四つ準備する。


《A 黒土中央》


《B 境界》


《C 白土》


《D 離れた白土》


最後の札だけ文字が逆向きになっていることに気づいたセリナが、吹き出しながら弟の手元を指差した。


「ノエル、そのDだけ反対向きだから、後で見た人が何の箱か分からなくなるよ。ちゃんと同じ向きで書き直して」


「僕は読めるから大丈夫だと思ったけど、みんなが見るなら書き直した方がいいか。じゃあ今度はセリナが見ても分かるようにするよ」


「最初から私でも分かるようにしてよ」


二人のやり取りを聞きながら、私は四つの器へ同じ量の水を注ぎ、各箱の土ができるだけ同じ状態から始められるよう位置を整えた。


「今日はまず水の染み込み方だけを見ます。順番や量を変えたら比較できなくなるから、四つとも同じ量を同じ速さで入れるわよ」


三人で合図を合わせ、四つの箱へほぼ同時に水を流し込む。


黒い土は水を受けたそばからゆっくり表面へ吸い込み始める一方、白い土では水がしばらく表面に留まり、薄い光を反射して小さな水溜まりを作った。


ノエルが目を丸くし、箱へ顔を近づけようとして、セリナに肩をつかまれて止められる。


「本当に全然違うんだね。同じ量の水なのに、黒い方はもう見えなくなってるのに、白い方にはまだ水が残ってる」


「だから触らないで見ていようね。せっかく同じ条件にしたのに、指で混ぜたら今まで準備した意味がなくなるから」


セリナが姉らしい口調で言い聞かせると、ノエルは渋々ながら両手を膝の上へ置いた。


私は砂時計を箱の横へ置き、それぞれの水が表面から見えなくなるまでの時間を記録していく。


「一回だけ違いが出ても、それだけでは結論にはできないわ。明日もう一度、できればその次の日にも同じことをして、似た結果が続くか確かめます」


私がそう説明すると、セリナは記録板へ時間を書きながら頷いた。


「同じことを繰り返して、何度も同じ差が出たら、その土には本当に違いがある可能性が高くなるんですね」


「そういうこと。逆に明日は全然違う結果になるなら、今日のやり方に何か問題があった可能性も考えないといけないわ」


ノエルは四つの箱を順番に見ながら、不思議そうに眉を寄せた。


「同じ結果が出ても大事で、違う結果が出ても面白いなら、研究ってずっと終わらないんじゃないですか」


私はその言葉に少し笑った。


「その通りかもしれないわ。でも、昨日より一つでも分かることが増えれば、それで前へ進んでいるのよ」


◇


夕暮れが近づく頃には最初の比較が終わり、黒い土は水の浸透が早く、白い土は明らかに遅いという結果が記録に残った。


ただし一回目である以上、私は結論を出さず、記録帳の上へ大きく《第一回》と書いて線を引いた。


「明日も同じ量の水で、同じ順番にやるんですよね。今日と違う結果になったら、その違いも全部記録するんでしょう?」


セリナが道具を片づけながら尋ねる。


「ええ。むしろ違う結果が出た時ほど、今日と何が違ったかを探す価値があるわ」


「それなら私は、明日は土の表面が乾いているかどうかも先に書いておきます。最初の状態が違ったら、水の染み込み方にも影響しそうだから」


その提案を聞いて、私は少し驚きながら彼女の顔を見た。


「それも書いておきましょう。セリナの方から条件を確認する項目が増えるようになってきたわね」


褒められた彼女は少し照れたように耳へ髪を掛け直しながら、それでも嬉しそうに記録板を胸元へ抱えた。


◇


夜、私は机へ向かい、今日の観察と簡易試験を一つずつ整理していった。


《旧西畑》


《周囲 白色・硬質土》


《旧堆肥置き場と推定される一角のみ黒色》


《黒色部で植生密度が高い》


《赤茎 境界付近に複数確認》


《簡易浸透試験 第一回》


《黒土 浸透早》


《白土 浸透遅》


まだ分からない。


けれど、一つだけ重要なことが見えてきた。


《土壌異常は村全域で均一ではない可能性》


私はその一文を四角く囲んだ。


今まで私は、枯れた村という大きな一つのまとまりで土地を見ていた。


でも同じ畑の中ですら、一歩違えば土の色も、水の染み込み方も、植物の育ち方も違う。


なら、原因は一つではないかもしれない。


そして回復方法も。


一つである必要はない。


次の頁へ《仮説》と書き、その下へ慎重に文章を続ける。


《過去の有機物投入が、現在の土壌構造・保水性・浸透性に影響している可能性》


最後には必ず疑問符を付ける。


さらに、《赤茎との因果関係は不明・追加観察必要》と記し、今日はそこまででペンを置いた。


王都では、人間が消そうとした記録をエリオットが探す。


この村では、土が何年も残していた記録を私が読む。


やっていることは。


思ったより。


似ているのかもしれない。


(エリオット、そっちはそっちで、ちゃんと見落とさないで調べなさいよ)


そんなことを考えながら窓を閉め、私は少しだけ笑った。


(こっちは私が調べるから)


◇


――その頃。


王都へ続く街道沿いの小さな宿場では、夜になって降り始めた雨が古い屋根を細かく叩き、薄暗い客室の中へ一定の音を響かせていた。


エリオットは一人、机の上へ差出人不明の黒い封書を置き、その反対側にはセリナから渡された石豆の袋を並べていた。


一方は王都から届いた警告。


もう一方は辺境から渡された約束。


その二つの間に置かれた鉄箱の鍵を指先で転がしながら、彼は何度目か分からないほど黒い蔓の印を見つめていた。


その時、客室の扉が三度、一定の間隔を置いて静かに叩かれた。


「この時間に用があるなら名前を名乗れ。返事がないなら、こちらから扉は開けないぞ」


エリオットが低い声で告げても、廊下側から返事はない。


彼は椅子から音を立てずに立ち上がり、腰の剣へ片手を添えながら扉の横へ移動した。


護衛を呼ぶための紐を引き、廊下に複数の足音が近づいてくるのを確認してから、ようやく扉をわずかに開く。


廊下には誰もいない。


ただし。


床には一枚の紙が置かれていた。


「殿下、そのまま触れないでください。毒や粉が塗られている可能性もありますから、こちらで先に確認します」


駆けつけた護衛がそう言いながら布を取り出すと、エリオットは一歩後ろへ下がり、紙そのものではなく周囲の床や窓の位置へ鋭い視線を走らせた。


「宿の裏口と厩舎を確認しろ。ただし客を騒がせるな。今ここで騒ぎを起こすことが相手の狙いという可能性もある」


護衛が二人に指示を飛ばす間、布越しに持ち上げられた紙が机の上へ置かれる。


書かれていた文章は。


たった一行。


《王都へ入る前に、北部特別処分区に関する原本をすべて破棄されたし》


エリオットの表情から、先ほどまで残っていた疲労の色が消え、代わりに冷たい警戒だけが残った。


紙の下部には。


小さな。


黒い蔓の印。


「殿下、王都から届いたあの封書と同じ印に見えますが、これは命令ではなく明らかに脅しに近い内容です」


護衛が緊張した声で言うと、エリオットは紙へ触れず、その一行を何度も目で追った。


「いや、むしろ助かった。これで少なくとも、誰かが原本の存在を把握していて、私が王都へ持ち帰ることを恐れていると分かった」


「それでは予定を変えて、別の道から王都へ入りますか。それとも、ここから王家へ早馬を出して護衛を増やしますか」


護衛の問いに対し、エリオットはすぐには答えず、机の上に置いてある石豆の袋へ一瞬だけ視線を落とした。


小さく試す観察する。記録する。原因を考える。嫌になるほど聞かされた言葉が。


頭へ浮かぶ。


「予定は変えない。ただし、原本は一か所にまとめて運ばないよう今夜のうちに分ける。それから、この紙も証拠として保存する」


護衛が驚いたように眉を上げた。


「原本を分けるのですか。もし一部を奪われても、残りが残るようにするということでしょうか」


「そうだ。それに写しも別便で送る。ただし通常の王宮文書局は使わない。今の段階では、どこまで信用できるか分からないからな」


エリオットはそう答えながら、机の端へ置かれていた石豆の袋を手に取り、無意識に掌の中で一度だけ転がした。


「全部を一度に預けるな、か。辺境で聞かされた話が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった」


その口元へ一瞬だけ苦笑が浮かんだものの、すぐに表情は引き締まった。


「王都へは予定どおり入る。ただし、向こうが私を待っているなら、こちらも何を見せるかはこちらで決める」


窓の外では雨脚がさらに強くなっている。


王都まではあと一日そして今エリオットはようやく理解し始めていた。


自分は王都へ呼び戻されたのではない。


誰かが自分を王都へ戻したがっている。


その違いを確かめなければならなかった。




第27話を読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、銀葉草の中に混じった一株の《赤茎》をきっかけに、リディアたちは長く使われなくなっていた西畑へ向かいました。


そこで見つけたのは、枯れたように見える白い土の中に残っていた、ほんの小さな黒い一角です。


昔、堆肥を置いていた可能性がある場所だけ、土は柔らかく、水の染み込み方も周囲とは違い、植物も少し元気に育っていました。


まだ一度の簡易実験しか行っていないため、リディアは結論を出していません。


けれど、


**「レヴィン村の土は、すべて同じように壊れているわけではない」**


という重要な手がかりが見つかりました。


そして今回、もう一つ大きく変わったのはセリナです。


リディアから答えを聞くのではなく、自分で銀葉草との違いを見つけ、さらに同じ方法でノエルへ考えさせるようになりました。


知識が、リディア一人だけのものではなくなり始めています。


一方、王都へ向かうエリオットのもとには、新たな警告が届けられました。


**《王都へ入る前に、北部特別処分区に関する原本をすべて破棄されたし》**


そして、その紙にも再び黒い蔓の印が刻まれていました。


エリオットは、ようやく一つの事実へ気づき始めています。


彼は単純に王都へ「呼び戻された」のではない。


誰かが、彼を王都へ「戻したがっている」。


その二つは似ているようで、大きく違います。


次回、第28話では、レヴィン村では四種類の土を使った比較試験をさらに進め、リディアが**「土を元に戻す」のではなく、「植物と有機物を使って土を育て直す」**という考えへ進み始めます。


そして王都では、エリオットが城門をくぐった直後、**本来なら彼の帰還を知らないはずの人物**が先回りして待っていることになります。

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