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王女の護衛に潜り込んだら、なぜか溺愛されています〜銀髪密偵と変人王女の新大陸遠征〜  作者: 白保仁


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第五話

 フィアがカトレアの護衛についてから、一週間が過ぎた。


 人手不足もあって、休みらしい休みはほとんどない。まだ大きな危険は起きていないが、王女付きの護衛である以上、警戒を解くわけにもいかなかった。カトレアは王宮の外へ出ることがほとんどなく、フィアもまた王宮内に泊まり込む生活を続けていた。


 もっとも、王宮の中にいるからといって暇なわけではない。カトレアは戦時には軍を率いていたが、戦後の再編で軍部の第一線からはいったん退き、いまは新大陸遠征の総指揮を執っている。遠征隊の編成、物資の手配、飛行船の整備計画、各所との折衝。机の上にはつねに書類が積まれ、ひっきりなしに役人たちが出入りしていた。


 とはいえ、カトレアは王族だ。彼女の方から役人たちの執務室へ出向くことは少なく、打ち合わせの多くは応接間へ相手を呼ぶ形で行われていた。フィアはその傍らで黙って控えながら、役人たちの顔と名前、話し方や立場を頭に叩き込んでいく。


 その一方で、カトレアは騎士団にも顔を出していた。遠征にあたって人員を借りる以上、その調整も必要なのだろう。だが、フィアにはそれだけが理由には見えなかった。王宮の奥で書類に埋もれているだけでは、どうにも性に合わないのだろう。


「書類仕事ばかりでは、身体が鈍るからな」


 カトレアはそう言って笑い、訓練場に立つと自ら模擬剣を手に取った。


 王女自ら訓練に混ざる姿に、騎士たちの空気がわずかに変わる。フィアも初めてまともにカトレアの剣技を目にしたが、たしかに見事だった。速さも鋭さもあるが、それ以上に迷いがない。力任せでも、見せかけの派手さでもなく、積み重ねた技と実戦の匂いがあった。英雄と呼ばれるのも伊達ではないらしい。


 戦後の再編で、王国軍はそのままの形では残らなかった。一部は治安隊として占領地へ送られ、治安維持や反乱鎮圧を担っている。残りは騎士団へ吸収され、王国内の守備に回された。つまり、この訓練場には、もともとの騎士団員と旧王国軍の出身者が混ざっていることになる。


 そのせいか、騎士たちの反応は一様ではなかった。カトレアの姿に目を輝かせる者もいる。あからさまではないが、どこか距離を取って眺めている者もいる。崇拝に近い視線もあれば、割り切れない感情を押し隠したような視線もある。


「フィア殿も、ひとついかがです?」


 声をかけてきたのは、騎士団員のひとりだった。顔には穏やかな笑みを浮かべている。だが、目は少しも笑っていない。新しくついた護衛がどれほどのものか、自分の目で測ってやろうという顔だった。


「護衛中ですので」


 面倒を避けるように断ろうとしたが、


「いいじゃないか、フィア」


 カトレアが楽しそうに口を挟んだ。


「これだけ騎士がいるんだ。今この場で私が襲われることもあるまい」


 主人にそう言われてしまえば、さすがに断りづらい。フィアは内心で小さく息をつき、差し出された模擬剣を受け取った。最近、模擬剣ばかり握っている気がする。普段使いの短刀とは勝手が違うが、扱えないわけではない。


 あまり手の内をさらすのも良くない。だが、ここで舐められすぎても、その後の動きに支障が出る。手の内をさらすことより、軽く見られることの方が厄介な場合もある。


 フィアは模擬剣を握り直し、相手と向き合った。


 相手の構えには、わずかな緩みがあった。見た目だけで侮ってくる相手なら、話は早い。


「始め」


 合図を出したのはカトレアだった。


 その声と同時に、フィアは地を蹴った。一気に間合いを詰め、狙うのは胴ではなく持ち手。相手は慌てて受けたが、体勢がわずかに崩れる。そこへ間を置かず二撃目を叩き込む。模擬剣が相手の剣を弾き、指先が泳いだ。


 次の瞬間には、フィアの剣先が相手の首筋の前でぴたりと止まっていた。


「……参った」


 騎士が苦笑混じりに降参する。フィアはすぐに剣を引き、軽く礼をして下がった。


「さすが私の護衛だ。かわいいだけではなく、強い」


 カトレアが楽しげに拍手する。騎士たちも、それにつられるようにまばらな拍手を送ってきた。少なくとも、これで舐められることは減るだろう。


 だが、その空気の変化もまた均一ではなかった。面白そうに笑っている者もいれば、露骨に顔をしかめる者もいる。歓迎されているのか、警戒されているのか、その両方なのか。どうやら騎士団の中にも、かなり複雑な力学があるようだった。


 旧王国軍の中でも親カトレア派と見られていた者たちは、戦後の再編で各地の治安隊へ回されることが多かったらしい。いっぽう王都に残った騎士団は、もともと国王直下の軍に近い立場で、実際の人事には宰相の意向が強く働いている。現騎士団長もまた宰相寄りだという。


 もちろん、騎士団の全員がそうというわけではない。カトレアに好意的な者もいるだろう。だが少なくとも、ここを丸ごと味方と思ってしまうのは危うい。カトレアはどこか古巣に戻ったような顔をしていたが、フィアからすれば、騎士団もまた慎重に見極めるべき場所だった。


※※※


 そんなわけでフィアは、カトレアの私室か、それに隣接する応接間、あるいは詰め所と同じ区画に用意された自室を行き来する日々を送っていた。もちろん休みの時間に王宮を出て家へ戻ることもできたが、いまの勤務の詰まり具合では、戻ってもろくに休めないだろう。


 珍しく、その日の午後に見慣れない侍女が現れた。マルタと同じ白を基調とした侍女服だが、裾には銀糸の刺繍が施されている。佇まいもどこか洗練されていて、マルタよりさらに隙がない。ただ、その顔立ちは整っているのに、印象は妙に冷たかった。無表情で、事務的ですらある。


「カトレア様。陛下がお呼びです。お手数ですが、これより謁見の間へお越しいただけますか」


 カトレアはほんの一瞬だけ眉をひそめた。だが、すぐにいつもの笑顔へ戻る。


「報告ありがとう。ずいぶん急だな。だが、すぐに向かおう」


 カトレアと国王の関係は、フィアにはまだよくわからない。だが事前の知らせもなく、忙しいカトレアを突然呼びつけるのは少し不自然にも思えた。もっとも、フィアにできるのはついていくことだけだ。仮に何かの思惑があったとしても、国王との謁見中にあからさまな襲撃があるとは考えにくい。


 フィアはカトレアの後ろについた。


 謁見の間は、カトレアの私室からさらに奥まった場所にある。進むにつれ人の気配は薄れ、空気はひどく静かになっていった。廊下は広く、磨き上げられた大理石の床が淡く光っている。この王宮の中でも、とりわけ格式の高い場所なのだと自然に伝わってきた。


 やがて重厚な扉の前にたどり着く。侍女が扉を開くと、その先には広々とした空間が広がっていた。奥には豪奢な玉座が据えられ、その上に国王――ヴィルヘルム・アルヴェインが座している。


 ヴィルヘルムはまだ五十を過ぎたばかりのはずだが、白い髭のせいか、それ以上に老いて見えた。金髪には白髪が混じり、顔には深い皺が刻まれている。だが、目だけは依然として鋭い。長く戦乱の時代を生き抜いた王の目だった。


 壁際には、ルシアンと、もう一人見慣れない壮年の男の姿があった。五十手前ほどだろうか。いかめしい顔立ちで、立っているだけなのに圧がある。誰かはわからない。だが、ここに当然のように控えている以上、重要人物なのは間違いなかった。


 背後で扉が閉じる音がした。侍女は壁際へ下がる。広いはずの謁見の間が、急に息苦しく感じられた。


 フィアは背筋を伸ばし、カトレアのすぐ後ろに一歩下がって位置につく。カトレアは歩みを止めず、玉座の前へと進んでいった。


「お呼びいただきありがとうございます、父上」


 カトレアは膝をつかず、軽く頭を下げた。ヴィルヘルムは無言でそれを受け止める。しばらく沈黙があり、その間の空気はひどく重かった。


「新大陸遠征の準備は順調か」


「はい。いまのところ、予定通りに進んでおります」


「予定通り、か」


 ヴィルヘルムは短く繰り返した。その声は低く、感情がほとんどなかった。玉座に座る王と、その前に立つ王女。父と娘というより、王と臣下の対面に近い。二人の間には、そう思わせるだけの距離があった。


「宰相より進言があった」


 そう言って、ヴィルヘルムの視線が壁際の壮年の男へ向かう。


「遠征計画の一部を見直すべきではないか、とな」


 エドガーの名はフィアも聞いたことがあった。エドガー・ファルケン。宰相を務める男であり、アストレイン王国の内政の頂点に立つ人物だ。フィアは改めて、その男を観察する。


 灰色の髪をきっちり撫でつけ、濃い色の礼服を隙なく着こなしている。目は深くくぼみ、その奥に静かな光があった。何を考えているかは読めない。だが、一筋縄ではいかなそうな男だった。


 エドガーは一歩前に出ると、深く一礼した。


「恐れながら、殿下。今回の遠征、その責任者を再考されるべきかと存じます」


「責任者を?」


 カトレアの声は穏やかだった。だが、フィアにはその奥で空気がわずかに硬くなったのがわかった。


「はい。新大陸遠征は王国の未来を懸けた大事業。だからこそ、慎重でなければなりません」


 エドガーは丁寧に言った。あくまで国のためを思っている、という顔だった。


「ふふ。私では力不足ということかな。確かに、ルシアンは優秀だ」


 カトレアは軽く笑った。だが、視線はエドガーから外さない。ルシアンがそこで、ほんのわずかに眉を動かした。


「カトレア姉上。エドガー殿は、そういう意味で申しているのではありません」


 穏やかな声だった。だが、どこか冷たい。フィアには、その真意が読めなかった。


「カトレア殿下は王国の象徴であらせられます」


 エドガーが言葉を継いだ。その視線は真っ直ぐカトレアを捉えている。


「長き戦乱は終わりました。民はいま、ようやく安心を得ようとしている。その象徴たる殿下が大陸を離れれば、不穏分子に余計な隙を与えかねません」


 言っていること自体は、間違っていないようにも思える。戦後の王国で、カトレアの名が民や兵に大きな意味を持つのは確かだ。だが、言葉の端々にあるものは、純粋な心配とは少し違っていた。ヴィルヘルムは静かに話を聞いているだけで、口を挟むつもりはないようだった。


「それを言うなら、ルシアンも内政の要だろう。若い文官たちからの信頼も厚いと聞く。ルシアンが国を離れて大丈夫なのかな」


「ルシアン殿下もまた、国に必要なお方です。ですが、民の目が最も強く向いているのは、華々しく戦場で功を立てられたカトレア殿下でございましょう」


「なるほど。私は飾っておいた方が役に立つ、というわけか」


 カトレアは笑みを浮かべたままだった。だが、その笑みは少しも柔らかくない。


「新大陸では何が待っているかわからない。交渉で済めばそれが一番だ。だが、そうならなかったとき、誰が責任を負う? ルシアンは優秀だ。だが、軍を率いた経験はない」


「そもそも、初回遠征は調査と偵察が目的でございます。現地民がいるならば、剣ではなく交渉によって道を開くべきでしょう。その点において、ルシアン殿下の柔和な才は、むしろ適任かと」


 フィアは黙って二人のやり取りを聞いていた。


 おおよその構図は見えてきた。エドガーは、ルシアンを遠征責任者に押し上げたいのだろう。今回の遠征が成功すれば、責任者であるカトレアの名声はさらに決定的なものになる。すでに次期国王に推す声があるという彼女に、これ以上の功績を重ねさせたくない。そう考える者がいても不思議ではなかった。


 少なくとも、エドガーが案じているのは遠征そのものだけではない。遠征の手柄が誰のものになるかを気にしている。そしてそのために、カトレアを王宮に押さえつけようとしている。丁寧な言葉で国の未来を語りながら、その実、遠征の手綱を奪おうとしているのだ。


「ルシアンの力が必要だということは、私も理解している」


 カトレアは言った。


「だからこそ同行を認めている。なにも、すべて私一人でどうにかしようとしているわけではない」


「であればこそ、役割を分けるべきではありませんかな。カトレア殿下は王国に残り、民の不安を鎮める。ルシアン殿下が遠征を率い、未知の地と交渉する。実に理にかなった形かと」


「理にかなっている?」


 カトレアの声がわずかに低くなった。


「私はすでに軍から引いた身だ。大陸の治安は治安隊と騎士団が担う。それでもなお、私が王都に残らねば民が落ち着かないというのなら、それは治安の問題ではなく、王宮の信頼の問題だろう」


 エドガーの目が、ほんのわずかに細くなる。


「しかし、殿下」


「それに」


 カトレアは言葉を重ねた。


「私が遠征に行かず、ルシアンや臣下たちだけを未知の大陸へ送り出し、そこで何かあったとする。そのとき私は、一生悔やむだろう」


 そこで一度、言葉を切る。


「王族とは、安全な場所に残って命じる者のことではない。少なくとも私は、そう思っている」


 謁見の間が静まり返った。エドガーとヴィルヘルムは表情を変えなかった。ただルシアンだけが、一拍遅れて静かに目を伏せた。何かを考えているのか、フィアには読めなかった。


 その沈黙を破ったのは、扉の開く音だった。


「その話、私も聞かせてもらってよろしいでしょうか」


 よく通る、穏やかな声だった。


 振り返ると、一人の青年が入ってくるところだった。端正な顔立ちに、落ち着いた金の髪と蒼い目。カトレアと似た雰囲気を持ちながらも、纏う空気はずっと柔らかい。


「アルベール」


 カトレアが小さく名を呼んだ。


 第一王子アルベール・アルヴェイン。それが、フィアと彼の初対面だった。

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